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「ミステリと言う勿れ」に学ぶ、オイディプス王とkemio、知らないことの功罪とは。

先日、幼稚園児である娘が先生に怒られて帰ってきた。なんでも給食の時間に、「○○ちゃん面白くないから隣に座りたくない」と駄々をこねたらしい。


本人を目の前に堂々と悪口を言う幼稚園児。我が子ながら末恐ろしい……。

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(悪口の才能:『HUNTER×HUNTER』17巻より引用 冨樫義博著)


当然の如く先生に怒られた彼女は、その後お相手と仲直りをして事なきを得たようだ。

まだ何を言って良いか悪いかの判断がつかず、つい言ってしまったのだろう彼女に、一体どんなアドバイスをすれば良かったのだろうか。「悪口は隠れて言いなさい」なんて言ったら怒られそうだなと子育ての難しさを噛み締めた。


つい言ってしまった余計な一言のせいで、身の縮む思いをすることは誰にでもある。それは大人であっても例外ではない。

「余計な一言」からいつも思い出されるのは父親との思い出だ。


私の家は絵に書いたような昭和の家庭だった。全ての決定権は父が握っていたし、夕食も父だけがちょっとランクの高いものを食べていた。ユーモアもあり仕事も出来る父は私にとって失敗しない人であり、父は絶対というイメージはいつも側にあった。


ある日、「今日の夕飯は外食にする」と家族で出かけたことがあった。平日の夜に珍しいなと子供ながらに思い理由を聞くと、脱サラした知人のラーメン屋に行くのだと事情を教えてくれた。

夕飯時にも関わらず閑散としたラーメン屋で食事を取り、さて帰ろうかという時に父の知人が挨拶にきてくれた。彼らがしばらく談笑した後に事件が起きた。


知人「相変わらず忙しいんですか?」
父「そうだね、でもまぁいつものことだから」
知人「タフですね〜」
父「君は?開店したばかりだし大変なんじゃない?」
知人「そうですね……最近は定休日も準備したりで休みがないです」
父「そうなんだ、まぁ貧乏暇なしって言いますもんね


えっ?貧乏暇なしって他人に向かって言う??


不穏な空気を感じた母と私は、父の知人の顔を見ること無く、そそくさと店を退散した。帰りの車中で父を咎めたところ、完全に無自覚だったらしく、やってしまったと落ち込む父の姿はとても印象的であった。

数ヶ月後にあっさりラーメン屋が潰れてしまったことも趣深い。


それ以来、父は私を含めた家族から「貧乏暇なし事件」をこすられ続けられている。完璧な父の唯一の失敗は、家族団らんのスパイスとなって今も昇華され続けているのだ。

そう思うと、余計な一言も悪い側面ばかりではないと思えてくる。いつか娘の悪口事件も笑って話せる日が来るのだろうか。

今回紹介する『ミステリと言う勿れ』は、余計な一言から色んな方向に物語が展開されていく興味深い作品だ。



とにかく喋る、アフロの"ひろゆき"

『ミステリと言う勿れ』は月刊フラワーズで連載中の少女漫画である。先月、フジテレビにて菅田将暉くん主演で月9ドラマ化されると報道があり、にわかに注目を集めている。

冬のある日。大学生の久能整は警察署で事情聴取を受ける。(中略)殺人の疑いをかけられる久能に対して刑事たちは高圧的に詰問する。対して久能は寒河江は金持ちの親を持つ鼻持ちならないやつだったと述べ、しかし冷静に、歯に衣着せぬ物言いで犯行を否定する。

『ミステリと言う勿れ』Wikipediaより引用


主人公・久能整(ととのう)の髪型がほとんどアフロなのだが、本作は少女漫画なのでアフロなのにすごくキラキラしている。『アフロ田中』との落差がすごくて、毎回笑う。

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(菅田将暉くんコレになるのか……:『ミステリと言う勿れ』1巻より引用 田村由美著)



