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Omotenaが当たり前の世界Part1〜盆と正月がいっぺんにきた京都〜

はい。ヒロッシーです。
今回は、Omotenaが当たり前になっている世界観を、初の小説風に描きたいと思っています。

えっ?小説風?
はい!
書いたことぉぉぉぉ〜〜(猫背になって)

ない!です!(きんにくん風に背筋ピン!笑顔&自信満々!)

でも、、、向き不向きより前向き!
なんでもチャレンジャー!というわけで!
いざ、はじめてみます。

僕は新しいことを手がける時に、今オススメしているものが広まったらこういう未来になる!ということを先に考えるようにしています。
(詳しく書いた記事はこちらです↓)

産業期ドローンを販売していた時も
アクティブラーニングの開発をしていた時も
新しい人事研修プランを作っていた時も

広まった後どうなってるいるか?どんな影響を及ぼしているか?などなど描いていくようにしています。

そうする理由は、描いていることを語れるようになるからです。
オススメする時にお客さんや相手の心に届くようになるからです。

どんなに便利な機能があっても、それだけを伝えては人の心には届かないと思っています。
このサービスのこの機能はこのように優れています!と伝えること以上に、広まった後の未来
この未来を自分の言葉で語ること。

というわけで、今回はOmotenaが広まっている京都を舞台に、数年ほど未来のお話しをお伝えしたいと思います。

ここからは、名古屋から一人仕事で京都に来た主人公「僕」のお話しです。

2025年 観光都市「京都」の春

(100%フィクションです)

① コロナ収束宣言からはじめての「春」

2024年12月。時の内閣総理大臣は国民に向けて「コロナ収束宣言」を発した。その年の夏ぐらいからほぼ世界同時多発で宣言されていき、日本政府は世界の後を追うように国民へ宣言をした。

時の内閣総理大臣 会見

宣言はテレビで生中継された。相変わらず辿々しく何かを読みながら。
どうしてこんな時ぐらい自らの口で話さないんだろうと僕は思った。

ほんとにみんなコロナで大変だったんだし、「今日を機にコロナでこれ以上騒ぐ必要はありません!」と言ってガッツポーズぐらいしてもいいんじゃないか。

でも、まぁいいか。もうマスクをつけなくていいってことになったし、お店にも気兼ねなく飲みに行けるし。

つまり、この日から「人類はコロナに勝った」というカタチだ。

その背景はこうらしい。
研究機関・民間医療からの働きかけが活発化。政府や行政との連携も時間とともに深まりコロナ対策が現場レベルで日に日に強化されていった。

中でも現場の踏ん張り。これが何よりも大きかった。
日本の医療現場や保健所は確かに追い込まれていたが、追い込まれれば追い込まれるほど、現場レベルで「地道な努力ができる方」「センスの高い方」「技術力の高い方」「気配りのできる方」「組織の強みを発揮できる方」たちがチーム一丸となり、堪りかねて声を上げ出した。

「もっとこうすればより良く患者に対応できる!」
「もっとこう変えていけば感染をおさえていくことができる!」


お堅い医療や行政の世界。組織特有の「壁」が立ち塞がり、なかなか物事が決まらない。現場での意思決定が遅れる始末。
そんな中、腹の探り合いなんかしている場合じゃない!そんなことしている場合ではない!と、組織の壁を破り出し、多くの現場でイノベーションが巻き起こっていった。
そして、工夫に工夫を凝らした結果、各地の医療現場や保健所で、とうとうコロナの広がりを封じ込め出した。

医療現場の頑張り!

それは世界各地でも同じ現象が起きていた。トップも現場も同時多発的に動き、活躍し続けるようになった。
結果的に世界レベルで免疫が広がり、また、副反応の薄い新薬の開発・普及も拍車をかけ、感染者・重傷者数はさらに激減、新型コロナウイルスの恐怖は、インフルエンザと同等レベルになった。

また、マスコミたちはコロナに関するニュースなどの時間を制限するという異例の協定を交わし、テレビでコロナウイルスを取り上げることがほぼほぼ無くなった。同時に国民は毎日の感染者数の増減で一喜一憂することが無くなっていった。

