「人は聞き方が9割」を読んで
おそらく、「人は話し方が9割」:永松 茂久(著)というタイトルの方が有名だと思うが、何となく同じ著者の「人は聞き方が9割」を購入した。
上のタイトル2つを並べるとどっちやねんとなるが、僕はどっちでもいい。
この本は、「会話がなかなか続かない」「ついつい話しすぎてしまう」「自分から話題を作ることに苦手意識がある」「もっとコミュニケーションが楽になる方法を知りたい」といった思いをもっている人に贈りますと前書きにあった。
著者は相手から愛される5つの聞き方を「魔法の傾聴」と呼んでいるらしい。一例がこちら
残り4つは個別に記載しないが、魔法の傾聴を1つにまとめたものがこちら
購入して読んでおいてなんだが、いやあ、厳しいね。リアクションを大げさにしたり表情を作ったり、感情を出したりするのは僕が苦手なものだ。
やはりなんでも、人には得意・不得意、向き・不向きがある。僕はこの本をコミュニケーションを改善したいとかではなく完全に興味本意で購入した。
得意な人はおそらくこういった本を読まないと思うし、苦手な人は上の引用内容については拒否反応を示す人もいるだろう。僕もそうだ。
苦手なことをするには特に労力が生じる。方法が一つしかなく、どうしてもその方法を身につける必要があるならまだしも、無理に身につけなくてもいいんじゃないか。身につけている人よりも、不利な場合があるかもしれないが、なくても生きていけるし、他にも自分にあった方法があると思う。
こちらも本書からの引用になるが、悩みについての記述があった。
これ(自分自身で出した答えに納得すること)はそうだろうなと思う。悩みの種だけでなく、解決の種もおそらくはっきりとは認識していないだけで自分の中に潜んでいることもある。きっかけは外からでも自分で結論を出した方が僕はすっきりする。
また、自分で結論を出すためには気を付けなければならないことがあると考える。
読書というのは一方通行で、自分の意思で読んでいるものだとしてもある意味受け身だと思う。確かに何かしらを考えながら読んではいるのだが、自分が詳しくない分野や苦手なものに対しては、特に著者の言うことは正しいだろうという思い込みがいくらかはあると思う。これは思考停止の受け身であり、上の引用でいう他人からの命令や解決策に近いものだと感じる。
今回は、何気なく購入した本であったが、相手がいないと試行しづらいものは、僕は特に苦手だと感じた。1人で頭の中で考えられることの方が、答えなどに辿りつかなくても、その思考プロセス自体を楽しめ好ましく思う。色々と思考した結果は脳内にストックされており、いつか使えることを期待して記憶の海を彷徨っていることだろう。
また、僕は読んだ本の内容そのものよりも派生した思考が生じることの方が面白いと感じているのかもしれない。
「人は聞き方が9割」の感想というより読書とその内容に対する感想になったが、少し自分の思考を整理できたので良しとする。
おわり