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【スカイ・クロラ考察】草薙水素は死なない

今回は,水素スイトの生還から作品のテーマに迫りたいと思います.以前の記事で余談だった部分を,映画公開15周年を機に内容を新たに独立させました.


1.生還の意図

水素は劇中でティーチャに挑んだにもかかわらず,比較的軽傷で生還しました.空で彼に出会い,生きて帰って来られたのは彼女だけです.

これには意味があると押井さんは明かします.長いですが引用します.

水素がティーチャーに撃墜されるけど死ななかったのは,偶然ではないんですよ.つまり水素のほうが人生に深くふみ込んでいる.人とのかかわりの深さなんだよね.だから水素は死ねないんだよ.人って、人生とか人にかかわろうとするとキツイから死ぬんであって、何か背負っている限りは生きるものなんだよ.優一は何も背負ってない.水素は子供とか色々背負っているんですよ.
 僕が言っているのは、死ぬのが人生だということなんです.誰かとかかわることが生きることなんです.だから彼女は死ねない.なんとしてでも生き延びなければいけない.逆に優一のほうは、彼女を背負おうと決心したことで命をかける決心をしたんです.彼は死にに行ったわけじゃない.愛する者のために生きようとしたんだよ.
 こういったことは、僕自身も56年生きてきてやっとわかったことなんですよ.自分を生かしてくれているのは、自分以外の他の誰かのはずであって、自分1人で生きているわけではないんですよ.

後掲・宝島16-17頁

水素の生還が作品の主題につながっているなんて思いませんでした.というのも,彼女なら運が良ければ生還するかもしれないと思わせる事情が一応あるので.

脱線するので一段落とします.たとえば優一と水素を比較するとそのような推測ができます.①彼はストールハンマーという曲芸技を実戦に用いる特級パイロットであること,②その優一の前世である栗田仁朗を水素はまずまずの腕前と評していること,③一方で整備士・笹倉が水素をとびきりのエースゆえに長生きしているという発言.これらから水素はパイロットとして優一よりさらに優秀という印象を持ちます.

すなわち,劇中の登場人物で実力的にティーチャに1番近いのが草薙なのです.彼女なら生還することもありえるかも,と考えられなくもない.また,原作ではティーチャをして水素はそのうち自分を追い抜くと言わせしめるほど彼女は化け物パイロットでした.草薙生還に特に引っかからない事情が諸々あります.

しかし,押井さんによるとそうではなくて,さらにティーチャとしては水素生還は意図的だったとのことです(同17頁).これはどういうことなのか.以下,具体的に作品に立ち入って解説を試みます.



2.原作の変更

少し遠回りになりますが,まずは原作からの変更点を確認することから始めます.次の原作の2つのシーンはいずれも水素と優一の会話です.

・シーン①(小説『スカイ・クロラ』4章6節)
〔"人は老いて死ぬ運命があるけどキルドレにはそれがない"という話を踏まえて次の台詞〕

私〔草薙〕はね〔…〕君よりは長く生きている〔…〕自分の人生とか、運命とかに、多少は干渉してみたい.月並みだけど、それが、つまり、人並み.〔…〕私たちって何?人間だよね?違う?自分の死に方について考えるのが人並みなんだって、そう思わない?

・シーン②(同5章5節)
「カンナミ」目を瞑ったまま、草薙は言った.「その銃で私を撃って」
〔…〕
「死にたかったら、そこに銃がある」僕は言った.
彼女は目を開けて、僕を見た.
それから、デスクに置かれた拳銃を見た.
僕は、彼女に冷たい言葉を投げた.
それはきっと、防衛本能だっただろう.
僕は、
いつだって、
そうして.
生きてきたのだ.
そうしなければ、
生きてこられなかったのだ.
人の命にまで、
関わっている暇はない

〔〕内補足及び太字強調は引用者.以下同じ

引用箇所によると原作では自分の運命に干渉したい水素と,他人に関わることを避けたい函南かんなみ優一が描かれています.映画ではこれらに変更が加えられ,一部は次のシーンに姿を変えます.

