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小さな幸せ
初めて、吉本ばななさんの本を読んだ。
読んでみたいと思ったきっかけは、「作家と犬」という本に吉本ばななさんのエッセイが載っていて、それを読んで感動したこと。
独特な視点を持っている方だと思った。
たくさん気づきを得られるような気がした。
図書館で見つけた中で、どのエッセイを読むか迷ったが、表紙を見た直感で決めた。
表紙のイラストが可愛かったというだけだけど。
どれも短めのエッセイで読みやすく、一気に読んでしまった。
せっかくの「小さな幸せ」なのに、お腹いっぱいに詰め込みすぎた。
時々、一話ずつ、読んでいくという楽しみ方も良いかもしれない。
どんなことで幸せを感じるのかは人それぞれで、刹那的な幸せもあったり、過去を振り返り今思うと幸せなことだったり、幸せの幅って広いなあと思う。
小さい女の子がしゃがんで小石を数えてるみたいな無心さで幸せを見つけられたら、その人はどんな境遇にあっても決して不幸ではない。
子どもはその「個」がいくつになったらいいとか、思ったりしない。ただただ数えるだけ。それってとてもいいことだと思う。
大人になるにつれて、今ここに集中することが下手になっていくような気がする。
そして、何かと数を他人と比べるようになる。
子どものころの感覚がなんとなく思い出された。
誰と比べるわけでもなく、ただ純粋に楽しいことだけ考えていた。
木に登って、お昼寝しているだけで幸せだった。
外の世界に気を取られがちな世の中だけど、子どもの頃のように、自分の中の揺るがない幸せの基準を大事にしたい。
朝陽の中でくつろいでいるカメを見ながらコーヒーを飲むのが幸せだという自分もどうかと思うが、それはほんとうにいい感じの光景なのだ。
犬、猫、メダカ、カメなど、ペットについて書かれたエッセイがあり、特に好きだったのはリクガメのお話。
大きなリクガメを飼うことは想像したことがなかった。
カメって繊細でおとなしくて、のんびりしていて可愛いらしい。
朝陽の中でくつろいでいるカメ、癒されるだろうな。
今の私なら人生の時間がもうあまりないから、自分を粗末にしたりはしない。でも当時は自分がつらいと思っていることもわからないくらい鈍かった。
ある生き方を捨てないと別の生き方は入ってこない。そんな簡単なことに気づくのにずいぶん時間がかかった。
読んでいて、グサっときた文章。
10代、20代だった頃の自分を思い返すと、本当になんであんなに鈍かったのだろうと不思議なくらいだ。
心は毎日つらいと言っているのに、無視したり押さえ込んだりして、粗末に扱っていた。
ふわふわと雲の中を歩くように、なんとなく生きていた。
風が吹いたら流されて、自分という軸もなく、これからどうなりたいとか明確な夢もなかった。
おそらく、人生の時間に限りがあることを考えたことがなかったからだと思う。
最近になってやっと、雲の中から出て、地上を踏みしめて歩けるようになった気がする。
生き物がその魂の持つ個性を存分に生ききると、それがどんな形であっても、意外に人に幸せだけを残すのではないか?
この一文が深すぎて、今の私では受け止めきれない。
猫の話の中で書かれていたが、この「生き物」というのは、動物だけではなく「人」も含むのではないかと思う。
そう考えると余計にわからなくなるのだが、いつかわかるようになりたい。
幸せのお裾分けをもらって、ほっこりすることもあったが、読んでいて過去を思い出すことも多く、色々な感情が通りぬけた読書体験だった。
この本を読んで気づいたのは、もっと自由に幸せを感じてもいいということ。
日々の何気ないひとこまにシャッターを押すように、幸せを集めていきたい。
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