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#2 自己信頼 ラルフ・ウォールド・エマソン #読書感想文

ラルフ・ウォルドー・エマーソン、1803年5月25日 - 1882年4月27日)は、アメリカ合衆国の思想家、哲学者、作家、詩人、エッセイスト。
・偉大な行為は未来にはたらきかける。私がいま、世間の目を気にすることなく、自分が正しいと思ったことを実行できれば、それはいまの自分を正当化してくれるような正しい行為を過去に行っていたからにちがいない。
こうなりたいと思う自分に今なるのだ。いま行動せよ。どんなときも人目を気にしないように努めれば、常にそうできるようになる。

正しいことを言っている人がいる。じっと見ていると時々メッキが剥がれたり、ボロが出たりしているのを散見する。どちらが本質なのかな?と疑問に思う。ただ他人のことなのである程度の所で見切りをつけ、ピントをぼかす。問題になるのは自分にベクトルが向く時だけだ。そう考えるといくら人類は有機的に繋がっていると言ったって、人間は自分の事に興味がある。他人の事を気にする必要はない。だからまずは自分が正しいと思った事をして、しかも自分の足で立つ気概が重要だ。そしてそのうち段階的に他人の協力が無いと何も出来ない事に気づくだろう。そんな曖昧な気持ちで行ったり来たりしながら、僕は人生を漂っている。でも人生は自分で正しいと思うことを行動することが要諦になる。

・草の葉やこぼれるバラを見ると、自分が恥ずかしくなる。わが家の窓の下で咲いているバラは、過去のバラや、もっと美しいバラを気にかけたりはしない。
これらのバラはあるがままに咲いている。神とともに今日という日を生きている。これらのバラに時間はない。ただ、バラというものがあるだけだ。
バラの一生は、どの瞬間を切り取っても完璧である。葉の芽が萌える前から、その命は躍動しており、花が満開になったら増えるというわけでもなく、葉が落ち、根だけになったら減るというわけでもない。バラの本質は、どの瞬間においても等しく満たされており、自然もまたバラの存在に満たされている。
しかし人間は何かを先延ばしにしたり、過去をふりかえったりする。いまを生きずに過去を悔やんだり、自分を取り巻いている豊かさに目を向けず、つま先だって未来を予見している。
バラと同じように時間を超越し、いまを自然とともに生きるようにならなければ、私たちは幸福にも強くもなれないだろう。

何か目的があって努力している、成功することを夢見て。エレカシが今宵の月のようにで ”いつの日か輝くだろうあふれる熱い涙” と歌っている様に。でも最近思うんだけど努力している時も願いが成就した時と同じように輝いているんじゃないかなと思う。結果はどうあれ、また結果の基準や評価だって自分で決める訳だし。登山家の栗城史多が両手指の第二関節を殆ど切断しても、尚無酸素でエベレストの頂上を目指したように、しかも超難関ルートで。もちろんプロの登山家や一般市民からも批判を受けた。私もデス・ゾーンを読んでやはり彼の納得できない所もあるし、彼が批判を受けるのも分かる。ただ不思議と何かが心の中で消化できずに残っていて、気になってしまう。彼は人から ”そのチャレンジは無謀だ” ”下山家” ”ペテン師” だとも言われていた。でも私は常人が思いつかない事を考え挑んだり、何回失敗しても山に軸足を置こうとしたり、エベレストの登山に何度も失敗しては再チャレンジしている彼を見て確かに無謀なのかもしれない、ペテン師なのかもしれないと感じたが、ただもしそうだったとしても、そのことに自分の命を捧げられますか?と思う。彼は志半ばで滑落死した。僕は僕個人の意見としては登頂こそ果たせなかったが、自分のイメージを完成させようとはしていたと思う。そんな彼のアートでエモーショナルな生き方は目標達成は無理だったけれど、輝いていたと思う。おそらくその辺りが自分で気になっていたのだろう。

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