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浮かんできてしまうこと。
ここ1週間くらい、
ここかしこで、ふと思い出している一節がある。
朝目が覚めた時、駅の階段を上っている時とか、スーパーでプチトマトを選んでる時もその一節を反芻していた。
*
小川糸さんの小説『キラキラ共和国』
『ツバキ文具店』の続刊で、鎌倉にある文具店で店主の「鳩子さん(ポッポちゃん)」は手紙の代書も請け負っていて、代書をお願いしにくるお客さんそれぞれのエピソードと、鎌倉での自身の生活や、先代店主の祖母との思い出などが、ちょっとほろ苦く織り混ざり、綴られている物語だ。
きっと読んだことがある方も多いだろう。
無理なく、ゆったりと楽しめる本だと思う。
その中のエピソードに、タカヒコ君という目が”ほとんど見えない”少年が、母の日にお母さんに手紙を贈りたい、と訪れてくる。
タカヒコ君の目は、太陽の明るさを感じることができて、礼儀正しくて、やさしい少年であることが、鳩子さんとのやりとりの描写からよくわかる。
そこで、鳩子さんがタカヒコ君の発言から”気づく”その一節、
”何も見えないということは、
すべてが見えている、とも言えるのかもしれない。”
特別なことではなく、サラッと書かれているのだが、私の心はたまらなくなってしまったことを思い出す。
今、改めて思う。
この気持ちをどう表現したら良いのだろう。
ああ、本当にそうだ。と、深く深く胸に染みていく感覚があった。
当時の年末、忘年会で今年一番の思い出は何?と問われた際、真っ先に思い出した位だ。共感…薄いかも、逡巡し、ヒヨって全然違うことを言ったけれど。
この深く染みていった一節が、どういう訳か、
ぷかりぷかりと浮き上がってくる。
似たようなシーンに出くわした訳でもなく、自分でもよく解らないでいる。同じような現象になったことがある人っていないかしら…。
*
と、一昨日、ここまでnoteに書いて、下書きにした。
そして本日、他の作業をしている時に、サブスクの音楽アプリのオススメアルバムをかけていると、THE BLUE HEARTSの『少年の詩』が流れてきた。
わぁ、ブルーハーツ。
ああ、ロッキンとかフェスがね、あるからね…と聴いていると、
”どうにもならないことなんて
どうにでもなっていいこと”
と、ぷかりぷかりしている一節とちょっと同様の?類のフレーズをまたサラッと歌われてしまったのだ。
ううん…。
天は我に何のヒントを与えようとしてくれているのだろう。
しばらくは、こういう感覚的な部分を、できるだけ澄まして生活しようかな、とちょっと背筋を伸ばす思いになった。
続くエピソードがあったら、また書かせてもらいます。
-20220811-