笹倉「草薙はね…彼女はとびきりのエースだったから、生き延びて、仲間たちより少しだけ長く生きて…そのぶんだけ多くを見て、考えて…自分や他人の運命に干渉することを覚えたのよ
三ツ矢「愛する人を殺すことも、それも干渉なの?」
笹倉「分からない?」
三ツ矢「分からない!」

(1)自分の運命

1)原作の水素
引用箇所を整理します.すなわち,これらは自分の運命/他人の運命,それらに対する干渉の有無という観点から整理できます.

まず,小説と映画に共通するのは水素が"他人の運命に干渉"することを覚えていることです.他人の運命への干渉とは,さしあたり水素が優一の前任者・栗田仁朗の命を終わらせたことを指します.

次に両者で異なる点は,水素が"自分の運命に干渉したか否か"についてです.原作で彼女はキルドレという生の在り方に対し,死を持って自らの選択としたいという願望を持っていました.そして優一に自分を殺すよう頼むのです.つまり原作では願望にとどまり,干渉できずにいたということになります.

これに対し,映画だと水素は自分の運命に干渉を覚えたと笹倉が指摘していました.これは実際に干渉したということでしょう.

この違いについて見ていきます.まずは干渉できなかった原作の水素から説明しましょう(以下ネタバレ御免).原作は複数巻にまたがるシリーズもので,物語の時系列としては,実は第1巻『スカイ・クロラ』が時間的最後に位置します.第1巻の司令・草薙水素が,実は別人が草薙水素になりすましていたことがシリーズ後半で判明するのです.そして第2巻以降のパイロット・草薙水素は訳あって第1巻では函南優一として生きていたことになります.

・原作『スカイ・クロラ』(シリーズ第1巻)の水素
第1巻の草薙水素は別人.
函南優一=第2巻以降の草薙水素.

すると,原作の水素(第1巻の司令・なりすまし水素)というのは,キルドレという運命に加えて,草薙水素として生きることまで強いられていたことになります.

もっとも,このなりすまし水素さんが何者なのかは分かっておらず,キルドレではない可能性もありますがそれはここではおいておきましょう.

ここでは,他人へのなりすましを強いられていたという点で,彼女は自分の運命に干渉できないでいたことに注目します.これも彼女が「人並み」を望んでいた理由であり,自分の運命に干渉したいという願いの背景と考えられます.そして彼女にとってこの呪縛を解くこと,すなわち自分の生を生きるために,悲しいかなその生を終わらせることを選択するのでした.

もっとも,原作第1巻の水素が別人だったことは脚本制作が始まった2006年はじめの段階では公にされていないので,以上の説明は一部押井さんの設定とは異なる説明である可能性は大ですが,ここでの本題はあくまで次に述べる映画版です.


2)映画の水素
それでは,映画の水素が自分の運命に干渉することを覚えていたことについて掘り下げていきます.

先ほど押井さんは「水素は子供とか色々背負っている」と言っていました.彼は水素の人生における娘・瑞季の存在を重視しています.

ここから次のような予測が立ちます.瑞季を産んだことが水素のキルドレとしての決断であり,彼女が自分の運命に干渉したことを意味するのではないか.

謎のスロー.姉妹ではなく親子であることの表現?

なぜ妊娠・出産が運命への干渉の様相を帯びるかといえば,一般にそれが人生において重大な出来事であることはもちろん,加えてこの作品世界において特別な意味合いがあるからです.

どういうことかというと,まず劇中で水素と瑞季は表向き姉妹という扱いでした.これは世間的に2人が親子とは認められないことの裏返しといえます.先ほど引用した三ツ矢と笹倉のシーンの直前には,三ツ矢が「草薙は破綻している.子どもが子どもを産んでいる」旨を笹倉に訴えており,水素と瑞季の異常性が端的に説明されています.そういうわけで,子どもを持つといった人並みのことがキルドレの場合はイレギュラーなのです.