表題の通り本作はミステリー要素がメインの漫画ではない。

確かに様々な事件に整は巻き込まれるし、謎解き自体もあるにはある。しかし、解決編で唐突に整しか知らない重要な情報が出てきたりするので、どれだけ読者が注意深く読んでいたとしても謎を解くのは不可能な場合もある。


また、あからさまに怪しい奴や驚くほど存在感の薄い奴がだいたい犯人である事が多いので、慣れてくると謎解きをすっ飛ばして直感的に分かってしまう。

これはミステリー漫画あるあるで、名作『金田一少年の事件簿』であっても1日20冊くらい読むと、なんとなく人相と境遇で犯人を当てることが出来てしまう。私はこの現象を金田一ハイと呼んでいる。

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(犯人にしかこのスクリーントーンの使われ方はせんのよ:『ミステリと言う勿れ』6巻より引用 田村由美著)


刑事コロンボや古畑任三郎のように、謎解きの過程を楽しむでも無く、コナンや金田一のように誰が犯人かを予想する楽しみでもない。では何が本作の魅力なのだろうか?

私は常識に縛られない主人公・整を楽しむことが一番の魅力なのだと思う。


例えば事情聴取中に刑事と雑談をしている場面。奥さんと喧嘩した刑事の「ゴミ捨てとか家事を手伝っているのだから、少しは感謝して欲しい」といった主張に対し、整の返答が以下である。

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(THE 正論:『ミステリと言う勿れ』1巻より引用 田村由美著)


ぐうの音も出ない反論であると同時に、ゴミを集めたことがない人には一生わからない視点が示唆している。こんな感じで主人公は謎解きとは全く関係ない場面でいろいろな余計の一言を話し、そしてそこから物語が展開していく。

一般的な思想や常識に対して、本当にそうですか?と疑問を投げかけてくるので、対峙する登場人物たちが右往左往する。これがなかなか楽しい。Youtube界隈ではひろゆきの切り取り動画が流行っているようだが、案外似たようなエンターテイメント性があるかもしれない。


例えば、「はっきり意見を言ってくれないと、どうしたら良いか誰だって分からない!優柔不断なあいつが悪い!」と憤るおじさんに対して、

「え?あなたは会社では上司の機嫌もとったり察したりしてますよね?出来るじゃないですか。なんだろう、ウソつくのやめてもらっていいですか?

みたいなこと真顔で言ってくる整は、もはやニヤニヤしてないだけのひろゆきである。

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(ひろゆき的な気持ちよさ:『ミステリと言う勿れ』2巻より引用 田村由美著)



もちろん整の意見や考え方が全て正しいとは思わないが、常識と思えることでも少し違った視点から見れば異なる考察がある筈という本作の論旨は面白く、また本作の表題が『ミステリと言う勿れ』というところも、上手だなぁと感心する。


しかし、どんな時にも意見をしてしまう整は正直好ましくはない人間だなと私は思ってしまった。多様な意見があることを知らず受け入れられない無能な人は問題外だが、多くの大人は一般常識を理解した上で波風立てずに上手く生活しているのだ。

そんな凪の世界に一石を投じるめんどくさいやつは、Youtubeでたまに見るくらいの距離感がちょうどよいのだと思う。

世の中には知らないほうが良いこともあるのではないだろうか?



一休さん、王になり母と交わる

古代ギリシャ三代悲劇詩人の一人であるソポクレスの代表作『オイディプス王』は、戯曲(演劇のために執筆された脚本、または台本)のため全編通じて登場人物の会話だけで構成されている。テンポ感がよい良作なのだが、「知ろうとしなければ幸せだったのになぁ……」と主人公の行動に悔やまれる場面が多く、読後はやるせない気持ちになった。


