【ショートショート】すべてがポルノとなる世界で
太陽はなぜか透明で温かく、今日は2040年の10月3日。今年は例年に比べて秋の入りが早く、21世紀以降とうとう極まった温暖化も嘘みたいだ。気持ちいい陽の光に揺られ俺は目を覚ました。
朝起きて戸棚を開くと、サプリメントとフリーズドライの培養肉が入っていた。今じゃ電気を食って環境に悪いからって言うもんで、冷蔵庫は市場から追放されている。電気の使用料はここ20年で10倍に跳ね上がった。平均賃金も3倍に上がってくれたのでまだマシなのかもしれないが、食生活が昔の連中より後退しているのは何なんだろうか。
飯を食いながらパーソナルニュースシステムにつながり、ゴシップ記事を読み漁る。SNSは5年前に禁止された。人間の思考能力を奪い、世界の可能性を縮め、暴力を扇動するからだ。一部のオールドスクールたちは怒り狂ったが、大半はそれ以前にSNSなんて使わなくなっていた。パーソナルニュースシステム(PNS)は第三次大戦期に開発された眼球埋め込み型ARデバイスだ。このデバイスの使用者にとって、目に映るすべてのものは、内蔵のAIが個人用にチューニングした編集情報となる。暴力的なニュースはもちろん(大半のばあい)表示されないし、街中でショッキングな映像や場面に出くわしたときは必ずモザイク処理された状態しか見えない。もちろんハッキングによって多くの人間の脳内にグロ場面が流れるようになったことは一度や二度ではない。ただそういった集団トラウマがあるたびに、種々の精神安定技術が駆使され、被害者の心の安寧が保たれるようになっている。この手の技術がここ20年でこれだけ発達したのは例のごとく戦争からだ。世界中で3億、日本でも100万近くが死んだ第三次世界大戦では、特に西部戦線(欧露戦争)において兵隊1人1人の価値を極限まで高める方法が模索された。超高性能な人工義肢を皮切りに、先程のPNS、ロボットの戦場投入などさまざまな方策が採られた。中でもPNSは人間の知覚を支配することができる点で、政府にとってはあまりに都合が良く、戦後急速に普及することとなった。戦争に対して鈍重な対応しか示せなかったGAFAは急速に衰退した。
当たり前のように俺たちの社会はディストピアを迎え、俺たちに抵抗する手段は残されていなかった。いや、抵抗する対象すらはっきりとしていなかったのだから抵抗などできようはずもない。日本政府はこの20年間本当に頑張ったと思う。中国は攻めてきた。当たり前のように攻めてきたけれど、望外にも日本は勝った。最初のほうはそれはもう敗勢だった。台湾本島は取られ、沖縄本島に上陸され、シーレーンは分断された。食糧危機がもちろん危ぶまれ、1年間でものの値段が倍になった。ミサイルも何発か落とされ、甚大な被害が出た。それでも俺たちは勝った。日本政府の曲芸のような外交と、官僚の頑張りと、俺たち当時の若者が戦場で流した血によってだ。その過程で当たり前のように俺らの社会はディストピア化した。全ての情報は国家に一元管理されるようになり、犯罪行為は日本から消えた。とんだ監視社会だ。健在だったころの中華人民共和国がかわいいくらいだ。今や日本では、どういうやり方でこうなったのかは知らないが、犯罪の全認知件数は月10件以下だ。
飯を食い終わった俺は女を待つ。俺は40近くのジジイでマトモな就業スキルもないし、戦争に行ったとき一度顔の右半分を吹っ飛ばしている。高度な整形技術と長年の通院である程度はみれる顔になったが、どうしても厳しいものがあり、こうして戦傷者年金を貰いながらその日暮らしのアルバイトをやっている。そんな俺でも最近彼女が出来た!リフレ嬢の女の子で、何度か通っていたらデートしてくれるようになり、そのまま付き合うようになったのだ。別に俺に認知の歪みがあって、嫌がる嬢を無理矢理連れ出しているわけではない。嬢は確かに付き合ってくれているし、そうでなければこうして俺が部屋に招いて来てくれるはずもない。
インターホンがやや乱暴に鳴り、嬢が入ってきた。嬢は間に合わないと思って走って来たのか少し頬が上気しており、それが俺の固い怒張を誘う。
「あー…、走って来たの?笑笑」
