「ブルーピリオド」に学ぶ、良作は僕らを生かし、そして殺す。
「何かオススメのマンガ教えてよ」
この質問の正解回答が未だに分からない。
大学院でも、会社でも、海外でも、理想的な回答を得るには至らないまま無駄に歳を重ねてしまった。どこまでいってもコミュニケーションの問題は人を苦しませる。碇ゲンドウが相補性のない世界を望むのは必然だと思わざるを得ない。
(相補性の巨大なうねりを熱く語るリツコ:画像引用)
世の中には膨大な数のマンガがあり、そのジャンルも果てしない。多くの人に受け入れられる王道か、あなたの感性に合う良作か、私だけが知っている名作か、いったい何を答えるのが正解なんだろうか。
本来はもう少し噛み砕いて質問してもらいたいのだが、この手の質問をしてくる人は(個人的な体感として)あまり頭がよろしくないので、こちらが意図を汲んで答えなければならない。
ちなみに私もよくこの質問をする。コミュニケーションむずい。
またここで回答を難しくするのが、それなりにマンガを読んできたというプライドだ。無難な名作を答えておけば差し障りのないケースが多いのは理解しているのだが、なんとなくこの手の質問はこちらの趣味嗜好やマニアック度を試されている節がある。
「呪術廻戦の次は東京卍リベンジャーズがアツいらしいよ?」などという凡庸な回答をするのは釈然としない。いくら作品が面白くても、なんとなくプライドが許さない。
だからといって「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクションがオススメだよ」なんて言ってしまえば、何だコイツと思われて終わる。噛まずにタイトルを言えた時点で負け確という……浅野いにおの罠。
こうした葛藤の中、暫くはその時々の旬な作品や相手の感性に合いそうなものを真摯に勧めていたのだが、だんだんと面倒くさくなってしまい、最近では「SLAM DUNK面白いよ!」と反射的に回答することが多くなった。
こうすると大体の人は「それは知ってるよ〜!」となって、SLAM DUNKトークに花が咲くか、もう少し具体的なジャンルや作風の希望を示してくれるかになり、会話がスムーズに進む。
唯一の欠点は、「お前らが思っている50倍はSLAM DUNK面白いからな!」という自分でも鬱陶しい熱量を上手に隠さなければならないことだ。
こうして上手くやり過ごす方法だけを覚えて、真実の回答を知らぬまま今に至ってしまった。きっとこの先の人生でも、正解を知らぬまま歳を重ねていくのだろう。
けれどそれで良いと思う。頑張ってオススメしたって、その人にハマる保証なんてない。自分の感動は自分だけの宝物であり、その宝物は他人から見たらゴミクズの可能性だってある。ならば、自分だけがその宝物を大切にすれば良いのではないか。
今回紹介する『ブルーピリオド』から得た感情は、間違いなく私の宝物である。参考にしたい人は好きにしたら良いと、開き直ったひとこと付け加えておきたい。
「そうだ、うれしいんだ生きるよろこび」
良作生産機こと月刊アフタヌーンで連載中の『ブルーピリオド』。本作は以前の記事でも紹介したマンガ大賞の受賞作でもあり、2021年10月よりアニメ放送が決定、ブルーピリオド×YOASOBI×ブルボンというよく分からないけどめちゃくちゃ良いコラボCMが流れたりと、枚挙にいとまがない。
成績優秀かつスクールカースト上位の充実した毎日を送りつつ、どこか空虚な焦燥感を感じて生きる高校生・矢口八虎(やぐち やとら)は、ある日、一枚の絵に心奪われる。その衝撃は八虎を駆り立て、美しくも厳しい美術の世界へ身を投じていく。
『ブルーピリオド』Amazon商品概要より引用
(バチクソに良い意味不明なコラボCM:Youtubeより動画引用 ブルボン(BOURBON)作)
いま連載している作品の中では、『ブルーピリオド』は頭ひとつ抜けたクオリティを示す良作だ。