物語の概要は以下の通りである。紀元前の作品なので、ネタバレ許さない!とか言わないで欲しい。

・テーバイの王ラーイオスは「お前の子がお前を殺し、お前の妻との間に子をなす」と神託を受け、生まれたばかりの子を殺そうと決意する
・王に命じられた使いの者は子を不憫に思い、殺さず山に捨てる
・別の者に拾われた子は立派に成長しオイディプスと名乗る
・成長したオイディプスはなんだかんだあって、ライオースを自分の親と知らずに殺す
・王不在のテーバイに訪れた危機をオイディプスが救い、彼がテーバイの新しい王となる
自分の母親とは知らずに前王妃と結婚し、4人の子供をもうける
・なんだかんだあって、全てを知ったオイディプスは自分の目を潰す


いかがだろうか?オイディプスの人生はなかなかのハードだなと感じて頂ければ幸いだ。

ちなみにオイディプス王の物語は3部作で、続編の『コロノスのオイディプス』では城を追い出されたオイディプスが死ぬまでを語り、『アンティゴネー』は残された娘の話でオイディプスはそもそも登場しない。

オイディプス、可哀想過ぎんか……。



実父を殺し実母との子をもうけてしまったオイディプスを、愚かと評する人もいるかも知れないが、オイディプスはテーバイに訪れた危機を救った英雄であることを忘れてはならない。

『オイディプス王』の冒頭においても、神官たちはオイディプスを「人間として最も頼もしいもの」「あなたなら人の世の不幸にも、そしてまた人知を超えた力にも対峙できましょう」と絶賛している。


そのオイディプスの功績とは、テーバイの住民を苦しめていた怪物スフィンクスを退治したことである。下記の絵画はスフィンクスと対峙するオイディプスを描いた作品である。左の女性の顔と獅子の体を持つ怪物がスフィンクス、右の青年がオイディプスだ。

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(思ったより小さいスフィンクス:『Oedipus and the Sphinx』Gustave Moreau作)


なんだか思ったより控えめサイズのスフィンクスだが、絵画をよく見ると右下に死体の足が転がっている。怖い。小さいからとスフィンクスを侮ってはならない。

Tips!:スフィンクスを侮ると死ぬ



そんなスフィンクスがどのようにテーバイの住民を苦しめていたかというと、「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足。これは何か」という謎をかけて住民を苦しめていたのだ。


……住民のメンタル弱すぎんか??


そこに颯爽と登場したオイディプスは、なぞなぞを解くことでスフィンクスの脅威からテーバイを解放した。

やっていることは一休さんと変わらないが、メンタルが弱いテーバイの住民は泣いて喜び、オイディプスはテーバイの王として迎えいれられたという、日本の一休さんとは次元の違う報酬をオイディプスは得た。


ちなみにスフィンクスの問の答えは書かないので、気になった方は『オイディプス王』を読むか、自力で解答して死体になるかテーバイの王になるかチャレンジに臨むと良いと思う。ちなみに私は死体コースでした。



そんな英雄オイディプスは物語の中でライオースを殺したのが実は自分なのではないかと疑い、真実を知っていそうな人を何度も呼びつけ問い詰める。その度に周囲の人はいろんな言葉を投げかけて彼を制止するが、彼の耳に届くことはなく、最後には真実を知ってしまう。

オイディプスが真実を知ったことで、彼の妻であり実母であるイオカステは自殺、オイディプスはイオカステの服を飾っていた金の針で自分の目を潰す。そこからのオイディプスの独白には、思わず息を呑む。

目を潰したのは愚かだなどと、忠告してくれるな。もはや忠告は要らぬ。もし目があったら、黄泉の国へ行ってどんな目で父を見たらよいのか。どんな目で惨めな母を見たらよいのか。この首をくくってもお詫びできぬことをしてしまったのだから。(中略)神々から不浄とみなされ、ライオス王家の穢れである私なのだ。そのような罪の汚点をこの身に背負いながらどうして人々と目を合わせることができようか。できやしない。もしこの耳を塞ぐことができるなら、そうしよう。そして、光も音も受け付けぬ悲惨の塊となろう。

