甘くないスイカ
8月下旬、及川がスイカをひと玉貰ってきた。一個丸々のスイカは、部屋に夏を呼ぶ。貰うとやっぱり、嬉しい。
でも2人だとちょっと多くて、ちょうど8月最後の日に友人たちと海に一泊する予定があったから、その日に食べることにした。
スイカを車に積んで、出発。
宿先の部屋でスイカを割って食べようとしていたはずが、(手拭いに包んでしっかり包丁も持参した)夕飯とお酒でお腹はたぷたぷになって、私たちはただ、スイカに日本海の風を感じさせただけになった。
家に帰ってひと段落してから、旅の、夏の締めとしてスイカを割った。
待ちに待ったスイカは、なんと、とっても、甘くなかった。
最初、それぞれ気を遣って「まずまずだね」とか言い合って食べていたのだけど、表情はかたいまま。だれかが耐えきれなくなって「あんまり甘くないね」と言うと、吹き出すようにみんなでスイカをぼろくそに言った。
締めのスイカが甘くないのは旅の締めとしてはむしろ思い出深くて、そうして夏は終わった。
好き放題スイカに文句を言いながら、スイカの人生は厳しいな、と同情する。
時間をかけて大きく丸くなり、やっと収穫される。みんな、わくわくした気持ちでひと玉を抱えるけれど、割ってみないと甘いか甘くないかは分からない。
イチゴやトマトは、ひと粒が小さいから甘くないものにあたっても損した気持ちを引きずらないし、りんごはモサモサしていることはあっても、甘くないことはあまりない。それに、モサモサしていれば煮たらいいけれど、甘くないスイカの美味しい食べ方はなかなか見つからない(漬物って美味しいって聞くけど、すこし勇気がいる)。
もし、スイカ自身が自分のことを甘くないスイカだって知っていたなら、食べられる瞬間を待つまでの時間、つらいだろうな。
勝手に期待されて勝手に失望されるときの、にがい気持ちを思い出す。
スイカも甘くなれるなら甘くなりたいし、わたしも力が持てるなら力が欲しいよな。
そう思うと、甘くないスイカも、なんだかすこし愛せてしまう。
ps.残りのスイカを冷蔵庫に何日か置いていたらすこし甘くなっていた。あとから甘くなれるときだって、きっとあるよね。