見出し画像

麺がすすれない問題

10年くらい前のある日、麺類ばかり好んで食べていることに気がついた。

ラーメン、うどん、蕎麦、そうめん。
こんなに食べているってことは好きということに違いない、となぜか急に思った。

麺の中でも、特に好きなのが蕎麦。麺そのものの香りが楽しめるから。
香りをより楽しめるのが十割そばであり、さらにこだわるなら冷たいざる蕎麦で食べたい。

今年の年始に、雰囲気の良いお蕎麦屋さんを見つけた。
自家製の十割そばを食べられるお店で、サラダや揚げ出し豆腐、だし巻き玉子、炊き込みごはんなどがついたランチセットがお気に入り。

先日、そのお店に夫と出かけた。
着いた時間が13時すぎで遅めだったからか、お客さんもあまりおらず、すんなり席に座れた。
いつものランチセットを注文。

美しいうつわに盛られたお蕎麦、つやつやのだし巻き玉子、サラダの大根の細さにうっとりとした。
さて食べ始めようとした時、隣席のお客さんが麺を豪快にすする音が聞こえてきた。

麺すすり大会がもしあったら、音の豪快さ部門で優勝できるだろう。

ここまで麺が好きだと書いてきたが、実は麺がまったくすすれない。

子供のころに練習してみたが、吸った空気が食べ物と一緒に胃に入ってしまう感じがして、苦しいしすぐお腹いっぱいになってしまう。
すすれる人とすすれない人は体の構造がちょっと違うのではないか、という結論に至り、練習をあっさりやめた。

それから麺を食べる時は、音をたてずにちゅるちゅると食べている。


この日は、隣客の豪快なすする音を聞いているだけで、自分は吸っていないのに一緒に吸っている感覚になってしまって、すごく苦しかった。
こんなところで共感しなくていいのにと思った。
でも、音そのものは不快ではない。

ちなみに夫は海外出身なので、もともとすすらない。
二人とも麺をちゅるちゅるするので、食べるのが異様に遅い。



食べながら、ふと思い出した。
家族で北海道に行き、味噌ラーメンを食べた日のことを。私は中学生だった。

そのラーメン店は賑わっていて、混み合っていた。
「ごゆっくりどうぞ」と店員さんが伝票と共にテーブルに置いた、コーンがたっぷりとのった味噌ラーメン。
北海道で本格的なラーメンを食べられる機会なんて滅多にないから、存分に味わう気満々だった。
そして「ごゆっくりどうぞ」の一言も嬉しかった。

ゆっくり食べようとしなくても遅いのだけれど、焦らなくてもいいというのが心の余裕を保つ上で重要になってくる。
麺を食べ終わったとき、なんか母がそわそわしていることに気がつく。
「もう店出るよ!」と言われて、えっ!?となった。
「並んでる人がいるから早く出ないと!」

大好きなコーンがまだスープの底に沈んでいるから、これから拾い上げてじっくり楽しもうと思っていたのに。
諦めきれない私は、
「さっき店員さんがごゆっくりどうぞって言ってたじゃん」と反論。

このあと、母がなんて言ったのかは記憶にない。

覚えているのは、コーンを全部食べられなかったこと。
麺がすすれていれば、もっと早く食べられたのに。
切ない思い出。

どんなに店が混んでいても、言わなくてはいけないマニュアル上の言葉が存在することを、大人になった今ならわかる。
言葉を文字通りの意味で受けとめていたあの頃は、まだ純粋だったなぁと思う。

発せられた言葉をきいて、その裏にある感情や本音をなんとなく読み取れるようになってしまって、良いような悪いような複雑な気持ち。

ひとつわかるのは、心をこめて言った言葉は、相手にちゃんと伝わるということ。
相手に送る言葉には、いつも愛や思いやりを込めたいと思う。




蕎麦を食べ終わり、あたたかいお茶でほっこり。
後から入ってきたお客さんが2組いたが、どちらにも抜かれて、お店に残っていたのは私たちだけだった。

昔のことをあれこれ思い出して脳内が忙しかった私と対照的に、何も考えてなさそうな夫を見て、うらやましく思った。

いいなと思ったら応援しよう!

おまめ
みなさんの幸せが続きますように。