私と音楽、「わからない」ものたち
私は、「この世にある、自分の目や耳に入る全てを、無理に理解しようとなんてする必要は、きっとないんだろうな〜」と思うタイプ(?)の人間です。
人間の科学はとても進歩したけれど、そんな今でも、科学だけでは説明のつかないこと、たくさんありますよね。きっとこれからも私達には、「わからない」ことだらけ。
「わからない」って怖いことかもしれません。でも私には時に、「『わからないもの』が当然の如く、そこにある」という事実に、何故だかほっとさせられます。
ひとつ前の記事で、わたしは「たま」というバンドの曲を取り上げました。彼らの曲は、聴いても聴いても、考えても考えても「わからない」んです。でも、それがとても心地いい。その心地よさに身を委ねて、ゆらゆらとあてもなく漂っていたくなります。
「わからないことは、あっていいんだよ」
「わからないことは、わからないままでいい」
「わからないって、素敵なことだよ」
そんなふうに語りかけてくれてるように、感じるんです。
同じような感覚に陥るのは、作家・安部公房さんの作品を読んでいる時でしょうか。あとは、少し違うけれど、谷山浩子さんの世界観にも似たものを感じます。
五感で捉えられるもの全てを、知らず知らずのうちに「わかってやろう、わからなきゃ」と、焦りもがく私の肩をそっと叩いて、「ちょっと休んでいきなよ」と、そっと引き止めてくれる存在。静かで優しく穏やかで、ほのかに不気味な、そこにある「わからない」ものたち。
彼らの存在を一度知ったからには、わたしはきっとこの心地よさからは、永久に抜け出せないでしょう。抜け出すつもりも、ありませんけどね。