特に『ブルーピリオド』『BLUE GIANT』『アオアシ』とタイトルに青を含むこの3作は本当に素晴らしい。あまりに素晴らしすぎて、これらの作品がハマらない人とは正直友だちになれそうにない。
個人的な定義で恐縮だが、良作とは読後に空虚感をあたえる作品である、と考えている。
良い作品ほど読者に多くの充実感を与えるが、どんなに優れた物語も人生という長いスパンから見れば一瞬の出来事であり、その時覚えた感情は長続きしない。むしろ感情を反芻していく内に空虚感を覚えることになる。充実感が大きいほど、胸に開く穴は大きい。
しかしこれは悪い経験ではない。空虚感と書くとマイナスイメージを思い浮かべるかもしれないが、この穴を埋めるために何かしらの努力や行動変容が生まれるのであれば、むしろ価値ある経験を得ることができたといえる。
『ブルーピリオド』は感情をバキバキに揺さぶってくるので、読後に「こんなにぼんやり生きていて良いのかな…」といった猛烈な空虚感を覚える、その連続である。
芸術をロジカルに考察していく工程の中で放たれるドキリとする言葉に、終始翻弄されてしまう。ある時は共感とともに勇気づけられ、ある時は非情なまでに読者を現実に突き落とす。
例えば主人公である八虎が、格式高いと決めつけていた伝統芸能が実は庶民のエンターテイメントであったと知るシーン。知識を得ることが物事を多面的に捉えることに繋がると気づく彼の姿に、どこか背中を押されるような気持ちになった。
(知識って本当に凄い:『ブルーピリオド』8巻より引用 山口つばさ著)
私がnoteを始めたのは、半ば無理矢理にでも本を読むきっかけが欲しかったからだ。そうでもしないと、よくいるイキリおじさんになりそうで怖かった。
教養や経験のない人は物事を一面からしか捉えることが出来ず、他の視点からの見解があることなど気づきもしない。そうして無駄に年を重ねたイキリおじさんは誰からも愛されない悲しい存在となる。色んな場面で有益な情報を提案出来たほうがどう考えても良い。
例えば天の川。多くの日本人は天の川を見て、東アジアの神話である織姫と彦星の物語を思い浮かべるだろう。
しかしそれ一辺倒ではイキリおじさんまっしぐらである。せっかく世界は広いのだから、夜空を眺める子供たちに「実はこんな物語もあるんだよ」と教えてあげれたほうが、好かれるおじさんになれると思う。
そんな時はギリシャ神話を頼ると良い。
ギリシャ神話における天の川の起源は、ゼウスがヘラクレスに永遠の命を与えるために眠るヘラの乳をこっそり吸わせたら、ヘラクレスの乳を吸う力が強すぎて、痛くて飛び起きたヘラからこぼれた母乳が天の川となったとされている。
(左乳から出た母乳が天の川に、右乳から出た母乳が百合の花になった:『The Origin of the Milky Way』 Jacopo Tintoretto作)
うん………まぁ正直、あまり好感度を得られそうにない無駄知識のような気もする。
子供が純粋に「今年こそ天の川見れるかな」とウキウキしている横で、お前が楽しみにしているのはしょうもない理由で夜空に飛び散ったヘラの母乳なんだよと、私だけが申し訳ない気持ちになるのは不公平なので、読者の方もこの無駄知識は覚えて頂いて是非同じ目にあって頂きたい。
「たとえ胸の傷がいたんでも」
前述のように、私たちは『ブルーピリオド』から明日を生きる勇気を得ることが出来る。その一方で、本作は容赦なく読者を奈落の底に落としていく側面も持ち合わせている。
例えば、人を惹き付ける絵を描くには「自分勝手に心から楽しむ力が必要」とアドバイスをもらう場面。八虎はその真面目な性格から、表現したいことよりも技術や理論が先行してしまい、絵を描くことを楽しめないともがき苦しむ。
「矢口は真面目だね」という予備校講師のふとした言葉が頭をよぎり、その意味を噛み締めながら彼は絶望する。
