高校中退、適応障害からのニューヨーク美大進学‼️
さっき、白川寧々さんと動画を撮ってもらった。
白川寧々さんのYoutubeチャンネルは私が受験期よくお世話になっていたYoutubeチャンネルで、内容は海外大生の方が沢山インタビューに答えているというものだ。
どうして海外を選んだか とか、英語の勉強法とか費用の事が沢山見られる。
私は受験期にこれを作業しながらラジオのように聞いていて、とてもお世話になっていた。そして受かったいま、自分の高校中退→海外大進学という経歴やそれに至るまでの情報が誰かの役に立たないかと思い白川寧々さんに直接コンタクトをとった。
どうやら自分でYoutubeに出させてください!と言ってきたのは私が初めてらしい。 少し恥ずかしい。
お話しさせていただく中で上手に話せなかった!!!と感じる部分があったので、動画の内容を思い返しながら自分の経歴とその時の状態・心情を書いてみようと思う。
追記:その動画です!↓
中高一貫校に入学
私は関東圏の田舎に住んでいる。
中学校は、家から徒歩数分の地元の中学校ではなくお隣の市にある公立中高一貫校に進学した。
中学受験をしたきっかけは、確か近所の1つ年上のお姉さんが中学受験をするんだーと話していたからだと思う。そこで塾に行くという選択肢が私の中に生まれた。
その時、新しい習い事をしようと思っていてテニス・バスケそれと塾で悩んでいた。
全部に体験に行ってみて、塾の勉強が面白かったので塾に通いたい!と自分から言い出した。
小学5年生、6年生と2年間塾に通い、晴れて志望校であった中高一貫校に入学できることとなった。
中学1年生
入学して早々、膨大な量の課題に襲われた。多かったのは英語と数学。
数学は中1の前半で中学1年生の分を、後半で中学2年生の分をやることになっていた。
ものすごい勢いで進む授業を理解していくことに加え、進んだ分の練習問題とワークをやらなければいけない。
英語は
・毎日大学ノート1ページをみっちり埋めて提出
・週に1回ある100問テストの対策
・授業の予習(ユミとカレンの会話を全てノートに書き写す、単語の意味・品詞・発音記号をノートに書く)
・授業が進んだ分のワークを進める(2冊分)
をやっていた。
いや、やっていなかった。というかやれていなかった。笑
あと他にも理科も解かなきゃいけない問題と授業後に提出するプリントが多くて大変だった。
これだけでも結構しんどい。
のに!初っ端から入る部活を間違えてしまった。超絶ブラック・吹奏楽部に入部してしまったのだ。
超絶ブラック・吹奏楽部では土日練習は当たり前。
夏休みもほぼ休みがなく、毎日朝から夕方まで午前も午後も練習だった。
そんな中で、成績は底辺。
自由な時間もなくて生活も精神もボロボロ。
半年で吹奏楽部を辞めて美術部に転入。
美術部は、10月に入ったのにも関わらず私がその年の初めての入部生だったらしく、1つ上の先輩と2つ上の先輩にとても優しくしてもらった。
美術部では先輩と話すのが楽し買った。そして私の入部の後に一緒に吹部を辞めた子が入ってきてくれてめちゃめちゃ楽しかった。
だいぶ心にも時間にも余裕が出てきて、2月ごろから英語の大学ノート提出をきちんとやるようになった。今まではただ教科書の文を写していただけだったけど。笑
他の教科のワークにも手がつけられるようになって、少しずつ緩やかに成績が上がっていった。
中学2年生
今でも連絡を取る仲の優しくて面白い友達が沢山できて、成績も底辺から真ん中ぐらいになった。それでもまぐれでトップを取る、っていうことはなかった。
この1年は楽しくて精神的にも安定していた。学校たのし〜となっている中でコロナ到来。2月に学校閉鎖に。
学校の授業の代わりに、授業動画のYoutubeが送付されてきたり自分で教科書を読んでノートまとめをするように言われた。
この、ノートまとめが私にはあっていた。
歴史のノートを読んで教科書にまとめる、という内容のものだったのだが自分でまとめたものを次の日や2日後に見返すことでしっかりと内容を覚えられることに気がついた。
今までは学校と通学(行き帰りで合計2時間)で自主学習する暇がなくてずっとワーク→直しの繰り返しだったが、自発的にまとめて勉強するとこんなに覚えられるのかーと驚いたことを覚えている。
家にいた時期は朝7時起床、8時半に朝の会zoomに参加、9時から4時ごろまで勉強をして勉強後に母と5キロくらいランニング、お風呂と夕食を済ませてから夜は2時間くらいアイドリッシュセブンというゲームをやっていた。あと絵もちまちま描いていた。
中学3年生
確か4月か5月かに、3教科だけテストを受けにいった。定期テスト的な。
そこで初めて1桁を取った(と記憶している。。。7位とか)
家での自主学習が始まってから、英語もCDを聞いてみるようになったり化学も理解した後にすぐ練習問題を解けるようになったりでいいことづくしだった。
そんな中、8月から徐々に登校が始まる。
自宅待機のおかげでカリキュラムが終わらないとかなんかで、夏休みも学校に通っていた記憶がある。
8月もテストを受けた。そのテストでは1位を目指して勉強していたが結果は2位。
酷く落ち込んで、もっと頑張らなきゃと完璧主義思考になっていった。
そこらへんの時期に先生から医学部を目指さないか声をかけられたこと・両親からテストのいい順位のご褒美として高価なものを買ってもらったことが重なって、勉強ができない自分に価値はないと思い込むようになっていった。
