《第一回》「どんなに街が発展しようと、このからだは人を見つけ挨拶とかをしたがるクルー」
※この文章は、《Whenever Wherever Festival 2025》が開催するワークショップ『どんなに街が発展しようと、このからだは人を見つけ挨拶とかをしたがるクルー』第一回目の感想です。
今思うと、空気を読んでいなかったと思う。
ベンチに座っていたカップルの空気。霊園の静寂な空気。
時には公園の遊具を(一瞬だけ)占拠したり、輪になって様々な「たいそう」をしたり声を出したり…。
普段、街を歩くときはもっと人畜無害な感じに歩いている。ベンチにカップルがいれば、そっとしておくし(隣でたいそうを始めたりはしない)、無人の地下トンネルだとか、そういうよく分からない場所は素通りする。触らぬ神に祟りなし、だ。
でも今回は違っていた。
しっかりと街に傷跡を残しながら歩いたのだと思う。
いつものフェザータッチではなく、ちゃんと彫刻刀を持ち、自分の存在を道々に彫りながら歩いていた。
そういうのって、傍から見ていてよく思わない人もいるだろうし、場合によっては怒られるかもしれない。知らないところで誰かが傷ついてしまうかもしれない。
でも、自分から何かを起こすということは、それがどんなことであれ絶対に無傷ではいられない。
街で遊びたいのなら、腹をくくって遊ぶしかないんだ。
周りをキョロキョロそわそわ見て、エネルギー漏れをおこしている場合じゃないんだ。
でもその思いとは裏腹に、誰も傷つけたくないとも思う。
そして、何かをするのなら、その動機は愛でありたい。
なぜ、街中で踊るの?声を出すの?
私は、人目(自分の目とも言う)の中で、己であり続けたい。その練習として場を使わせてもらっていて、街からたくさんの資源やパワーをもらえている実感がある。
それならば、私は街に何ができるんだろう?
パッと思いついたのは、癒すこと。街と、そこにいる人に何か良いエネルギーを渡すこと。私の数少ない特技というか、普段から息を吸うように自然にしていること。・・って言っても分かりにくいし、見ず知らずの人たちに具体的な何かができるわけではないのだけれど。
そこで、ふと思い出したのが街中のアート作品たち。彫刻やオブジェに壁画、それらは砂漠の中に突如として現れるオアシスのように、街中に存在している。それが何なのかはよく分からなくても、見ると気持ちが和んだり、少し落ち着いたりする。街の癒し担当だ。
であれば、自分の意識をそこに合わせればいいのではないだろうか?つまり、自身及び行動がアート作品なのだという意識で街を歩くこと。
見た目では分からないし、数値で計れることでもないけれど、意図の力を私は信じている。
というわけで、第二回・三回…と、今後もこのクルーとしての活動は続くけれど、一旦はこの意識で歩いてみようと思う。
街も、そこにいる人たちも、すれ違うものは漏れなく全部、私が癒す。絶対に。
☆お知らせ☆
私の参加する、《Whenever Wherever Festival 2025》開催のワークショップ『どんなに街が発展しようと、このからだは人を見つけ挨拶とかをしたがるクルー』ですが・・
なんと!
2月1日(土) SHIBAURA HOUSEにて、発表会をします!!!
・港区を身体で表現するとどんな形になるのか?
・どんな発表にしていくか?
そういうことをこれから皆で形にしていくのですが、きっと楽しくてヘンテコで、でもなんだかしみじみ良い・・。そんな風に思える"たいそう"になっていく予感がします!
他にも別のワークショップ参加者の発表会があったり、ダンスイベントやトークショーがあったりと盛りだくさんなので、ぜひチェックしてみてくださいね☆
あ、ちなみに私はダンス経験が全くのゼロです。37歳の主婦です。それでもこのワークショップはとっても楽しいので、もし普段は踊らないけど、そんなにハードル高くないならちょっとくらい身体動かしてみたいな・・って方にも個人的にはおすすめです。ダンスというと敷居の高いイメージがありますが、古来から人間は皆踊ってきていますからね。これが踊りだ!と言い張れば、それがどんな形だって立派な踊りになるのではないでしょうか?
ハードルを下げて下げて下げまくって!一緒に踊りましょう!