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chitoseshizuoka
「自分らしい」とは、爽快感を伴う行動のことである
朝の瞑想で爽快感を得た。薬を飲む前だったので、気怠さが起きることはなかった。
勉強会の登壇スライドが出来て、職場の上長と話も出来て、個人的には爽快感のある一日となった。スライドが出来ずに悶々としているより、一回作りきってしまい、明日の自分に推敲をさせようと思う。
本日の記事のタイトルは、「セルフアサーショントレーニング」の一節よりヒントを得たものだ。
自分とは何か?という問いが本書にあり、よく分からずにいたところ、「アサーションとは、爽快感を伴うものです」という一節があったのだ。
ということは、「自分らしくあるかどうかの判断の基準は、行動した後に爽快感を伴うかどうかだ」と考えたわけだ。
本日はイライラすることが多く、脱フュージョンが役に立った。しかし、爽快感を感じる行動があったかというと、そこまでは無い。
強いていうなら、上長と会話したとき、自分の思ってることを言えたときにスッキリした。スッキリしたとき、おれは「自分らしく行動していた」のだと感じた。
自責のイメージも起きたし、イラついたし、他人に軽蔑の心を向けたときもあった。しかし、自分に慈悲の心を向けることで、気持ちが穏やかに、爽快になる。
優しくあるということは、怠惰を意味しない。人間だから、ダメな所があって当たり前だ。当たり前を当たり前に認められたほうが、幸せに生きることができる確率は上がるだろう。
幸福度を上げて、ストレス度を下げる。ごく当たり前のことだが、これが非常に難しいからこそ、学問として学ぶ価値があるのだ。