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書くか喋るか

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TENG(テン)の活動で考えたこと/感じたことを、書くか喋るかで記録してきます。
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記事一覧

"テーブル"を見てない、コミュニティマネージャー

「テーブルを見なさい。そうすれば、何をすればいいかわかるから」 どんな仕事であっても、必ずいるのが「今、わたしは何をすればいいのか」とアタフタする人。 動き方がわからないので「どうすればいいですか?」と正解っぽいものをやたらと人に請う(請うこともせず、ぼーっとしてる人もいるから、それよりかはましだけど)。 こういうくだりを繰り返していると、あらま、簡単、思考停止の「答えくれくれマン」の出来上がりだ。考えて動くには、運動と同じでそれなりに自分の筋肉を使わないと鍛錬されない

ボランティアの境界線

 正直あまり好きな言葉ではないけど、いわゆる「まちづくり」「地域づくり」を意識する団体に関わるとき、どこまでの業務をボランティアとして取り組むのかという線引きはとても難しい。とても。  地域と関わるとき、ボランティアの境界をめぐる問題を考えるときの観点を、パッと思いつくだけをとりあえず並べておく。  このボランティアの負担が増えすぎると、「地域になんて(めんどうくさいから)関わりたくない」「自分の暮らしのほうを優先させてくれ」「なんて押し付けがましんだ」といった負の感情が

「きく」を分解するーーー取材するときおそらくみんなが当然やってること

 「きく」とはどういうことなのか。  「聞く」でも「聴く」でもいい。取材などで人の話をきくとき、何を考えながらその行為を進めようとしているのかについて。  一つ目、まずは「関係性を築くこと」。「〇〇について話聞かせてください」と質問をぶつけたところで、「おめぇなんかに話すことはない!」「まだ信用できないから、本音の部分は隠しとくか」とか相手に思われていたら、表面的で薄い話しか出てこない。そうすると、当たり障りのない、どこにでもあるような言葉で埋め尽くされた文章になりやすい

ローカルとサブカルが混ざるところ

 そもそも「まち」や「地域」にこれっぽちも興味のなかった自分がいつの間にか真正面で関わるようになっていた(まあ、本来は、都会でも田舎でもどこで暮らそうが、その土地で暮らしているかぎりは関わってしまうもの)。  その入口は、京都での珈琲ただよう出会いだったんだけど、そこから「書く」から「場をつくる」といった手段で、自分なりの地域との付き合いが濃ゆくなっていった。  そっから計算すれば、「まちづくり」「移住」「暮らし」「小商い」といったテーマに執筆・実践してきたのは、10年以

見えるかどうか、をいちいち気にする会社

 点と点を結んだら、線や面ができあがっていく。点だけじゃ見えないけど、線や面になれば、見える化する。そのための会社、"みえるかカンパニー"としてTENG(テン)がある。  2020年にできた弊社TENGの社名についての覚え書き。  ①水木しげるを追って、鳥取にきた。社名にするなら、大山にゆかりの何かがよくて、どうせなら妖怪がらみがいい。お、「大山伯耆坊」という天狗がいるんじゃないか。  ②これまでの自分の役割って、つなぎ、むすび、まぜ合わせることが多かったんだよな。地域

遊びが学びにつながる、これマジで。

 子どもたちと続けて遊んでいると、その変化(成長)に気づくことがある。そんな遊びだとしても、それは変わらない。たとえば、ポケカ(ポケモンカード)。  自分ややっているお店では、「ポケカミングデイ」と称して、定期的にポケカをひたすらやる日をつくっている。子どもから大人までポケカをやりたい人で集まって、対戦したり、デッキついて情報交換したりするオープンな日になっている。  2週間に1回のペースで確保しているポケカミングデイ、それが今日だったんだけど、小学低学年の子が遊びにきて

「攻めの待ち」ができてるか

 カフェバー「fab mix」の営業が終わりました。10月から16時とスタート時間が少し遅くなり、ゆったりとフードの仕込みができるようになった。今後ちょっとずつメニュー増やしていく予定っす。  さて、歩いてこれるご近所さんが飲んでくれるのは、やっぱりうれしく、そこに居合わせる人が変わることで、新たな液体がぽつんと一滴落とされ、会話の行き先も変わっていく。「これ、どこいくんすか?」という予測不可能な、でもエモさが垣間見えるコミュニケーションはいいすなぁ。  1時間ほどノーゲ

