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トツ子の物語:『きみの色』を読み解く
今回は映画『きみの色』です.主人公の日暮トツ子を追います.いつもながら解説というか考察というか.
1.はじめに
もし自分の色が見えるのなら,それはどんな色なんだろう
作品冒頭のモノローグです.ここで本作の中心となる物語が提示されます.人を色で感じることのできるトツ子ですが自分の色はわかりません.この話はご存知の通り,それを見ることができて落着となります.
その終着点である中庭ジゼルのシーンですが,どこか唐突だったのではないでしょうか(トツ子だけに・・・?).彼女が踊る意味は空に手をかざしてはじめて伝わってくる造りになっており,初見だとやたら踊るじゃないのとなります.もっとも,直前に回想を差し込むといったかたちで理解を促さなかったことで,かえって作品として凡庸を免れたという側面はあるかと思います.
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本記事はこのトツ子の物語について中庭ジゼルまでの過程を整理します.この作品をより楽めることにつながると思うからです.
2.きみと重ねて
(1)探索の理由
どこからはじめるか悩ましいのですが,小説版にある次の描写からにします.
今さらながらトツ子は気づいた。きみに出会えたとして、なにをしようというのか。それもわからないのに、なにを求めてさまよい歩いているのか……。
〔中略〕
本当にきみの青を見たかったというだけだろうか、と自分に問うてみても、すぐに答えが浮かぶわけでもない。きみと友達になりたいから捜しているのか?
だが恐れ多くて身がすくむような気持ちになるだけだった。
じゃあ、あなたはどうしたいの? 街を歩きながら何度も自分に問いかけてみても返事がない。
急に心が虚ろになったような気がして、トツ子は書店に入ることなく、連休最後の日を過ごす人々で賑わう繁華街を、当てどなく歩き回っていた。
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これにより,きみを探す理由というものがトツ子にとって何やら重要だと示唆されます.この引用部分は小説オリジナルの描写であり,映画本編にはありません.執筆者である佐野さんが独自に作品世界を掘り下げたところではありますが,本編と矛盾しないどころか綺麗につながるため,作品を考察する素材として用います.
もっとも,小説は問いかけるのみでこれ以上の描写はありません.したがって行間をこちらで埋めるほかありません.
(2)トツ子はカヲル
きみを探す理由を考える糸口は映画の方にあります.まずはトツ子が帰省した際の,母の言葉に注目です.
かばってあげたくなるようなお友だちができたんだね
かばうとは具体的には,きみの家出をなんとかしたくて彼女を寮に泊めたこと,またこの一件はトツ子が言い出したもので,きみは悪くないと校長に伝えたことなどを指しているのでしょう.
あの事件,トツ子としてはきみと一緒に居たくて修学旅行を休んだという側面も強かったと思いますが,大人に対して取り繕ったことの方が彼女の本質を捉えていたらしいのです.母のこの言葉によって「ああ,私はきみちゃんをかばっていたんだ」と気づかされた.
このことと併せて重要なのは,このときのトツ子の目線です.彼女の目は母ではなく1階のバレエ教室の子どもたちに向けられていました.そしてこのときのトツ子の表情がこわばっていたこと.
これについて,教室の子どもたちは小さい頃のトツ子を想起させます.トツ子とバレエの関係についてはアバンで少し描かれました(後に旧教会でも).冒頭では小さい彼女が周囲よりテンポがズレている様子や,子どもサイズのバレエシューズがなくなっいたこと.すなわち,子どもの頃にバレエで挫折したことが描かれました.そしてそのことが彼女に影を落としていたことも旧教会での合宿でそれとなく伝えられます.
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以上,母の言葉とトツ子の過去を我々に同時に見せたことには意図があるはずです.きみをかばったことと,幼い彼女の挫折.
思えば,きみとトツ子は挫折でつながっています.きみは学校を中途で退学し,トツ子はバレエを辞めてしまった.
結論から述べると,トツ子は自身をきみに重ねていたのです.彼女をかばっていたのは,何より過去の自分を救いたかったことの表れだったとみることができるのではないでしょうか.
あのときトツ子の顔がこわばっていたのは,かばおうとしていたのはいつかの幼い自分だったことに気づいてしまったから.
トツ子がきみを必死に探した理由も同じものになります.
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トツ子自身自らの過去に蓋をしたままなので,どうして必死になってきみを探しているのか自分でも分からなかったのでしょう.
以上が,トツ子がきみを探す理由,そのことに自覚がない理由,そしてあのときのこわばった顔についての読みとなります.
脱線するので一段落とします.こうしたトツ子の描写は個人的に『シン・エヴァンゲリオン劇場版』を思い出すところです(ネタバレするよ!).
カヲル「僕は君だ.僕も君と同じなんだ.だから君にひかれた.幸せにしたかったんだ.〔・・・〕エヴァを捨てるか.すまない,僕は君の幸せを誤解していた」
加持リョウジ「ええ,それはあなたの幸せだったんです,渚司令.あなたはシンジ君を幸せにしたいんじゃない.それにより,あなたが幸せになりたかったんです」
完結編で明かされたのは,彼が「エヴァ」という円環の物語におけるただ1人の傍観者であり(記憶の継続を認められ,首チョンパを繰り返す者),その役目から解放されたかったということでした.