(こんな苦しい描写ある?:『ブルーピリオド』4巻より引用 山口つばさ著)
八虎と共に、過去に私も経験した「羽目を外せない」「本音を出せない」という苦い記憶が蘇えり、奈落の底に落とされたような気持ちになった。
「いまは我を忘れて感情に身を委ねたほうが絶対に楽しい時!」と理解していても、真面目さが枷となって素直に感情を表すことが出来ない経験を何度もしてきた。特に中学〜高校生の頃が顕著であった。もちろんそんな時ばかりではないが、どうしても他人の反応が気になってしまうのだ。
きっとそんな人間は、多くの人を惹き付ける特別な存在にはなれない。凡庸な個体は、群れの中に埋没していく。
学生生活を抜け出し社会人になっても、残念ながら自分が特別な存在ではないと再認する経験は続く。業務の評価を受ける面談の時はまさにそうで、解読困難なアドバイスと共に自分の凡庸さを思い知らされることになる。下記に過去のアドバイスの一例を示す。
・パッションを感じない
・煌めく旗を掲げていない
・もっと上司をやる気にさせないとダメ
・この仕事は価値があると思うから、その理由を考えておいてくれ
・これ以上ない働きだったな!からの無評価
いやもう、私は名探偵の孫じゃないから意味がわかんねーよ(半ギレ)。なんだよ、煌めく旗って。どこにあるの?どこに売ってるの???
……と、当時を思い出してGoogle検索してみたらクソダサい煌ステッカーが売ってた。
これが煌めく旗だったんだ(ステッカーだけど)。私はこのクソダサい煌めく旗を掲げて仕事をしなければいけなかったんだなぁ(ステッカーだけど)。
こんな時は大抵「どういうこと?」と心のなかでキレ気味に質問してしまう。ちなみに八虎も同じ道を辿っていた。猫屋敷先生の理解が追いつかないアドバイスに焦燥し、言葉を選びながらも異を唱える。
わかる………めっちゃ気持わかるぅー!!
(もうちょっと分かりやすく言えや:『ブルーピリオド』8巻より引用 山口つばさ著)
しかし踏み込んだ質問すると、自分の考えよりも深い意図を持ったアドバイスだったと気づくこともある。
八虎の場合は、「何を・何で・何に」表現したいのか、表現する方法は何が最適なのか、これらを繰り返し吟味することが足りていないという至極真っ当な指摘であった。彼はこれを理解し、苦しみながらも自分が表現したいことを作品に反映することが出来た。
(実は優しい?猫屋敷先生:『ブルーピリオド』8巻より引用 山口つばさ著)
私も13回に1回くらいの確率で、意味不明なアドバイスが実は意図をもった指摘であったことに気づき、自分の思慮の浅さに恥ずかしくなる。本作と異なるのは、私たちの世界には猫屋敷先生のような有能な人は限りなく少ないので、毎回適切なアドバイスを得ることが出来ないという点だ。
多くの場合は意味不明なアドバイスと共に、奈落から脱却する術を知らぬまま生きていくこととなる。現実は非情だ。絶望しかない。
「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」
他にも心を抉られるようなシーンが多い本作なのだが、これ以上自分を例示して紹介していくと心がもたないので、ここから先は私の友人を生贄に捧げて、乗り切りたいと思う。
ここでは、その友人のことを仮にAさんとする。
彼はバキバキのオタクであると同時に心の底からオタクを嫌悪しているという撞着語法の例文のような人である。オタク嫌いのオタク。
私もオタクなので嫌われても良さそうなものなのだが、何故か好かれており色々と親切にしてくれるので、未だに付き合いがある。
そう、Aさんは全てのオタクを目の敵にしているわけではない。長い付き合いの中で分かってきたことだが、彼は自分が嫌いなジャンルを肯定するオタクを嫌う傾向がある。
なんとなく美少女アニメや異世界転生ものを否定しているように思えるが、Fate や転スラは大好きなので、きっと彼にしか分からない度し難い判断軸があるのだろう。趣味嗜好まで撞着語法なのだ。
