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曖昧な言葉に対する曖昧な感情

最近感じていることを少し

色々な人が僕が思っているような内容に対して様々な表現で語っているので、ここはタイトルにちなんでふわっとした表現でいく。

僕が言っている曖昧な言葉とは、海外の誰かが提唱し日本でも使われているような言葉で、元は英語であることが多いように思う。一つの言葉ではなくいくつもある。

おそらく提唱者は前向きなイメージや世間に知って欲しいという気持ちでその言葉を定義したのだと想像している。また、提唱者自身にも何らかの関係がある言葉ではないかと思われる。

本来の意味で使われているかは定かではないが、ネットの世界では、なんか(よくわからないけど)かっこいいとか、ステータス的なもの、あるいは免罪符として使われているように感じている。

自分で名乗るようなものじゃないだろという気持ちも強い。

言葉自体は新しいかもしれない。ただ、それらが説明する内容自体は、既存の言葉で言い表すことができるように思う。

僕がこれらの曖昧な言葉に曖昧な感情を抱く理由を考えてみる。

一つは結構明確である。

僕が知らない言葉だからだ。自分の知識不足な部分もあるが、知らない言葉をさもみんなが知っている体で使うなよという、ただ僕が受け入れていないだけの自分本位な理由だ。僕は流行語がそんなに好きではない。

僕が知らないだけで、市民権を得ているのかもしれないものの、本来の意味を理解して使っているのかと勘ぐってしまう。

二つ目は、ポジティブなネガティブ思考を感じ取れるところだと思う。それらの言葉は表面上だとポジティブなものも、ネガティブなものもあるので一概には説明しづらい。

無理やり説明すると、それらの言葉を使っている人は(半ば開き直りに近い状態で)ポジティブっぽく振舞っているようにみえて、その実、ネガティブな感情を吐き出しているので、受け取る側の気持ちを無視しているように感じられる。これはネガティブな言葉のものだ。

ポジティブな言葉の方は、新しい言葉に自分を当てはめて、自分を肯定するもの/してくれるものがあったんだと悦に入っている状態かなと感じている。これは必ずしも悪いことではないと思う。

また、それらの言葉を使う人がそれなりにいるように見受けられるので、こちらが「あれ、なんかおかしい?」と思う気持ちが、物量で押し流されてかき消されるような結果につながっていると思われる。

僕は世の中には色々な人間がいることは認識しているつもりだが、自分も含めてその人たちが、どこからがズレているのかいないのか、何を基準にしてズレがあるのかないのかがわからなくなってきた。

ある意味、言ったもん勝ち・やったもん勝ち、のような状況になるのは良くないよなと最近特に感じるところだ。

おわり


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