満足のなぞ
満足:完全なこと。十分であること。不平不満のないこと
今の私は、この環境や生活、自分を取り巻く全てにおいて、満足しているのだろうか。
というか、満足とはなんぞや。
唐突に浮かんだこの疑問の答えが気になってしようがない。
「満ちる」+「足りる」
から成るこの熟語は、その片方の漢字からも容易に想像できるような意味しか持たない。となると、この疑問の答えを出すのは簡単だと思われる。
そう、満足か、不満足か自分で選ぶだけ。
でも、ここで満足を選ぶと、自分の中で問題が生じる。
現状に満足なんて言葉があるけれども、果たして本当の意味で満足のいく生活を送っている人はいるのだろうか。
その生活は完全で、不平不満のないものなのか。
先日、ストレスのない環境でマウスを飼育したという研究を目にした。そのマウスたちは、最初の方こそ餌にも繁殖にも困らず生活していたが、やがておかしな行動を取り始めたり、仲間や自らを傷つけたという。
生物の生育にとって、適度なストレスは必要不可欠なのだろう。
だとするならば、満足な、完全な、ストレスフリーな生活など不可能なのか?
否、この主張は、誤りである。そもそも「満足」の中に、ストレスがいっさい無いという規定は存在しないはずだ。「適度なストレスがある」ことがそもそも完全な環境とするので有れば、満足自体は達成することができるだろう。
簡単に言えば、
自分でどのラインに満足を設定するかによる。
ということだ。
が、これだと「この意見は、あくまで個人的なものです。」とかいう通販でよく見るアレと同じ結果でしかない。
だから、ここでは私なりに満足を考えたいと思う。
まず、現状の衣食住を考えてみる。
最初は、「衣」。
私は現在大学生であり、最近やっとファッションとかいうものをごく僅かながら意識しはじめた。アルバイトで貯めたお金で、気に入った洋服を買ったりもしている。でも、もちろんお金には上限があり、欲しいもの全てを手に入れたりはできない。お金の関係で、諦めることもしばしば。
つまり、総合的にみて、不満足である。
次に、「食」。
幸いなことに、飢えに苦しむことなく、食事にありつけている。しかし、最近は量より質を求め始めてしまい、食べたいものが次から次へと出てくる。特に海鮮。
結果、これも不満足。
最後に、「住」。
現在私は、とんでもないくらい安い家賃のアパートで一人暮らしをしている。広さは十分で、まさに「住めば都」。しかし、できることならもう少し綺麗で、駅から近い方がいいなぁ、、、。
またしても、不満足。
つまり、衣食住全てにおいて私は満足していない。加えて言うなら、人間関係、学業においても同様であった。
なぁーんだ、満足なんて存在しないじゃん。
と思っていたら、ふとしたことに気がついた。
先程、衣食住に考えていた際に、全て不満足という結果になったにも関わらず、自分の中では「アレも嫌、コレも嫌、イヤイヤー。」なんて気持ちはない。
つまり、現状がある程度「良い」と思っている上で、更なる「凄く良い」を追い求めた結果、満足が遠のいてるのではないか。
「満足」は確かにきっとどこかにある。けれど、それに辿り着く前に、どんどん遠ざかっていくのではないか。
そう、つまり、宇宙の端っこみたいな。
宇宙に端っこは、確かにあるはずだ。だけどどんどん遠くなって行くから、見たくても追いつけない。そんな感じ。
だとするならば、常に更なる満足を追い求めることこそ真の満足なのでは。
ん?意味わからない。
変な言葉で言うなら、「不満足だから満足してる」だろうか。
ん?わからないぞ。
もう全く何がなんだかわからない。満足が目的なのか、それとも違う何かがあるのかすらもわからない。
でも、より良いものを我々は求め続けるのだろう。それだけは、長い歴史から見ても確かに言える。
「不満足だから満足してる。」
今日得られたのはコレだけ。
脳がパンクする前に、終わるとしますか。
さもないと、「満足」のせいで満足に寝れなくなっちゃうからね。