そんな彼から送られてくるメールの大半が、スマホゲームのガチャについてだ。あのキャラが実装された、あの能力はチートすぎる、あれをゲットできなければ人権がない、など結構な熱量のメールを貰う。
メールだけではなく直接話している時もこんな感じなので、だいたい必殺のアルカイク・スマイルでやり過ごすこととなる。
アルカイク・スマイルは、古代ギリシアのアルカイク美術の彫像に見られる表情。(中略)顔の感情表現を極力抑えながら、口元だけは微笑みの形を伴っているのが特徴で、これは生命感と幸福感を演出するためのものと見られている。
『アルカイック・スマイル』Wikipediaより引用
このような文化的なやり過ごしを行う度に、『ブルーピリオド』のある場面を思い返さずに入られなくなる。
友人と共にサッカーのゴールシーンに熱くなっている最中、八虎がふと我にかえり、テレビの中で繰り広げられている感動は自分とは無関係だと気づく場面だ。
(刺さる:『ブルーピリオド』1巻より引用 山口つばさ著)
「この感動は誰のものだ?」「他人の努力の結果で酒を飲むなよ」「これは俺の感動じゃない」など、多くの読者にもザクザクと突き刺さる言葉が流れるように降ってくる。
私自身も傷だらけになりながら、しかしAさんのことを思わずにはいられなかった。
Aさんは会社員だ。独身で恐らく誰とも付き合った経験はないと思うが、別に誰かに迷惑をかけているわけではない。自立した生活を送っている彼は、まごうことなく立派な大人である。
ただ彼の口から出てくる話題は、マンガ・アニメ・ゲームなどのコンテンツについてのみである。さらに語られる言葉はネットの攻略記事をなぞるような内容ばかりだ。10年以上付き合いがあるのに、彼の口から仕事やプライベートの話は一切聞いたことがない。
彼の多くを占めるものは、他人が作り出したコンテンツなのだと思う。その感動は多くの人が経験する凡庸なものでしかない。彼自身もそれを分かっているのか、自分が選んだコンテンツは特別であると思い込むために、それ以外をこき下ろし、ネットでよく見る価値観で理論武装する様は、あまりにも哀しい。
『ブルーピリオド』で好きなシーンがある。八虎の友人が、諦めていた夢へと一歩踏み出せた自分に感動し涙するシーンだ。彼は八虎が美術の道を志す姿に触発され、彼自身もまた変わろうと動き出すことが出来た。
(ここで毎回泣く:『ブルーピリオド』4巻より引用 山口つばさ著)
頑張っている人の姿は、他人を動かす力がある。知らぬ間に影響を与えあっていた彼らと比べて、私とAさんの関係はあまりにも希薄だ。それなりに長い付き合いなのに、お互いのことを全く知らないままである。
思い返せば、私は自分が結婚したことすら彼に言っていない。この話題は興味を持ってもらえないと無意識に判断していたのかもしれない。結果、彼と深い関係を作ることが出来ないまま、今に至ってしまった。
まとめ
なんだかAさんのことを滅茶苦茶けなしてしまったが、私は彼のことが嫌いではない。腐っても友人であることは間違いないし、彼も私も、そして多くの人も本質はそんなに変わらないのかなと思う。
現代は他人が作った優れたコンテンツが溢れている。自分自身が感動を得られる場面を探すよりも、こうしたコンテンツに便乗したほうが楽なのは間違いない。Aさんが極端なだけで、誰にだってそういった側面はあるはずだ。
しかし、それに一石を投じるのが『ブルーピリオド』なのだと思う。
もがき苦しみ前に進んでいく良質な物語は、私たちは勇気づけ生かし、そして苦い記憶を想起させられ死にたくなる。
こういう作品にはどんどん投げ銭したくなるが、いまのところ過去作を含めてマンガを買うくらいしか手段がない。あとは、ブルボン アルフォートを買うくらいかな。
それでは。
(今までの記事はコチラ:マガジン『大衆象を評す』)