玄関で乱暴に服を脱がし、特に片方のヒールなんて脱げていないまま、俺たちはそのまま交尾に及ぶ。一度嬢が切なげな声を上げて絶頂に達すると、俺たちはそのままソファに行き2度目の愛の交歓に励む。元々の遅漏と年のせいもあり1時間近く続いた行為は、俺の射精で一応の終わりを見た。
ごろんと寝転がった俺は裸のままの嬢にこう尋ねた。
「俺の顔って実際ものすごく醜いと思うし、年取ってて金もないのになんで付き合おうなんて思ったんだ?」
大学生の頃恋愛工学を習得し、女の前で弱さを見せてはいけないことを学んだ俺だったけど、一時間近くの性行為での疲れからかつい聞いてしまった。
「好きだからに決まってるでしょ、ねー」
嬢は答える。嬢は昔の、それも戦争と疫病ですべての「(第二次大)戦後文化」が押し流される直前の、2010年代文化が好きだった。米津玄師、大森靖子、andymori、銀杏BOYZ、King Gnu…、いずれも俺が青春を過ごした時代の偉大なミュージシャンだ。今や我々の大半は、脳波フィードバックでAIが作った個人用音楽しか知らない。かつての音楽は「低質」なものとして顧みられなくなっており、音源を入手するのも一苦労だ。それでも嬢は「その不完全さがいいと思うの」と言って昔の音源をかき集める。
ひとしきりシャワー浴びて(ここでも年甲斐なく一発してしまった)、昼ごはんを2人で作って食べるともう2時を回ってて、嬢はその深みのある笑みを向けて去った。なんでも嬢としての仕事があるらしい。俺は一度だけ、やめてもいいんだということを口走ってしまったが、その時嬢はいつもより更に数段美しい笑みで、
「あなたにしか心は許してないつもりだから」
と言ったのを覚えている。俺の人生の中でこの女以上が現れることはないのだろう。俺は以来、ずっとふわふわとそう思っている。
「あれ」
嬢が忘れていったと思われる本が転がっていた。あれは確か三秋縋の『君の話』だ。俺も一度読んだ覚えがある。テン年代に流行っていた恋愛小説作家で、俺も好きだった覚えはあるが、それほどメジャーな作品でもなかったはずだ。嬢の懐古趣味が高じたのだろうか。果たしてこれを手に入れるのに彼女はいくら大枚を叩いたのだろうか。とりあえず彼女が働いている店に電話を繋げなければ。SNSが消えた今、固定電話というのはいまだに現役なのだ。中でも俺は最近妙に忘れっぽくて、また彼女の携帯番号を忘れてしまった。とりあえず仕方ないので店にかける。
「はい。」
「まいが働いている店だよね?まいが家に来たんだけど、帰り際に本忘れてったみたいでさ。」
「当店従業員のまいは現在勤務中です。追って連絡いたします。」
クソッ!俺には寝取られ趣味などない。ボーイの無神経な発言に激昂しかけながら、「わかったオーケー。早めにしてくれ」と言って切る。
ややしばらくして電話がかかって来た。
「当店従業員のまいに確認しましたが、貴方とは付き合っていないという風に申していました。ご奉仕しました記憶は4回ほど。店外サービスをしたことはないとも。人違いではありませんか?」
「あーそうかもしれない。お騒がせしてごめん」
とだけ言って切った。
……俺は出征前はこれでもそこそこの高学歴で家族からも期待されていたのだ。こうにも状況証拠を提示されれば嫌でも分かる。
まず俺は戦傷者で顔面がぐちゃぐちゃになった中年男性だ。財力もない。あれだけの女が入れあげるはずがまずない。
その上妙に俺の精神、思想、願望にチューニングされた発言、趣味、遅漏にしても妙に遅すぎる射精時間、あれだけ激しく行為した割には水分を吸収していないソファ。手際よく置かれた俺の好きな小説。すべて、すべて、すべて。すべて……
PNSがこうあって欲しいという願望を生成しただけなのだろう。これじゃあ犯罪も起きないわけだ。俺は耐えきれなくなって部屋を飛び出した。
退屈な午後は俺に妙に柔らかく、街中では戦傷者に優しく作られたユニバーサルデザインが氾濫し、俺は今日も正しく街に受け入れられている。俺は、あのリフレ店を燃やそうと、あのクソったれのボーイを殺そうと、女を燃やそうと、歩き出したところで——————
——————全てを忘れて、呆けて立っていた。
「あれ、俺って何してたんだっけ?」
明日のゴミをまとめてなかったな。やるべきことを思い出した俺は、公営マンションの3階へ帰路についた。女の鼻歌のような秋風が耳をからかう。今日は年内でも一番くらいに過ごしやすい良い天気で、いい日だ。