サルはそのうち人間になるのか?
大人が普段忘れている自然な疑問を、子供はふと思い出させてくれたりします。子供が発した一言から、いろいろあれこれ考えて、ふと気づくこともあるものです。
似たような目線・発想をする者同士より、違った目線・発想をする人と一緒に考える方が面白い。子供は絶好のパートナーです。
サルはそのうち人間になるのか?
後でのんびり考えました。いや、サルはこの先もサルのまんまでしょう、たぶん。サルはサルなりに進化するのかもしれないが、おそらく人間になったりはしないでしょう。未来のことは断言できませんが、きっとそうだろうと思います。
でもねぇ、「サルが人間に進化した」と言われると、サルがそのうちみんな人間になっちゃうように聞こえますね。娘がそう思うのは当然です。誤解しやすい言い方なんですよね。
想像してみました。サル山のサルの一匹がある日突然人間になったとか、サルの赤ちゃんの毛がすこしずつ抜けて気がついたら人間になっていたとか、ジャングルの高い木の上に村があるので聞いてみたら「あの人たちついこの前までサルだったのよ」とか。いやいや、それはないでしょう。
「サルが人間に進化した」というより、本当は「サルと人間に分かれた」んですよね。どのタイミングかはわかりませんが、どこかで枝分かれしたんでしょう、たぶん。その瞬間を私は目撃したわけではありませんから確証はありませんが、きっとそういうことなんだろうと思います。
それに、進化というけれど、退化した部分だってあるはずです。というより「進化」という価値観を匂わせる表現がまた胡散臭いんですね。変わる方向性が「良い方向」だと決めつけています。
「進化した」と言うより、素直に「分かれた」と言えばいいんじゃないでしょうか。考えてみると、「分かれた」という言い方なら、生物に限らず、地球そのものについても同じ言葉で語れます。
分かれて分かれてどんどん細かくなって、多様性に満ちた今がある。「進化論」改め「分化論」です。
もし性別が3種類あったら?
えっ、3つ???
「それじゃ、結婚するのも大変だな。3種類がいい感じで出会って、気持ちとタイミングがぴったり合うなんて、難しそうだなぁ」
関係を維持するのも難しそうだ。2種類のときよりも、3種類になったら、もっと難しいだろうな、そんなことも考えました。
話は微妙にズレてきているのかもしれません。もともとの話は「どうやったら子供ができるのか」という話だったんでしょう。そこに戻すべきでしょうか。
そんなことを思っているうちに、私の頭は「3種類で子供を作るとしたら、どんな風になるんだろう?」という方へ行ってしまいました。そして空想するうちに、こりゃ大変だと思いました。その煩わしさは、2人の場合とは比べ物にならないでしょう。
私は娘に答えました。「3つだったら、少子化がもっと進むだろうな。きっと『2つ』が最適解なんだよ」
「ふーん ・・・ そうなのかな?」と娘。
娘からの追及はとりあえず止みました。ここから先はママ、よろしく!
子供の気持ち と 大人の気持ち
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〜 子供といっしょに考える科学 〜
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