これを踏まえると,水素は出産によってキルドレとしての一線を超えたことになります.すなわち,キルドレという決められた生に対して異議を申立てたことを意味するので,上述の原作水素とは異なって映画では自分の運命に干渉したことになります.


(2)他人の運命

続いて,映画における"他人の運命への干渉"について掘り下げていきます.先ほど,優一の前任者・仁朗に関して原作の変更はないと述べました.しかし,その"他人"におそらく含まれるもう1人の人物,函南優一についてはどうか.ご存知の通り,原作の優一は水素を撃ちますが映画では外すという変更がありました.

1)水素

この変更は映画で水素と優一の結末が異なることとセットで理解できるものです.映画では水素は生きますが優一は戦死します(原作だと結末は2人で逆).これについて先ほどの押井さんの言及を再度引用します.

水素のほうが人生に深くふみ込んでいる.人とのかかわりの深さなんだよね.だから水素は死ねないんだよ.人って、人生とか人にかかわろうとするとキツイから死ぬんであって、何か背負っている限りは生きるものなんだよ.優一は何も背負ってない.水素は子供とか色々背負っているんですよ.
 僕が言っているのは、死ぬのが人生だということなんです.誰かとかかわることが生きることなんです.だから彼女は死ねない.なんとしてでも生き延びなければいけない.

押井さんによると,2人の結末の違いは「人とのかかわりの深さ」の違いのようです.劇中で優一をはじめキルドレたちは戦死していくわけですが,そんな中で誰かとかかわり誰かを背負った水素だけは,その人とのかかわりの深さゆえに死ぬことができないようです.

したがって,水素と瑞季については次のようにも理解できます.すなわち妊娠・出産はこの世に生を受けるという産まれる者にとって決定的な出来事であり,産まれてくる者を背負っていく決意なしには行えないことです.

妊娠・出産自体から離れても,この2人の関係は,自分が面倒をみなければいけない,自分の世話が必要なくなるまでは死ぬことはできないといった感覚で理解できる関係ともいえるでしょう.

いずれにせよ水素は瑞季を産むことで瑞季(他人)の運命に干渉した.水素は背負った娘によって生かされているという関係になります.このように妊娠・出産に関しては,瑞季に着目すると「自分の運命への干渉」のみならず「他人の運命への干渉」という観点からも見ることができそうです.加えてもう一点.

君は生きろ.何かを変えられるまで

押井さんによれば「誰かとかかわることが生きること」,誰かを背負った者は生きていくものとも言っていました.あのシーンで水素は何かを変えたい優一の志を引き継いだといえます.これも誰かを背負ったことに当てはまるはずです.

以上の2点から,水素の結末は変更しなければならなかった.


2)優一
さて,その函南優一について一点,押井さんの解説を再び引用します.

逆に優一のほうは、彼女を背負おうと決心したことで命をかける決心をしたんです.彼は死にに行ったわけじゃない.愛する者のために生きようとしたんだよ.

水素と結末が異なるけれど,彼で描きたかったこともまた「人とかかわることが生きること」です.それまで死んでいるのか生きているのかぼんやりとしていた主人公が,水素と(再び)出会い,愛し,彼女を背負おうというしたことは「生きよう」としていたということ.

翻って,ティーチャに挑んだときの2人も対照的だったことに気づかされます.水素は"死にたくて"ティーチャに挑んだのに対し,優一は水素のために"生きよう"として挑みました.重ねられる対照・・・


3)仁朗
ついでに栗田仁朗にも触れます.これまでの議論からすると,水素は仁朗の運命に干渉することで彼を背負ったといえることになります.押井さんは次のように言っています.