積読本とバックバーは似ているね

 だれが飲むかはわからないけど、それを口にして、めちゃくちゃ良い飲食体験をしてくれる可能性を残しておきたい。バーにおけるバックバーはそうありたいと思う。  バックバーとは、カウンター越しに見える「お酒の棚」のことである。最近だと、バックバーがなくシュッとスッキリしたバーもあるので、意識しづらいこともあるかもしれないけど、ザ・バーと言われる空間には必ずバックバーがある。その棚を眺めることで、そのお店が注力してるお酒や意識が見えるので、どんなバーに言っても、気になるポイントだっ

「偶然性」あらため「バグる場」

「セレンディピティ」  バーはもちろん、場づくり(お店や拠点の企画・広報・運営)をやってると、もう擦られまくってる言葉だから、あまり多用したいものじゃないけど、セレンディピティってのは大事だと思う。  ざっくり「偶然性」を扱うのがセレンディピティだとして、バーであれば、たまたま立ち寄ったときに出くわす隣のお客さんやスタッフといった人もあれば、偶然飲み食いしたものや付随する情報などにトキメキを感じるなど、"予想外"の良さってのはやっぱりあるわけですよ。  最近、20代の若

雑談の火のお世話

 今日もfab boxの営業が終わりました。  さすがに夏があきらめたか、秋にバトンを渡してくれたようで、涼しくなって、お店も過ごしやくなってよかったよかった。常連で立ち寄ってくれてる学生や近所の方だけでなく、わざわざ松江から足を運んでくれた方までいて、場として安定してきた何かと新しい風が吹いてくる気配を感じる日だった。  地元で通ってくれる人が増えるのがいいと思っていて、そこに遠方も含め、新たな人が場に混ざって、たがいにちょっとした刺激(考える、興味をつつくきっかけ)に

場づくりすげぇぞ人材が当たり前にできていること

 「死角」とは、なんなのか。  うん、そうだそうだ、2の「ある角度からはどうしても見えない範囲」の意味で使っていることが多い。  そして、つくづく感じるのは、死角という”見えない範囲がある"からこそ、その範囲に対する意識は、力強く繊細でありたいよね、ということ。  「場づくり」という一見わかるようでよくわからない分野のことをやっていると、場づくりが上手いと下手な人の差は、この視角の意識の強度にあることに気づく。  運営している場(飲食でも、コミュニティスペースでも、本

流れ流れて、縄張りの外へ。そういうのも意外と悪くない

 今日は、明日からの出張もあり、変則的にfabmixをオープンした。週末土曜とは違って、だいぶまったりした日。水曜日という平日だからこそ、足を運んでくれた方もちらほらいて、こういう時間のための営業はもう一度検討し直したい。  ゲストが1組になったタイミングで、その中の小学生の子とポケカで対戦した。「ポケカ対戦したいんだけど、忘れちゃったんだよなぁ」とのことで、ぼくの予備デッキを貸すことに。慣れしたしんだ自分のデッキとは違う、ごつごつ感のある使い心地だったに違いない。  で

へろへろ動画、いつやるのか問題

 カフェバー「fabmix」の営業が終わりました。おつかれした! 表示メニューをちょっと変えてみるだけで、会話の広がりが変わり、注文のされ方も変わる。結果、売上にも影響する。そういう小さな積み重ねがお店をつくってくんだよなあ。と、ひしひし感じる1日でございました。  とりあえず、今急ぎ足でこの日記をつけているが、お店の片付けが終わったら、そっこーで動画を撮って、帰って、シャワー浴びて、観たいものを観て、読みたいものを読んで寝るんだ! そう意気込んでいる。  そうそう、毎週

デッキ構築で身につく仮説検証力

 加えてみたり、抜いてみたり。  トレーディングカードゲームをやってる人ならわかると思うんだけど、デッキを組むのは、至難であり、楽しくもある。枚数制限が決まっているなか、あれも!これも!とついデッキに入れたくなるカードを取捨選択しながらその一枚を加え、必要以上に増えた一枚は抜かなくちゃいけない。  お店での販売をきっかけに、ポケカ(ポケモンカード)を十数年ぶりに再開した。一時期やりこんでいた遊戯王は40枚デッキだけど、ポケカは60枚。いろいろ入れられるじゃん!と思っていて