共感と理解の先
「私の気持ちなんて誰も分かるわけない!」というセリフは
よくドラマなどで聞くし、常々思っている人もいるかもしれない。
私は、
分かるわけがないのだ、という前提を持って日々暮らしているので、
そういうセリフを怒りや悲しみと共に吐き出すことはない。
なので本当の意味での共感する、という事は
なかなかできないことだと思っている。
理解はできても共感は難しいということだ。
共感は、一緒になってそういう気持ちになる、ということで、
理解というのは、あなたは今そういう気持ちなんだね、
と分かる事である。
私は20年以上前に兄を自死により亡くしたのだが、
当時まだ10代だった私は、
兄が患っていたうつ病についても理解していなかったし、
共感なんてものは一切なかったと言える。
理解しようと本などを読んだりして調べたはしたが、
兄本人に詳しく話を聞く、ということはしなかった。
ただ、いただけだ。
仲が良かったため、兄の体調が良い時は楽しい会話がたくさんあったし
車の免許を取った時には練習がてら2人でドライブにも行った。
でも、それだけだ。
言われてないし聞かなかったから、兄の気持ちや心の内は分からない。
ただ、いるだけ。
それを、寄り添う、という言葉で表現できると思っている。
兄が亡くなった辺りの日々は、
寄り添うことすらできていなかったように思い、後悔している。
共感は無理でも、理解して寄り添うことはできると思う。
共感したフリではなく、理解しようとする姿勢や、
あなたのそばにいるよという寄り添う姿勢が、優しさなのだと思う。