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適応障害の診断


信頼していた友人と、夫の浮気騒動で阿鼻叫喚の毎日でしたがある時自分の中で本当にパチン、と音がしました。
そこから涙はピタリと止まりまして、代わりに一睡も出来なくなりました

3日後に仕事で長距離ドライブを控えておりまして、どうしようどうしようと思いながら結局丸3日眠らずに長距離ドライブを迎えるという怖すぎる事態にwww
片道2時間のところを5時間くらい前に出発して休み休み下道で行くという手法でなんとか乗り切った!!でも本当に死ぬかと思った。

ここで私は初めて心療内科の門を叩くことになった。
初診の予約が1ヶ月先しか取れず。市販薬飲んでごまかしてたけど、眠剤貰えるまでの間が地獄すぎた。
一切!一切眠れないの!!完全にゾンビ!!

ついた診断名はうつ症状(適応障害)
経緯を話したので原因があるうつ症状として適応障害となった。

仕事はまだ辛うじて続けていた。
仕事が私の離婚への1本の綱だから
絶対に離しちゃいけない
もう怒りも悲しみも湧いてこない無の境地なんだけど体力がキツいし何も手につかない。休みたいでも仕事続けないと離婚できない。

体調が良ければ仕事が続けられるか、といえばそうでもないくらいには仕事の面でも追い詰められていました。家庭は崩壊、仕事も上司やお局の覇権争いとイビリ。保育園に行けば先生からの冷遇。園の事はまた改めて・・・

眠剤と抗うつ剤で辛うじて眠れるようになったものの、ガス欠状態。
本来なら離婚するぞ!!って士気が上がるところなんだけど、なんか離婚しようかしまいがどうでもいい。全てどうでもいい。何も考えられない。無。っていう感じになってしまって。

うつ状態のときは大きな決断は先延ばしにした方が良いって言うし、とりあえず何も考えないで過ごすことにした。

仕事も休むことにした。診断を受けてから休職するまで、2か月くらいは仕事をしていたのですが、なんせこの時期一帯の記憶がほぼない。ただ本当に、仕事が手についていないのは確かだった。事情を話した近しい先輩方からもフォローして頂いたり、有給は使い果たしたりなどしながらなんとか乗り切っていましたが、それも限界が来たんだと思います。休職にあたって、誰に連絡したのか?どこまで仕事片づけて渡したのか?全く覚えていません。仕事でもそこそこ追い詰められてはいたので、こんな状態になっても働かなければいけないこと、まして離婚するのであればこれくらいで音を上げてはいけないと、自分自身も追い込んでしまっていた。時間が経っても全然良くならない。

何も考えられない何もしない。私が何もできない分の穴埋めは夫がする事に。(当然!!!)


時系列まとめ

・ワンオペ育児+フルタイム勤務+義実家問題+浮気問題

↓浮気事件から1か月後、不眠から適応障害の診断

↓適応障害診断から2か月後、休職へ


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