水素の机の上にあったワルサーPPKは,よく見るとチェンバー(薬室)に弾がはいっているのがわかるんです——それこそ,こだわりだけどさ——PPKを知っている人間だったら,装填済みのPPKを机に転がしているヤツって,普通ではないんですよ.いつでもぶっ放せる銃をその辺に転がしておいたり,懐に入れているなんてどんでもない女だよ.それでもなおかつ,なぜ生きているのか?それは瑞季のためであり,自分が背負っている過去があるから.〔…〕死にたいと思っているんだけど,自分で自分の頭をブチ抜くわけにはいかないんだよ.だから,人に殺してくれって言うんですよ.だから,ティーチャーにも挑戦したわけ.

宝島17頁

この「自分の背負っている過去」とは仁朗のことです.キルドレの秘密,すなわち永遠に生と死を繰り返していることに気づき,絶望した仁朗を終わらせてあげた.先ほど水素は「色々背負っている」と押井さんは言っていましたが,その「色々」には優一や瑞季に加えて仁朗も含まれています.



3.人とかかわること

(1)草薙ダイハード水素

さて,ようやく冒頭の水素の生還に戻ります.これまでの議論からすると,水素とティーチャの関係においても「人とかかわること」の話が当てはまりそうです.彼も水素との間に子を持ったことで,水素と瑞季2人の人生に深く踏み込んでいます(キルドレとしての水素の"破綻"に関する責任).彼自身,背負っている者がいるため死ぬわけにはいきません.

その一方で,背負ったその人に手をかけることもまたできない話なのでしょう.一度背負った人とのかかわりを断つことはできない(あるいは断つ"べきでない")ということなのかもしれません.

あれだけキルドレを殺し続けている彼でも水素を殺すことはしなかったのは,彼が彼女を背負っているから.押井さんは死にたがる水素をティーチャは拒否したと言っていました(宝島17頁).水素の生還は偶然じゃないと言っていたのは,それがティーチャの意図だからであり,これまでの議論を踏まえるとそこには背負った人とのかかわりは安易に断てないということを読み取れそうです.

以上,水素が生還した理由から作品の主題(の1つ)を追ってみました.

関連して,劇中でティーチャが敵機を戦闘不能にしたにもかかわらず,さらにパイロットに直接弾を撃ち込む執拗さを見せる描写について.以上の話から説明がつくでしょう.本編の三ツ矢が「もう一度違う人間として再生して,新しい記憶を覚えさせて,貴方が作られた.貴方はジンロウの生まれ替わり.そうしないと彼の持っていたパイロットとしてのノウハウが失われるから.兵器としての性能が失われるから」という台詞が参考になります.ティーチャとしては,敵パイロットからデータを採取されて戦闘に利用されないようにすることで,少しでも自分がパイロットとして生きながらえようという彼なりの生存戦略として理解できるのです.

ちなみに劇中ではティーチャは決して倒せない相手と言われていますが,押井さんに言わせれば,いずれはキルドレの末裔に敗れる存在だそうです(宝島17頁).なお原作では他にも大人のパイロットが登場し,水素に撃ち落とされてい
ます.


(2)生きること

さて,ここまでの「人とかかわること」を作品のテーマとしてまとめたいと思います.まず,原作にあった「他人の運命に干渉する」ことについて,押井さんは他人に深く踏み込むこと=他人を背負うことと捉えます.そのとき人は他人に生かされている.生きなければならない関係に入る.

そしてこれは「人は1人では生きていけない」という普遍的テーマにつながります.

言い換えれば,彼は「人は1人では生きていけない」の1つの理解として「人とかかわり人を背負うことで逆に生かされている」人間模様を捉え,それを作品に昇華しようと試みたといえます.

いろいろ背負うことで人の人生に深く踏み込んだ水素は,彼(女)らに生かされている,生きなければならない状況にいる.水素が死のうとしても周囲がそれを止めるところまで描かれました(優一,ティーチャ).

