埋没とオープンは何故いがみ合うのか①
私はタイでSRS治療をして男性に戸籍を変更すると、女性だった過去を知らない人には、一切その事を明かさなかった。
いわゆる『埋没=クローゼット』だ。
反対にその事を隠さず明らかにする事を『オープン』と言い、ほとんどのFTMがコミュニティによってどちらかを選択して生きているのだ。
こう呟いた時に、埋没主義の方から「埋没すればいいだけです。」というリプをもらったが、私は本当にそうなのかな?と、自分が埋没にも関わらず疑問を持った。
ふとした時に元女性だった過去が明るみに出そうになると、終わらない隠し事を抱えているこの状況が時々酷く窮屈で苦しくなる。
バレないように隠す事の難しさ、
それを継続する精神面の難しさ、
かと言って過去をオープンにするにも違った難しさがあって、結局ただの男として存在する事が難しいと感じている。
埋没も8年経ち、自分がFTMだと落胆する回数より自分は男だと自然に思うようになってきた矢先に、私は結局またFTMである自分と向き合うような仕事をし始めた。
今なら、埋没を経験した上で、もう少しいろんな角度でその事について考えられるのではないかと思い、『埋没』と『オープン』について私が個人的に感じている事を話してみたいと思う。
私が埋没を選んだ理由
私は戸籍変更を終えて再就職する際、会社に元女性だったことを公表する気など微塵もなかった。
理由は、他人の言動を全く信用できなくなるからだ。
私の過去を知って、
「あっそ」と気にしないも人いれば、「元女性かぁ」と思う人もいるだろうし、「あの人は元女性だってよ」と他人に吹聴する人もいるかもしれない。
厳しい上司に優しく指導されたりすると、この人は無意識の内に自分を女性と扱ったのではないかと疑心暗鬼になってしまうかもしれない。
人の口に戸は立てられないが、それ以上に人の意識・無意識という介入出来ない領域を、こちらが想像して慮ったり、疑心暗鬼になったりする事にもうヘトヘトだったのだ。
何せその行為は、私が小さい頃からずっと行っているにも関わらず、しっかりと心に澱を貯めるのだから。
その為、当時は、自分をただの男性として見てもらう。無意識をも取っ払ってもらう唯一の方法が私にとっては埋没という選択だった。
そして、LGBTへの理解が進んできている現代においても、実はまだこの考え方は変わっていない。
自分から「FTMです」と言ってしまえば男性として生活する事はまだまだ難しい世の中だと思っている。
男性として取り扱ってくれる場合ももちろんあると思いたいのだが、LGBTリテラシーの高さを相手に求める事は、自分で埋没かオープンかをコントロールする事以上に難しい。
さらに言うと、無意識まで気にしてしまう性分の私にはどんな集まりであっても、結局のところ関係がないのだ。
埋没して良かった事
前途したように、他人の意識・無意識を慮らなくても良くなる事、これは埋没して良かった事だ。
精神的に楽になった。
もう一つの良かった事は、私に男性として生活する自信を与えてくれたことだと思う。
私自身は思春期含め25,6歳まで男性としてコミュニティに属した経験がない。あくまでも女性のコミュニティの中でボーイッシュで男性的な役割で存在していたに過ぎなかった。
女性の中での男性的な役割とは、仮想彼氏のように、気軽に仮想デートを楽しんだり、色々な相談をしたりすることができる存在だ。
同等な女性の立場から接さないでいい為、乱暴に言うと女性からのマウンティングから解き放たれる事でもあり、若い時分には恐らく都合がいい存在なのだろう。
中高生など不安定な時期には特に一定の需要があるように思う。
また、仮想彼氏など必要のない年齢になっても私はそのポジションに固執(というかそれ以外のポジショニングの取り方が分からなかった)した。
再就職して男性として初めて仕事をした時、男女の違いを感じる瞬間は多かったが、一番驚いたのは自分の立ち位置が逆転したことだった。