『オイディプス王』 ソポクレス著 河合祥一郎訳



強すぎる見出しと普通の主張

制止する周囲の意見に耳を傾け不必要な真実を知ろうとしなければ、きっとオイディプスは悲惨の塊とならずに済んだはずだ。一方で、オイディプスと同様に周囲の意見を聞かずとも、幸せへの道を一直線に駆け上っているのがkemioさんだ。(以下、敬称略)

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(カリスマ動画クリエイター kemio:『けみお』Wikipediaより引用)


kemioは2014年頃からタレント活動をしており、一時期はテレビにも多く露出していたが、2016年から拠点をアメリカに移したため地上波での露出はほとんどなくなった。現在の主な活動の場は、Youtube, Instagram, TwitterなどのSNSだ。


ちなみにkemioのYoutubeチャンネル登録数は198万人とめちゃくちゃ多い。最近メディア露出が激しいフワちゃんであっても、その登録者数は80万人程度である(とんでもない数字であるのは間違い無いが)。

佐藤健の登録者数が212万人、Nintendo公式チャンネルが192万人なので、Nintendo以上・佐藤健未満くらいの支持を得ているのがkemioと考えてもらって差し支えない。



そんなkemioの著書『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』を読んだ。


最近読んだ著書の中では異次元の文体で構成されており、紀元前の作品である『オイディプス王』を読むより苦労した。以下に本著の見出しの一部を紹介するので、その空気感を感じて頂けると幸いだ。

・疲れたPR活動ばっかしてると人生がチープな作品化しちゃう。頑張って疲れたなら報告UPする前に蒸気でホットアイマスク
・最初に恋愛は男女って決めたのアダムとイブって人だっけ?とりまよくわからないからまぁいっかー
・暗いとこなかったら一生光れないんだから私と一緒にどんどん病んでいこ、病んでる人をバカにするやつはバイみぃ

『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』より引用 kemio著


見出しのインパクトがハチャメチャに強い。人を惹き付けるとはこういうことなのかと舌を巻いた。こういったタイトルを思いつける人になりたかったが、嫁さんからバイみぃされそうなのでやめておく。



ただ見出しの強さとは反比例し、本著の論旨は「周りに振り回されず自分に正直に生きていこう」といった、目新しさのない使い古された主張に一貫されていた。

私の人生においてアメリカに行くことは絶対に譲れないって心に決めてた。変な理由で止めてくるやつは全部うるさい。(中略)だから他人様からの再確認はご遠慮させていただきます、って中指立てて行きました。みんななんでべらべら人の人生に口出すんだろう。

『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』より引用 kemio著


オイディプスみがスゴイ。

このままでは彼はオイディプスのようになってしまう……と心配したが、本の内容とは裏腹に彼のYoutubeはバチクソに面白かった。正直、一気にファンになった。スキぃ。

(マイルズが好きぴとデートに行くから私がコーディネート組んだら割と事故だった汗:Youtubeより動画引用 kemio作)


まくしたてるような早口と謎にテンポ感のある独特の編集が、見続けるとクセになってくる。なによりどの動画もkemioが楽しそうなのだ。動画中の幸せそうなkemioと悲惨の塊となったオイディプスは、とても対照的である。



相対的にしか価値を判断できない

ダン・アリエリー著『予想通りに不合理』では、人間はものごとを絶対的な基準で決めることができず、相対的に比べることでしか価値を判断することができないと述べている。

自分がどんな生き方をしたいのかさえ、親戚なり友人なりの生き方が正に自分の取るべき道だと思えてはじめてわかる。全てが相対的、これにつきる。わたしたちは、暗闇のなかで飛行機を着陸させるパイロットと同じで。車輪を設置できる場所まで誘導してくれる滑走路の両側の明かりが必要なのだ。