この作品は,人が人と深くかかわることで働く力学のようなものを捉えます.この力によって人は生を紡いでいる.人によっては絆という言葉や,責任という言葉で語られるものに関わるお話になります.


(3)背景

さて「誰かとかかわることが生きること」という主題の背景について紹介します.

原作にある登場人物たちのイメージですよね.決して積極的に人に関わろうとしない,自分の目の前にいる人対して思いやりもあるし,やさしいし,気配りもするし,相手の気持ちもよくわかる.にもかかわらず,つきあおうとしない.相手の人生に干渉しようとしない.これも今の若い人の特徴のひとつだと思いますね.自分自身が人間関係に煩わされたくないからこそ,他人の人生に介入しない,干渉しない.自分が干渉されることも好まない.でも,僕にいわせれば,生きることは他人に干渉することなんです.それを理解しない限り,人が大人になることは決してない.特に恋愛はその最たるもので,それが今回の映画が恋愛映画である理由でもあるんです.

後掲・ナビ81頁

劇中で優一が「〔僕たちキルドレは〕大人になれないんじゃなくて,ならないんだ」と瑞季に告げます.この「大人」の理解が曲者ですが(次回記事予定),少なくとも上記発言からは他人に干渉することもされることも好まないからキルドレは大人ではないんだという意味が含まれていることがわかります.



4.結びにかえて

最後にもう1つ触れておきたいことがあります.

(1)2つのラストと蛇足

優一の生まれ変わりが登場するエピローグ(エンドロール後のシーン)はプロデューサーの石井朋彦さんが追加を要望したものです(押井言論327頁註18).これが説明的で押井作品らしくないという評価もあったようですがそれはプロデューサー側も承知のうえで足しています(ナビ75頁).

まずはどうして蛇足なのかみていきます.

水素「それとも殺してくれる?」「さもないと私たち永遠にこのままだよ?」

優一「何度君と出会い,何度空で戦い,何度君と愛し合ったんだろう」

優一の言葉は予告のもの

2人の物語を簡単におさらいすると,水素は元パイロットなので飛行機に乗れますが基本的に司令官です.なので2人の出会いと別れは優一が空で死ぬことで繰り返されてきました.すなわち,水素のみが一方的に喪失を繰り返し絶望していたことになります.その苦しみから逃れるために自分を撃つよう頼みますが,優一に背中を押されて絶望から一転し,再び生きることになりました.

本編,エンドロール直前のシーンで彼女がいったん煙草を咥えたものの吸うのをやめる描写があります(本来のラストシーン).

「愛する人を失い煙草をやめた…これは壮大な禁煙映画だ!」とは庵野秀明氏の評です(パンフ60頁).

劇中でキルドレはやたら煙草を吸っています.煙草は退屈しのぎとして描かれているようです(同58頁参照).ここに先ほどの日常の退屈=苦痛を当てはめられます.すなわち,退屈しのぎの煙草はいわば苦痛緩和剤のようなものと理解できます.

すると水素が吸うのをやめたというのは,煙草が必要でなくなった,つまり日常が退屈なものではなくなったことを意味します.押井さん的には,彼女にとって人生が情熱の対象になったことの表現というわけです.

追加シーン(エピローグ)でこれに対応するものとして,優一の後任を迎える彼女の顔が明るいことが挙げられます.

あなたを待っていたわ

ATフィールドメガネをかけていないことにも注目とのこと(パンフ58頁)

この表情の変化に,観る者は希望を感じ取れるようになっています.彼女の変化の中身はおそらく上述の煙草で述べたことと同じ,すなわち繰り返しになるので説明的となります.

ちなみにエピローグ追加の経緯は石井さんが明かしており,他にも重複があることに気づかされます.