女性コミュニティの中では男性的な役割だと、ある程度チヤホヤされるというか、一目置かれる部分が多少あった。
しかし、男性コミュニティの中ではその立場は逆転して劣勢になった。
身体的にも、男性的な魅力においても、格下扱いを日々受けた。
つまり男としては見た目で舐められたのだ。
例えば、仕事の成果は自分の方があるのに、体格が良く、声の大きな男性の方が評価されたり、指導に関しても、同じことをしても私だけ怒られたりみたいな事だ。
私の中身は大して変わっていないというのに、相手が私をどう認識したかによって扱いが反転した。
もちろん人によって変数は大きいので比較がしずらいが、自分が女性コミュニティにいた時には受けなかった扱いを受けている事は明白だった。
もちろん男性だけの反応ではない。
女性であっても、以前、女性コミュニティで男性的な役割をしていた時は、彼氏役にされたりとイケてる感じに取り扱われていたのに、ただの男性になった瞬間に、イケてない男性に格下げされたのだ。
そりゃそうだ。
客観的に見て、仕事も出来そうにない低身長の小太り童顔男性なのだ。
逆に女性コミュニティにいたからといってチヤホヤしてくれた理由を教えてほしい。
しかし、よく考えればこれはやっと男性と同じテーブルに上ったという事に他ならなかった。
もし、これを自分がFTMだと公言していたなら、きっと同じテーブルに上れなかったと思うし、ただの貧相な男性と認識してくれたからこその劣勢なのだ。
格下扱いを受けて日々辛酸をなめるような待遇を受け、私はそこから抜け出したくて誰よりも仕事での成果を求めた。
その甲斐あって昇進した時、やっと自分はFTMである事を言い訳にせず、貧相な男性としてではあるが社会に認められたと拳を握り締めた。
思春期含め男性としての経験がない以上、埋没のまま社会でやっていけているという経験だけが、元々自己肯定感が低い自分の男性としての自信につながっている。
まぁオープンだったら得られなかった事なのか本当のところは比較のしようもないけれど…。
埋没の憂鬱
一方、埋没する事で別の問題も発生した。
トイレ、温泉、更衣室での着替えなど日常の些細な事をどうやって隠し通すか。
もし職場で倒れたら救急搬送でどうなるのか。
老人になった時の介護はどうしたらいいのかなどの懸念がある事だ。
現段階で身体的に男性として不完全である事。
女性だった過去を変える事は出来ない事。
その二つを隠しながら生きていく事がとても難しい。ただただ面倒だ。
埋没とは、その面倒さを徹底して管理して一生生きていく事なのだと実感する。
埋没によって、男性としての自信を得たが、
埋没によって、隠し続ける苦しみ続く。
ちょっとした事でバレるかもしれない。
そんな綱渡りのような生活を死ぬまで続けていくのかと思うと、ちょっと果てしない。
結局、埋没とオープンどっちがいいのか?
埋没とオープンのどっちがいいのよ??と聞かれたとしたら、やっぱりどちらにもメリットとデメリットがあるよと答える。
あなた自身の耐久性とあなたがどういう人生を生きたいかと、現在の状況、これからの環境を考えて最適解で決めるしかない。
そして残念ながらそれが計画通りいくかも分からない事も頭の片隅に入れておいてほしい。
という柔軟性はあるが煮え切らない答えだ。
そもそもどちらがいいかなんてジャッジできるような高尚な人間ではないし、それを押し付ける権利もなければ、押し付けたいとも思わない。
一つ確かなことは、色々な人の言葉を聞いたり、体験談を読むことは利益になる事もあるが、そのアドバイスがあなたの人生の責任を負うことは全くないという事だろうか。
だから、厳しいようだがあなたがああ言ったからそうしたのに!といった話をするのはお門違いだと思うし、埋没、オープンの判断一つを取っても、最終的にはあなたの人生なのであなたが決めるしかない。
自由とは選択できる事だと思うし、自由には責任も伴うという事を改めて感じる。
②へ続く
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