コロナを取り上げるニュース放送時間も激減

世界は「ウィズコロナ」ではなく本当の意味で「アフターコロナ」の時代に突入したと言える。


「えーと、確か2019年の12月ぐらいだったっけ?」
僕は呑気に思い出していた。
確かツイッターを見たら、「謎のウイルス発生」というニュース。
それから世界は徐々にひっくり返っていったなぁ。。。
人類はこれまでにない新しい脅威と向き合うようになったあの時のことを。。。

2020年から約4年ほど、みんなマスクをつけて、ひらすら消毒して、電車の中で誰かが隣でくしゃみ一つすれば、疑心暗鬼になってしまったあの4年間。

マスク・消毒・ソーシャルディスタンスを続けた4年間

特にお店をしている人は、どの業種もみんな大変だった。
給付金が出るお店、出ないお店。
お金だけじゃなくて、そもそもお客さんが来なくなるという精神的ダメージ。
お客さんの笑顔。どのお店も一番大切にしていることだし、直接その笑顔が見られないということが一番きつかったと思う。

お店以外でも、学校、家庭も、あらゆる仕事で対応が迫られた。
人々の生活や営み、その全てに様々な負の影響が生まれた。

こんな時に柔軟な意思決定ができない組織ほど苦しめられていたと思う。日本の場合、特にそこが課題だったんだとあらためて気付いた方も多いと思う。

そして、なぜか「命」か「経済」かという、この二元論で考える方が増えた。どちらも大切だし、そもそも一番怖いのは「人の分断」なのに。
なぜこの2つの軸で分断を煽るんだろう。

僕は、やっぱり理解ができなかったなぁ。

、、、。

でも、それも今や過去の話。
とうとう終わったんだな。。。

今は2025年春。
鴨川沿いで飲むコーヒーがめちゃくちゃ美味い。

春の生暖かい風が吹いている。
マスク無しでも外に出ていいことになったし。
だから、顔に当たる風がとても気持ちいいんだこれが。

鴨川でコーヒー片手にのんびりしてる僕

② 空白の4年間?

あの時のことを「経済が止まった空白の4年間」と言う評論家がいた。
しかし、今こうして人でごった返す街の光景を眺めていると、決して「空白」じゃなかったと思う。

そう。空白じゃなくて、まるで「バネ」みたいな感じ。

コロナ渦の時はずっとバネが縮まっていて、それが収束宣言後、ビョーン!と伸びた。
だから2025年の今、はち切れんばかりに凄まじく伸びている。
バネの伸び方が凄い=人流が本当に増えたという感じ。

コロナ渦はバネが縮まっていたという見方

あれから新型コロナウィルスの影響は完全に影を落とし、京都の街は確実に元に戻った。
いや、むしろコロナ前よりも街は人で溢れ、お店も賑わっている。
観光都市『京都』の真骨頂といった感じだ。

だから、空白ではなかったと思う。

辛い時を乗り越えたからこそ「今」があるんだ。

さらに今、寒い冬から少しずつ暖かくなり「春」が来た。
春がきたらみんな誰もがウキウキするからね。
伸びきったバネがさらに勢いよく伸びる。

皆の心は「喜びひとしお」ってやつだ。

収束宣言からの初めての春。
だから当然といえば当然かぁ。
誰もが、「盆と正月がいっぺんに来た!」って感じだな今は!

とまぁこんなことを考えながら、僕は人だかりの喧騒に満ちた四条河原町の鴨川沿いに座り、気分良くコーヒー片手に一人物思いにふけっていた。

人で賑わう鴨川

さぁて!
名古屋から一人仕事で京都にはじめて来たけど、仕事も早く終わったことだしなぁ!
帰りは明日の晩だし、おもっきり羽伸ばすかー!!

はい、今回のお話しはここまでになります。

お先にお伝えしますが、鴨川で一人コーヒーを飲んでいる『僕』は、決してヒロッシーではありませんのであしからず。(ヒロッシーが思ってそうなこと書いてますけどね笑)

話は戻りますが、人、人、人でごった返す四条大橋の鴨川。
名古屋から一人京都に来た主人公の「僕」はこれから、さて、どのような展開になるか
、、、

それでは!今回も最後までお読みいただきありがとうございました!

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