『予想通りに不合理』より引用 ダン・アリエリー著


これを実証する実験として、著者はマサチューセッツ工科大学(MIT)の学生に下記のような質問をした。

ある雑誌の購入を考えているあなた。以下の内、どれを選択しますか?
1. ウェブ版だけの購買(59ドル)
2. 印刷版だけの購買(125ドル)
3. 印刷版とウェブ版のセット購買(125ドル)

MITの学生100人の答えは「印刷版とウェブ版のセット購買」を選んだ学生が84人と最も選択されており、「印刷版だけの購買」を選んだ学生は誰もいなかった。同じ値段ならウェブ版もついてくる3番の選択肢がお得なのだから、この結果は至極当たり前のように思える。


しかし別のMITの学生100人に以下のような質問をしたところ、その答えは驚くほど傾向を変えた。

ある雑誌の購入を考えているあなた。以下の内、どれを選択しますか?
1. ウェブ版だけの購買(59ドル)
2. 印刷版とウェブ版のセット購買(125ドル)

結果は「ウェブ版だけの購買」を選んだ学生が68人と、最も選ばれることになった。「印刷版だけの購買(125ドル)」という指標を失ったMITの学生達は、1と2の選択肢だけで相対的な評価をし選択することになるので、安い方を選ぶ人が増えたということだ。

MITの優秀な学生であっても絶対的な評価基準は持ち合わせていない。オイディプスもkemioも、そして私たちであってもそれは同じだ。



知るという鎖、知らないという翼

真実を知ったオイディプスは「追放、ないしは血をもって血を贖う」という神託に従い、盲目のままテーバイから去った。しかし冷静に考えれば、オイディプスをは誰が両親か知らなかったわけで、「しょうがないよね」と許されても何らおかしくない。

だいたい、スフィンクスのしょぼいなぞなぞに怯えていたメンタル弱めのテーバイ市民が、可哀想なオイディプスの追放を強行するとも思えない。

しかしオイディプスは神託という絶対的な指標を基に自らの犯した罪の重さを評価したことで、不幸な道筋を辿ってしまった。彼は神の鎖に繋がれたまま自由になることはなかった。

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(不幸な最後を迎えるオイディプス:『The Death of Oedipus』Wikipediaより画像引用 Johann Heinrich Füssli作)


一方kemioは相対的な評価の指標となる意見を取り入れない生き方を選び、自由の翼を手に入れたことで、Youtubeという世界の空を自由気ままに飛び回っている。

他人からのインプットが少ない分、うっかり使い古された主張を1冊の本にしてしまうこともあるけれど、基本的に彼は幸せそうだ。

(リラックマの英語発音に挫折した。:Youtubeより動画引用 kemio作)


他人からのアドバイスは何かを判断する時の相対的な指標となり、正しい選択をするヒントとなる。

その反面、「自分がやろうとしていたことは既に誰かがやっている」「やるだけムダなんだ」と行動が制限されることや、MITの学生のように選択を誘導されてしまうこともある。大衆にとって、知らないほうが良いことは確かにあるのだ。



まとめ

『ミステリと言う勿れ』の整は多様な視点を持ち、コレに基づいた様々な示唆に富む発言を繰り返している。整と会話した相手は、新たな評価軸を得ることで相対的に自分を評価し直し、ポジティブになったりネガティブになったりする。

これが良い方向に働けば問題ないが、最悪の場合はオイディプスの結末を辿ることも考えられる。

だからといって他人のアドバイスを無視する生き方も私は推奨出来ない。誰もがkemioのような生き方が出来るわけではない。指標のない人生を歩き続けられる人は稀だ。


生きるの難しいなと落ち込んだ私に刺さったオイディプスの母・イオカステの言葉を振り返って、今回は終わりたいと思う。

人のみで何を恐れることがありましょう。運に支配され、先のことなどわからぬのですから。できるだけ気ままに生きるのが一番。

『オイディプス王』 ソポクレス著 河野祥一郎訳


それでは。

(今までの記事はコチラ:マガジン『大衆象を評す』


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