高校1年生
お昼ご飯後、5時間目とか6時間目にお腹が痛くなったり下痢が出そうになるような感覚に襲われるようになる。後に過敏性腸症候群と発覚。
そのあたりの精神的に参っていた時期に母の同僚の美大出身の方とやり取りをし始める。自分の心に従っていいんだよと言葉をもらったことで医学部ではなく美術の道をとりたいと思うようになる。
6月ごろにすいどーばたという美術予備校の1日体験に参加。この1日体験が夜の9時までとかだったので、母について来てもらってこの日は池袋のホテルに泊まった。セブンで買ったコンソメポテチを、マツコ会議を見ながら眠っている母の隣でボリボリ食べていたのをよく覚えている。
9月にもう一回コロナによる家学習を挟んで、10月ごろから学校再開。
もうこの頃には1時間目くらいからお腹が痛くなるようになっていた。
朝早くに学校に行って、朝の会が始まるまで職員室のそばにある机で勉強をしていたある日通りがかった美術部の先輩に「わ〜!〇〇じゃん!朝から勉強えらい〜!お疲れ様」と声をかけられた。先輩は歩きながら私に話しかけてどっかにいっちゃったんだけど、そこでかけられた「お疲れ様」っていう言葉がとても私に響いて、ぼろぼろ泣き出してしまった。涙が止まらなくなって、すぐに近くにあった中1の子用のトイレに入ってわんわん泣いた。 ちなみに中1のトイレで泣くのは2回目だったりする。お化けの噂とか流れちゃったりして。笑
その日から私は学校に行けなくなった。
家にいるようになって、午前中は鏡の前でメイク練習、午後は通信制の高校とか美術大学のことを調べるようになった。
N高高いなーうーんとか思っている時に、京大に高校認定試験で受かった人の記事を見つけた。高校認定試験?なんじゃそりゃと思い調べる。どうやら7000円で大学受験の資格を手に入れられるらしい。この記事を見つけたとき、ハイになったのを覚えている。直感ってやつだったりして。
そのあとは、美術予備校に通わせてもらえることになり、適応障害と診断されて、ああーやっぱりそうなのかーと思いながら退学届を提出して学校を辞めた。
学校に残ったまま美術予備校に通って受験する道も考えたけれど、何錠も薬を飲んでまで学校に行く必要はあるのかと母が聞いてくれたことで、うん、行かなくてもいいかなと思えた。勉強は1年の先取り学習で美術大学受験に必要な部分はもう終わっていた。
高校2年生(の歳)
最初はブルーピリオドの舞台になった新宿美術予備校に通った。
そこで受ける学科を決めてから、その学科に強い予備校に移動した。
私はブルーピリオドの矢虎くんが大好きだったので、作中に出てくるエレベーターに乗るたびに毎回ドキドキした。
後、これは小話なのだがブルピ主題歌のMVに出てくる美術予備校はモデルになった新宿美術予備校ではなく御茶ノ水美術予備校っていうところだったりする。
ここで浪人生と一緒に朝から晩まで週に5回絵を描き続けた。
予備校帰りには3時間バイトをして、画材代や自分の服代を稼いだ。
土日は積極的に原宿やら銀座、丸の内に足を運び美術の展示を見たり作家さんご本人とお話をしたりした。
すごく可愛い!好き!と思った作品の作家さんが美大出身でないことも多く、ここで大学の意味について考え出す。
そのタイミングで、予備校にいる留学生の独特な絵に惹かれたり、バナナフィッシュを見てニューヨークという都市に惹かれたり、ニューヨークの美大出身者の方と実際話すことがあって海外美大楽しそう、ニューヨークの美大行きたいというモードになった。
とりあえず英語をやろう、と英語を始めたもののストイックすぎて難聴になる。
うん、私に海外美大は難しかったんだと諦める。
1ヶ月後、アメリカ帰りのお医者さんとお話しする機会があり「アメリカの美大考えてたことあるの?!いいじゃん!面白そう!」と言われる。
やっぱやってみたいかも、海外美大受験。と思い始める。
予備校帰りに丸善で自己啓発本を10冊買ったり、母に相談したりして挑戦してみようと思い始める。英語もできないし、費用もバカ高いけどなんとかなるかもしれない。なんとかさせる、やろう。となる。
高3
英語をやりつつ、エッセイ、ポートフォリオを用意し受験。
高3の受験関係のことはこちらの記事にまとめてあるのでぜひ!
4月に合格をいただき、ニューヨークにあるファッション工科大学にイラストレーション専攻として入学する運びとなりました。
最後に、1年前の私に伝えたいこと
1番怖いのは、失敗しないことだと思います。
失敗したら理由を探せばいいけど、挑戦してなかったら理由もないから何も成長できない。
結果はどうであれ、その結果で自分の性格とか癖に向かい合って対処しようとした過程やそこで出会った人が財産になるので、どうか恐れずに頑張ってください。
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以上になります!正直まだ書ききれていないエピソードもあるので、少しずつ書き足していきたいです。
それと、イラストレーションの生徒ということもあるので海外大学に出願するまでの経緯を自分の受験漫画として書きたいなーなどと思っています!そのときはブルーピリオドっぽいというより東村先生のかくかくしかじか的な、エッセイ?自伝要素強めにしていきたいなーなどと考えています。
それでは、読んでいただきありがとうございました!質問あればTwitterのDMにどうぞ!開けています。リンクはプロフィールのところにあります。