いわゆる典型的なハリウッド映画ですよね.スターがいて,物語的大仕掛けがあって,最後は感動へと盛り上げていく.奥田さん〔奥田誠治プロデューサー〕がおっしゃるには,死んだ恋人が別のかたちを借りてもう一度生まれ変わってくる,この恋愛構造ができたときに,初めて『スカイ・クロラ』は大衆的にお客さんに伝わるものになるんじゃないか.そのラインさえしっかりやってもらえば,ドンパチを増やすとか,別な話に作り替えたりしないでも,これは充分通用する映画になるんじゃないかと.ここでは明かせませんが,あのラストシーンは,こうしたやりとりから生まれました.

ナビ75頁

エピローグは,優一の生まれ変わりであるヒイラギ・オサムと水素の出会い(再会)で閉じます.劇中で三ツ矢が「貴方はジンロウの生まれ変わり」と告げた時点で,最初の優一と水素の対面が実は再会だったことが遡って明らかにされるのでヒイラギとの出会いも繰り返し,再演になります.

ちなみに,片手でマッチに火の付ける方法(終えたら折る点も)が優一の癖として生まれ変わりに引き継がれます.これは湯田川の新聞の畳み方と同様,当該人物に刻まれた記憶の描写です.実は最初に優一が捨てたマッチを水素が拾い見つめるシーンですでに描かれているのでこれも繰り返しです.水素と仁朗の生まれ変わりとしての優一の出会い,これと同じことをエピローグで繰り返すことで,2人の出会いと別れが繰り返されているという作品の物語構造を提示する.これが先ほど引用で紹介したエピローグ追加の目的です.

個人的にはわかりやすさの観点からプロデューサーの追加要請は意味のあることだと思います.再会の他にも,先ほどの煙草をやめた意味にたどり着くには,喫煙者あるいは喫煙を理解する者,もしくはパンフレットに目を通した者でないと難しい,つまり映画をみただけでは理解困難だと思いますし.もっとも,個人的にエピローグがしっくりこないのは説明的であることよりも,最後の水素正面の絵がしっくりきていない点かもしれません(絵の質という話ではありません).なおエピローグにはもう1つおもしろい話があり,これは次回取り上げます.


(2)何かを変えたい

さて水素だけでなく,優一も最後に生きようと命を燃やした点に自身の変化が見られました.ここでは2人の変化が2人が何かを変えようとしていたことに絡めて描かれた点に注目します.

優一「ティーチャを撃墜すれば何かが変わる?」
水素「え?」
優一「運命とか,限界みたいなもの」

この「え?」がすごくいい

君は生きろ.何かを変えられるまで

優一自身はティーチャに挑むことで何かを変えようとしました.終わらない戦争を支えるルール,絶対に倒せない敵の存在を葬ることで.

対する水素はすでに瑞季の出産によって何かを変えようとしていたと捉えることもできますし,あるいは組織に身を置きながら変革を,ということかもしれません.彼女はキルドレでありながら司令を務める特別な存在だからです.

水素を愛し,彼女を引き受け,何かを変えようと空に向かった優一.彼を引き継ぎ何かを変えるために生きることにした水素.2人の結末は異なれど同じ方向を向いていました.

ちなみに水素に対し「生きろ」と思っていたのは優一だけではなくティーチャもでした.彼も水素に変化を期待していたのかもしれません.

今回は以上になります.最後までお読みいただきありがとうございました.

映画『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』は公開から15年が経ちます.本記事によって皆さんの鑑賞、考察等が捗れば幸いです.

次回は劇中の大人たちからこの作品を考えます.


・参考文献
『押井守ワークス+スカイ・クロラ』別冊宝島1546号(2008年)
『スカイ・クロラ ナビゲーター』(日本テレビ,2008年)
押井守著・アニメスタイル編『スカイ・クロラ絵コンテ』(飛鳥新社,2008年)
押井守編著『アニメはいかに夢を見るか』(岩波書店,2008年)
押井守『押井言論2012-2015』(サイゾー,2016年)

画像:©2008 森博嗣/「スカイ・クロラ」製作委員会

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