自分の弱さを知る(12)
面と面向かって「(お前は)了見が狭い」と厳しく言われたことが一度ならず二度までもある。その相手は私を凹ませたり苛めたいわけでもなく心から訴えていた(=”躾”)
だからあえて断じて言うが私は了見が狭いのである。
了見が狭い人間はあちこちに掃いて捨てるほどいるが周知の通りまわりの手を焼かせているか、”やべー奴”として忌避されて相手にされていないか。だからそういう自分はほんとどげんかせんといかんのである。
私なんぞいまだに自分の長所も短所も分かってない(このことは以前、独立に記事にした)
田舎ならいざ知らず都市生活者、もとい経験者ならばこの記述に該当あるいは類するような挫折を経験していない者はまずいないだろう。下記は私の上京当時の記述だけど、
上京後、私は行く先々でエリクソンが定義しているところの”混乱”を経験した。剝きだしの芋が山肌の道を転げ落ちていくようだった。いっぽうで是が非でも生活だけは保守しなければならない。いつも辛い生活から何かを学びとる必要があった。
自分が了見が狭い(=アホ)人間になってしまった理由、
職業人としてのアイデンディティを確立できずにここまできてしまった理由を知る方法を闡明するためにもその準備段階としてそれぞれのカテゴリーごとの精神発達のしかたについて参照し考察しなければならない。
<続く>