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3.取り戻す
(1)きみ
さて母の言葉をきっかけに,思いのほか過去に捕らわれていることを嫌でも自覚したトツ子ですが,転機が訪れます.旧教会でのバンド合宿です.
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ルイ「僕たちは今,好きと秘密を共有しているんだ」
あの夜,彼はバンド活動を親に話せないでいること,また,きみは退学に関する悩みを告白します.そしてトツ子は「色」のことを話します.それぞれが抱えている秘密(悩み)を打ち明けました.
さて,挫折に縛られているトツ子にきみの言葉が刺さります.
でも,自分で決めたことだから,こんなにウジウジしてるのは違うと思う.
どうトツ子に響くのか.まず,きみが学校を辞めた理由は,筆者の理解によれば次のようなものです.
彼女は周囲に期待されているものの,とにかく自分に自信がありません(小説は完璧すぎる兄の存在が影響していることを仄めかします).それでも真面目な性格のせいかその期待に応えたいという思いが彼女の中にある一方で,やはり自信がないためきっと周囲をガッカリさせてしまうと恐れてもいます.こうした板挟み状態が彼女を圧迫し,ついに限界が来て退学に至った,と.
きみに自信がないというのは監督の発言からです.
きみちゃんは,自分を信じきれていない子です.理由はわからないけれど自己評価が低く,周りからどんなに期待されても,自分で自分を信用していないのでどうしようもない.
先ほどの台詞は,「順番間違えちゃったかも」と悩みながらも,問題を見つめて前進しようとしていることを示しています.挫折に向き合おうとする彼女の姿勢は,きっとトツ子を鼓舞したはずです.
監督は次のように言っています.
今回作品の大きな軸としたのは,「自分の状況を人のせいにしない子たちを描きたい」ということ.大人もそうですし,皆さんが責任を持って自分の人生を生きようとしている強さを大事に描きたいなと思いました.人のせいにするのは簡単だと思うのですが,そうではなく,ちゃんと自分の問題として受け止める人たちを描きたくて.
(2)ルイ
合宿で指摘したいことがもう1つ.それはルイです.医学部志望なので勉強に時間を割かなければいけない生活の中で,その隙間を縫ってひっそりと音楽を続けていました.たった1人で.
この彼の好きなことに対する正直さと諦めない強さにも,トツ子は励まされたことでしょう.
・ニーバーの祈りとの関係
先ほどの2人の告白がニーバーの祈りに掛かっていることを確認しましょう.特に祈りの後段です.
「変えることのできるものについては、変えるだけの勇気をお与え下さい.変えることのできるものと、できないものとを、区別できる知恵をお与え下さい」
これをトツ子に引き寄せると,上手く踊れないことは変えることができないけれども,バレエへの憧れや踊りが楽しくて仕方なかった気持ちまで失くしてしまっていいのかと.2人の告白はこうした現状を変える知恵と勇気になったのではないでしょうか.
(3)前進
そしてラジオからジゼルが流れると,トツ子は子どもの頃にバレエに憧れていたこと,上手に踊れないことが原因でバレエを辞めてしまったことを2人に話すのでした.なんなら踊りも披露します(ここでは踊りを途中で止めてしまうことが中庭との対比となります).
ところで挫折を打ち明けたことには意味があります.辛い過去を人に話すことができるのは,過去に向き合っているからこそできることだからです.つまり,トツ子は前進している.ライブ当日には逆に日吉子に「受け入れてみてはいかがでしょうか」とすすめるまでになっています(圧倒的成長!).
※追記
トツ子の前進について補足です.先ほどの監督の言葉,「責任を持って自分の人生を生きようとしている強さを大事に描きたいなと思いました」は,きみとルイに分かりやすく表れていると思いますが,トツ子も例に漏れません.というのも,2人はトツ子の悩みに対し特に何もしていないからです(ただし積極的にはという意味で).2人が悩みを抱えつつもそれに対処していく様から,トツ子は何かを受け取ることで前に進んでいます.これが監督の描きたい「自分の人生を生きようとしている強さ」なのかなと思います.
そして,人から何かを受け取る前提として,その人を見ていなければ,あるいはその人の言葉を聞いていなければなりません.見つめる,耳を傾ける,そしてその生を受けとめること.こうした人とのかかわり合いの丁寧さを作品から読み取ることができそうです.これが1つ.
もう1つはそれとの関連で,その人の生を見つめるという場合,それは"目撃"とは異なると思うので,見つめる対象は通りすがりの人ではないし,誰でもいいわけではないでしょう.それはそれなりの関係性を持つ特定の誰かを念頭に置いた行いといえます.すなわち,これは「人とかかわること」についての描写として見ることができるのです.
