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私の青春(中学生編)

私は10年近く、海の見える街に住んでいた。父の仕事柄、何度も引っ越しをしているけど人生で1番長く、且つ中高大を過ごした場所だ。つまりその街は私の青春の全てを知っている。

今回は中学生活・高校生活・大学生活に分けて、私の青春を振り返ろうと思う。自分自身のための遅れた日記だ。

今回は、どこにでもあるような淡くて少し痛い中学生活について。


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私は中学入学を機にその街へ引っ越した。その中学は小学校と隣り合っていて、受験しなければそのまま中学に上がるようになっていた。

入学式なのに友達がいないのは私だけ。引っ越しには慣れていたけど、入学式では転入生の自己紹介がなくてやっぱり心細かった。帰り際に2人組の女の子が話しかけてくれて、4月の終わりには結局その子たちと同じバレーボール部に入部していた。


私の中学生活は部活と勉強の二本立てだ。そう言うとしっかり練習に励んでいたのかなと思うけど、部活の殆どの時間はふざけてばかりで皆でサボりまくった。

外周ランでは職員室から見えない場所で全員歩いてたし、酷い時は1周走るごとに1人ずつお腹が痛くなって最終的には10人近くが座り込むおかしな光景が結構な確率で見られた。

試合の帰りにジャージのままお祭りへ行ってめちゃくちゃ怒られて、暫く練習は禁止になったけどこっそり遊んだりだらだらテレビを観れて万々歳だった。

部活がない日はイオンでまずプリクラを撮り、雑貨屋さんを物色して、フードコートで延々駄弁る。たまにチャリで30分程の大きいモールまで遠征して、そこでも結局プリクラを撮り雑貨屋さんを物色して、フードコートで延々駄弁っていた。

まさに箸が転んでもおかしい年頃で、そういう無駄な時間が楽しかった。

でも皆でずっと仲良くしてたかと言えばそうではなく、1人ずつ順番に仲間外れにする陰湿な部活だった。私と数人は蚊帳の外にいて、見て見ぬ振りをしながら別で遊んだりしてた。「ウチら大親友だよねッ」と言うような、お節介で何でも口出しする友達にはある時絶交を言い渡したりして、しっかり’中学生女子’をやっていたなと思う。


2年生の夏に好きな人に初めてちゃんと告白したのもいい思い出だ。ちゃんと振られもしなかったし、そりゃ気まずかったけど人生で1番甘酸っぱかった。


部活終わりには部活の子と同じ塾に行って眠りながら授業を受けた。私も起きていたいのだけど本当にすぐ寝てしまう質で、皆の前で塾長に破茶滅茶に怒られて「次寝たら帰れ」と怒鳴られた5分後には船を漕いでいた。

それでも頭の出来は悪くなくて、というか根は真面目なので宿題をちゃんとやっていたお陰か1番上の特進クラスにいたのが面白い。

特進クラスでは下から数えた方が早いレベルだったけど、それでも進学校に合格して両親が自慢気だったのが少し嬉しかった。

私は内申点がものすごく低くて学校の先生には「受からない」と言われていたし、志望校に受かっても「お前はドベかもな」と言われる始末だった。そんなに傷ついてないつもりだったけど、その日は帰ってから高校の教科書を読み始めてたので少しは気にしていたのかもしれない。


そして2011年3月を迎えた。

私は大阪に家族旅行をしていて、あの揺れがきた時にはUSJのアトラクションに乗る一歩手前くらいだった。地下にいたこともあって大したことなく感じていたのに、夜にはその時気になっていた男の子にわざとらしい心配の連絡を送った気がする。

ホテルで見るニュースはずっとそのことばかりで、翌朝起きると「東日本大震災」といつのまにか名前が付いていて少し驚いた。関東に帰ると街がいつもと違った。父は「うちは呑気だったな」と笑っていたけど、祖父母に連絡して親戚にトイレットペーパーを送ってもらった。カートがぶつかる戦場みたいなスーパーで米を必死で買ったり、ロウソクを買い占めたりもした。

こんなことを書くと不謹慎だけど、最初の混乱が落ち着くと中学生の私にはいつもと違う街が楽しくて、いつもはエレベーターで登る家まで10階以上の階段をふざけながら友達と上り下りしたり、真っ暗なミスタードーナツでフレンチクルーラーを頬張った。

福島にいた従姉妹が我が家に避難してきて暫く同居もした。今でも従姉妹とは仲良しだけど、あの時段々優しくしきれなくなってしまったのを、今でもずっと後悔してる。慣れない人の家で心細かったろうに、ごめんなさい。まだ直接謝れていない。


最後の春休み後半は仲良しの友達と朝7時集合で海まで走った。もちろんサボり部なので半分以上は歩いていたけど。海を見て満足すると友達の家に押しかける毎日だった。

ある日珍しく1人で走っていたら海方面から駅に向かってくるカップルとすれ違った。仲良く笑いながらおんぶをして、中学生の私にはまるで少女漫画かドラマのように映った。「私もいつか」と憧れたけど、今思えば海沿いのラブホから帰る酒臭いカップルだったのかもしれない。


中学生活を振り返るとどのシーンも淡い色で浮かんでくる。海が見える街でとても豊かな時間を過ごした気がするけど、それは今だから思えるんだろう。あの時の毎日の景色は、今よりもっと暗く見えていたような気がする。


最近こそないけれど、私は20歳まで親とかなり喧嘩した。

携帯を買ってもらえなくて揉めたり、行きたくない塾に行かされたり、部活での不真面目な態度をチクチク怒られた。テストの点数が悪いとか、アドバイスを求めてない時に親にとやかく言われたりして、イラついて怒鳴りあった。もう全然中身は覚えてないけど、母とも父とも沢山言い合っては泣きながら寝た。

小さい時からの弟への嫉妬心がいつまでも抜けなくて私は両親に愛されていないと思っていたから、怒られる度に自分は嫌われているんだと感じていた。

合唱コンクールの練習をしながらカーテンの揺れる窓際を見つめては、突然走り出してあそこから飛び降りたら皆はどんな顔をするかな、両親は悲しむかなとか考えたこともある。

それなのに「心配だから色々言うんだ」と言われた時には心の底から放っておいてほしいと思ったんだから自己矛盾が恐ろしい。


普段は適当にふざけていたようで、自分に自信がなかったし、自分なりの生き方や人との距離の取り方がまだよくわかってなかったなと思う。

この頃は淡くて痛くて、心にたくさん絆創膏を貼っていた。もしもあの時の自分に会えたら、力一杯抱きしめて「本当は皆に沢山愛されているんだよ」と言ってあげたい。暖かいココアを用意して「傷はいつか癒えて、自分でも自分を愛せるようになるから安心して良いからね」と話そうか。




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omu
新たな文章と出会う旅の餞別となり、私の感情がまた文章となり生まれます。 いつもありがとう。

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