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視点の転換期

むかし、西部邁が戦後、知識人たちはみな興味関心が国内にばかり集中している、というようなことを言っていた。今だって日本の知識人やオピニオンリーダーはそれに倣っている。彼らの主戦場はいまやXやYouTubeのようなプラットフォームであるのだが、ワイワイと大喜利をやってるような感じでも、この西部邁的呪文からは逃れられない。

近い将来、AIがどんどん進化して言葉の壁を取り払われたとき、この「悪い場所」にようやく風穴が空くかもしれないと、思うことがある。現在、わたしが注目しているのが、佐藤航陽だ。

彼が提唱するメタバースは2030年代には間違いなくバズるだろう。そうなったら完全に狂四郎2030じゃないか。その時に、国家や国境という近代的概念すら飛び越えて、想像を絶するようなパラダイムシフトが起こるかもしれない。

まあいずれにせよ今年は池田大作も、大川隆法も死んだし、あとは○○○○(ナベサダじゃないよ)とかも近々死ぬだろうし、いよいよもって「戦後」が終わるのは確実だな…
 
江戸アケミは「日本人は暗いね、性格が暗いね」と言っていたけれど、彼はバブルまっただ中、いみじくも日本の真理を言い当てていたようだ。

とにもかくにも、日本の年長者は頑張っている若手を、その足を引っ張ろうとする。いつもはやる気のないおじさんが、頑張っている若手をロックオンするやいなや、憤怒にかられて急に騒ぎはじめる、という、日本百景。

このメンタリティーの根底には、現状を維持したいという、黒く固まった願望がある。現状にしがみつきたい、変化や進化といったものはいらない。下剋上は悪だというわけだ。

この国や文化の進歩は、若さなしには得られないということが、わかっちゃいるけど受け入れられない。

無論わたしを含めてだけど、これは誰も無視することのできない一種の病だ。この病を批判的に解剖し、それに対する処方箋を見つけ出す必要がある。とりあえず、それぞれが「頑張る」ことの本当を見つけることからリスタートなのだろうが。

だってさ、自分がそうしていないから、できないから、若者が頑張っていることに嫉妬しているわけでしょ?反省もなく自制心もなくターゲットをけなして満足して生きてきたわけでしょ?

しかし、ではどうすれば今の自分が努力できるか…という段になると、皆目見当がつかないってことでしょ?

むろん個人の問題だけではなく、社会構造に根深い問題があるに違いない。

日本では、すべからく階級は再生産される。

議員の子は議員に、医者の子は医者に、論壇の重鎮の息子はツイ廃に、国民的タレントの娘は色気づいたらCMに出演すべし。
なお特権層の子息は須らくインフルエンサーになるべし。されど、親がキャンセルされたら自動的にその子も干されるべし。これすなわち族誅の執行也…

もはや隠す気すらない。「r>g」や「貧困」みたいな、もっともらしいトピックは、ぜんぶ吹っ飛んでしまう。

殊に10年代から20年代を境に、この構造的暴力の下で言論が歪んでしまった。しかも、かのような変化にも関わらず、まるで何一つ変わっていないかのように糊塗されてもいる。オペレーションがきわめて巧妙なので、ユーザー層は、直感によって、あるいは日常レベルの気づきによって、つまりは感覚的に明らかであるにも関わらず、誰もうまく説明できない。

「階級を脅かす者を排除すべし」

しかり。されど昨今、どの”業界”でも、これをやりすぎているきらいがあるのではないか?

今現在の言論空間は、おおまかには、体制側と反体制側との間に峻別が生まれつつあり、双方が拮抗しているという疑いようのない事実は、いよいよもってこの国の自由が虚構であり、平等の仮面の上に成り立っていることを、多くが意識している証左に他ならない。

ああ、わたしは狂四郎になりたい。

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