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「頭がいい」とはどういうことか ――脳科学から考える|最終章

いよいよ最終章となりました。最後ですので(本書の内容に忠実に沿うように努力はしますが)これまでわたしが考えたことも交えつつ、まとめてみたいと思います。

「最終章 AI時代に求められる真の”頭の良さ”」では、主に脳とAIとの比較が論じられています。なによりも毛内先生の知性論として、いくつかの箇所に興味を惹かれました。

第一に脳とAIの学習の仕組みの違いを考察したあとで、両者は本質的にまったく別物であり「脳もAIにはなれないように、AIも脳にはなれない可能性が高」いと述べます。

AIは脳のニューロンの働きを模倣したニューラルネットワークというアルゴリズムを駆使し、あたかも人間のように記憶、予測、学習をやるようになり、ある側面ではすでに人間を凌駕するようになりました。

本書ではAIの中核をなす学習ルール「ヘッブ学習則」を解析し、脳のシナプスの働きの仕組みの観点から見ても効率のよい学習則であるものの、しかし「膨大に学習を繰り返す必要」「学習に大量の教師データが必要」であることも指摘し、

たいして、ヒトの知性の営み、目的、働きは「たった数回の短い学習から統計学的に予測することができ」「少ない経験から枠組みを取り出して一般化して記憶したり学習したりという、脳の省エネ特性」にあるとします。

そしてあらためて脳の柔軟性について詳説し、AIの情報処理プロセスの特徴とされる「破却的忘却」、これは「一度何かを学習したAIにさらに新しいものを覚えさせようとすると以前学習したものを忘れてしまうこと」ですが、これさえも脳がしていないとは言い切れないと述べます。

AIの凄さは認めつつ、所詮それは”統計的なもの”の領域を出るものではなく、脳のポテンシャルにはおよばず、ヒトの知性(予測を作り出す力、判断力など)の根幹が問われるところでは限界に突き当たるということですね。

と同時に、ヒトの知性の構造に「不完全」が入り込んでいることの重要性を述べています。

記憶違いもしょっちゅう引き起こすし、省エネを重要視し過ぎた結果、思考のショートカットが起こって、過度に一般化してしまったり、極端なことを考えたりという認知の偏りが生じたり、不合理な判断をしてしまうことが多々あります。もちろん、こういう脆弱な部分があることを認識した上で是正していくべきかもしれません。しかし、AIの発展ぶりを見ていると、脳のそういう不完全な部分がむしろ愛おしく思えてきます。

「頭がいい」とはどういうことか ――脳科学から考える/毛内拡

世の中の大半が「頭がいい」を「理性的であること」と思っていますよね。

むろんAIもそれに包含されるでしょうし、それこそが最たるものと考えている人も少なくないでしょう。ではなぜ数ある知性の特質のなかで、それを特別に高く評価するのか?をとことん考えはじめると、なかなか終わりがみえない。

しかし、それは毛内先生の提議にも言えることでした。「くじけない」(=脳の持久力)ことが知性の中核だというのならば「情動」にふれないわけにはいかないだろう。だとするならば、なぜそれを特別に高く評価するのか?

を問わねばならないが、結局のところ、それは知性が本来もっているトータリティの源としての不完全性に着目しているからと言えそうです。

他方、AIも「ヘッブ学習則と時空間学習則を八対二の割合で混在させる」ことで、「より人間らしいAIの開発が進むかもしれ」ないとも述べています。


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