話を戻します.このようにみていくと,最後の中庭以前にすでに彼女の状況は良くなっています.あと一歩というところまで来ており,最後のひと押しが中庭ジゼルのシーンということになります.上手も下手もない,ただ思いのままに踊り切ること.
あそこで彼女は,好きという気持ちにもう一度自信を取り戻すため踊ります.その姿は何かを好きでいることの自由を私たちに訴えます.
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監督は言います.
「好きなものを好き」といえるつよさを描いていけたらと思っております.
ちなみに色を見た後,回るトツ子が何やら青と緑の光と踊っているように見えるカットがあります.
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2人からの祝福だと勝手に解釈しています(自信はない※).
※追記
これについて後日あらためて,それはトツ子が"惑星"から太陽になったという理解ができないか,などと思いを馳せてみたり.当初トツ子の歌はきみを太陽,自身を惑星に見立てて作られていました.物語も,きみに惹かれたトツ子が彼女を追うかたちで進行しています.
もっとも,3人がバンドを組むきっかけとなったのは,トツ子の謎の一撃でしたし,オリジナル曲の作成もトツ子が1番乗りで,バンド活動を勢いづけたはずです.なので太陽になったというより,もとより太陽でもあったのかもしれませんが(そこはどうでもいいです).
ともかく「好き」を全身で表現しているこのときのトツ子は,きみと同じく誰かを魅了するそれは綺麗な「色」をしているはずです.そのことを青と緑の光を惑星のように配置することで表現していたりしてなどと思いました.
4.おまけ
トドのつまり,やっぱりラストは中庭ジゼルでよかったのでは!?監督!
というのも当初のラストは中庭だったからです.ここからは本題から外れるので一段落とします.ちなみにその変更のきっかけなどは監督自ら公式資料(や後掲ネット記事)で語られています(『きみの色 アニメーションガイド tri-angle』(KADOKAWA,2024年)150頁).
最後に実際のラストシーンについてです.作品のもう1つのテーマに関わるので少し触れておくべきかなと.
まず,監督は次のようにお話しされています.
「抱えているものが大きくても小さくても,心の秘密は傷になる.〔中略〕そうして悩んでいる方や傷を抱えている方が,少しでも楽になれたらいいなという気持ちで描いていきました」(公式パンフレット).
秘密を抱える苦しみ.本作で描かれてきたところです.先ほども引用したルイの台詞には作品のテーマが集約されていたのかもしれません.
「僕たちは今,好きと秘密を共有しているんだ」
監督はミッションスクールという設定について「〈信じることができる心〉を描きたかった」(パンフ)と言っていますが,少なくとも作品のテーマ「秘密」の方はキリスト教の告解(英:confession)という罪の告白の習慣をモチーフにしていると思います.
告解とは,「罪のゆるしを願うキリスト者は,①心から悔い改めて,②権限を与えられたキリストの代理者(司教・司祭)に罪を告白し,③ゆるしを受けて,④その後に命じられた償いを果たす」(後掲・岩波)行いで,今でもカトリック教会で実践されているようです.本作のカトリック色は元々はこの辺りが理由かと思います.
本編では日吉子の台詞「反省文とは堅苦しい.もっと心が軽くなるような.心の内を歌にしてみては」(大意)に罪と告白とゆるしの構造が繰り返され,さらに歌(音楽)が心の解放につながっていることも示されます.
さてこうした視点でラストシーンを眺めると,あのとき,きみはただ「がんばれ」と叫んでいたのではなく,その実胸に秘めた想いを解き放っていたと見ることができます.
乗船場ではなく人のいない場所を選んだのもそうした理解を支えます.告白というのは衆人環視の下するものじゃないですよね.また,一度だけ「がんばって」になるところに彼女の心が漏れている点,すなわち彼女の外面と内面のアンビバレントな状態を示唆していることからもそのように理解できるでしょう.
なおこれを書いた後に公開された記事で,監督自ら追加ラストシーンについて「彼らが抱えている悩みや秘密への手の離し方が形を変えた感じです」と述べています(KAI-YOU「山田尚子監督インタビュー 『きみの色』で“悪意”を描かなかった理由」2024.09.24).「秘密への手の離し方が形を変えた」とは,秘密を打ち明けるのではなく,秘密を秘密のままに心を軽くしていたと理解できます.
すなわち,再び「好きと秘密の共有」に注目すると,いずれのテーマにせよ誰かと「共有」することが前に進む際のきっかけあるいは手立てとなっています.それに対し,ラストのきみのそれだけは「共有」と異なるかたちをとっていると整理できるでしょう.やはり只者じゃないですよ,山田尚子という人は.
今回は以上になります.最後までお読みいただきありがとうございました.
・参考文献
大貫隆ほか編『岩波キリスト教辞典』岩波書店,2002年
※追記(2024/9/22)
最後の編み掛け部分に作品のもう1つの主題「秘密」を追加
追記(2024/9/24)
中庭ジゼルの青緑の光について新説を追記
追記(2024/9/26)
トツ子の前進と2人の関係について補足
追記(2025/2/7)
「4.おまけ」に「共有」について追記