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大学院生の中退とか留年とかの話
今でこそ理系大学院生としてやりたいことをやっていますが、実は大学留年、中退を経験しています。
そのお話を書こうと思います(やや長いです)。
ちなみにこれは前に別のブログで書いた記事の再掲です。
高3の頃は、とある地方公立大学の文学部を目指していました。
当時、目指していた職業(音楽関係、図書館司書、臨床心理士など)は親にことごとく反対されたものの、とりあえず本が好きだったので日本文学について勉強したいと思っていました。
高校の推薦入試で第一志望の大学に合格し、めでたく春から一人暮らしをすることになりました。
大学に入学して最初の頃は、そこそこ楽しかったです。専門科目は難しかったものの、教養科目で村上春樹を扱う授業を取ってワクワクしていたのを覚えています。サークルやバイトもしていました。
雲行きが怪しくなってきたのは1年生の後期の半ばでした。もともと持っていたであろう(この時は受診していませんでしたが)精神疾患が悪化してきました。
私は高3のころに摂食障害を発症していました。体重が半年で20kg以上落ちたり逆に30kg以上増えたりしていました。摂食障害の症状に加えて、昼間に起きていられなくなり、夜は眠れなくなりました。当然、授業など行けないので、夕方ごろに大学へ行き、あたかも授業終わりですよ、という顔をしてサークルに参加して、夜は明け方までテレビをつけて起きていて明るくなってきたころに眠る、という生活をしていました。
1年生の時は後期に取っていた授業の単位は1つも取れず、2年生に持ち越すことになりました。
2年生になっても状況は全く変わりませんでした。前期も後期も単位を取れず、とうとう留年が決まりました。だんだん自分でも打開策が分からなくなってきていました。因みに、当時は誰かに相談するという発想はありませんでした。
このときやばかったのは、この状況を親に隠そうとしていたこと。いずれバレるのはわかっていましたが、どうしても言いたくなかったのです。
私の両親、特に父親は教育パパでした。小学生の時から学校の成績が悪くて怒られていた私はここへ来ても父親に怒られることが怖くて、「不可」だらけの成績表を親に隠していました。
隠し続けてきた落単と留年が親にバレたのは、大学生になって4年目の春でした。成績表がとうとう親の目に入り、電話が掛かってきて怒られました。
その電話で私は、もうこの大学で勉強を続ける自信がないこと、退学を考えていることを伝え、その1か月後くらいに「退学してもいいけど他の分野で短大か大学に入学すること」と言われました。こうして大学4年目の前期を以て、退学することが決まりました。
大学中退の次の年度での入学を目指して、栄養士養成課程の短大を受験しました。高校生で摂食障害を経験していたので、食事や栄養に関わる勉強がしたかったのです。短大を卒業すれば栄養士という国家資格が取得できることもあり、親も反対しませんでした。
短大の入試も無事に合格し、4月から大阪での暮らしがスタートしました。幸いにも栄養士の資格取得のための勉強は楽しく、すぐに管理栄養士にも興味が出てきた私は3年次編入を考えるようになりました。
因みに栄養士と管理栄養士の違いは、栄養士は給食管理が中心なのに対し、管理栄養士は疾病を持っている人の栄養管理もできること。
摂食障害をきっかけに栄養学に興味を持ち、病院で働きたいと思っていたので管理栄養士の免許は必須でした。
親も3年次編入には賛成してくれたので、短大2年生の秋に編入試験を受験し合格、さらにその2年後、大学4年の夏に大学院入試を受験して今に至ります。
1つ目の大学に入学するまでは、これと言った挫折もなくやってきていました。成績は悪かったしたぶん精神疾患も持っていたけど、不登校になったり学校を辞めたりはせず、順調に進級・進学していました。
でも、私の心身はとっくに限界だったのだろうな、と思います。それが摂食障害という形で出現し、治療をしなかったので授業に行けなくなりました。摂食障害になった時点で病院に行っていたら、少なくとも中退はしなかったと思います。
ちなみに短大在学中にも休学をしたのですが、さらに長い話なのでまた別で書きたいと思います。
いまは自分で選んだ人生を生きている、という感覚があります。未だに精神疾患は持っているし、辛いときがあるのも事実ですが、少なくとも文学部時代よりは楽です。
中退せずに、5年か6年かけて大学を卒業して就職する道もあったでしょう。それはそれで、5年後くらいに「自分で選んだ人生を生きている」と思えていたかもしれません。でも私は中退してよかったと思っています。
中退して別の道に進んだことで、目標ができたし尊敬する人たちにも出会えました。
何が言いたいかというと、どんなルートを選んだとしても上手くいく可能性も上手くいかない可能性も同じくらいある、ということです。だから、そのとき自分がやりたい、選びたいルートを選ぶのがベターなんだと思います。
未来のことを悩んでも仕方がないので、そのとき後悔しない方を選ぶ、これからもそうやって生きていきたいです。