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インスタに書けないことあるの。いやいやインスタにうそ書いちゃってることあるの。何でって、多様性とか個性なんて黙殺される社会で生きてるから。うふふ。

たとえば本の感想とか。
インスタが備忘録みたいになってるから読んだ本載せてしまうのだけれど、基本私の本の買い方は装丁買いか好きな作家買いかのどちらかだから、読んだことのない作家の本はあたりまえだが読んでみなくちゃわからない。で、装丁買いして中身あれれ?だった場合でもなんか批判めいたことは書けない。つまりうそを書いちゃう=いい子ぶっちゃうのであります。

あとは頂き物とか。とりあえずお礼かたがた投稿するのだけれど、おいしい!とか、かわいい!とか、きれい!とかいう感想をブチ込むのは鉄則。感動したふりをする=うそを書いちゃうのであります。いや、実際そこそこおいしいし、きれいだし、かわいいんだから、嘘でもないのだけれど、感動するほどではなかったというだけのことで、私としてはやっぱり嘘だね、それはさ。

思えば小学生のころからすでに批判がまともにできない生きにくい社会で生きている。みんな一緒、みんなと同じ、仲間の意味もうまく消化できなくて未だに消化不良を起こしたままだ。
数年前、みんながとろけるような顔しておいしいと絶賛していた「高級生食パン」とやらは、だいたいパンだから当然焼いてあるのに“生”って表現は違和感しかないし(ってかそれこそ嘘だろ)、原材料にバターじゃなくてマーガリンって書いてあるから(やっぱバターだろそこは!)、食べたら批判しそうだから食べていない。

批判どころか事実を言うことすら憚られる世の中だ。明らかに誰かのせいでさんざんな目に遭っても「私にこんな貴重な経験をさせて下さって感謝します」とでも言わなきゃこっちが悪人になるような社会で生きている。

そんなこと日常茶飯事過ぎてどっかにぶん投げて忘れたふりしないと生きていけない毎日を生きているんだから、皺も増えるってもんよね。心臓には毛が生えてるって思われてるだろうしさ。

でも、忘れたくても忘れられないこともある。
だって、心臓に毛は生えないからさ。

去年の年末、父の命の灯がもう今日か明日かっていう時に、お歳暮が届いたの。仏事用のし付きでさ。
なんかものすごく久しぶりにものすごく傷ついたのだよ。
人を殺すに刃物はいらないってこういうことだよ、っていう傷つき方ね。

どうしたかって?
泣いたよ。もちろん。
泣きながら怒ってゴミ箱に捨てた。見たくないもん。

送った若いお嬢さんはネット注文ミスったんだろうが、悪意はなくても人は殺せるって腑に落ちて理解した。
いじめ自殺の原因に似たような事例はこういうことだ。

私の場合心臓に毛が生えてると思われるくらい長く生きてるし、私がいないとガチで死んじゃうかもしれない人やら動物やら抱えてるから留まったけど。十代の子がこれやられたら命経っても不思議じゃないと思った。
人の心はある時、風化したブルーシートみたいに脆い。ふいに広げたらさらさらともろもろと繊維が粉になって崩れ落ちてぼろぼろになっている。

送ったお嬢さんはどうしたかって?
私が気づいてないと思ってるよ。若いお嬢さんは守られて当然だからさ。
あ、現代の若いお嬢さん限定ね。
そうやって守ってあげないと、仕事も社会も回らないからさ。

指摘も指導も批判もできないの。
したら最後職場が継続できなくなるから。
多様性とか個性って言葉は、私の憧れの美しいな言葉だけれど、この社会では存在しないと同じなの。

あああああああああああ!
定年退職したいっ!

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