反発。
人の意見に反発する傾向があった。
ずっと、むかしから最近まで・・・
その時に、ただ反発するだけではなく「自分ならこうだ」とか考えていたから、まだマシだったのだろう。
何も考えず、反発というのは「ただのヒステリー」かもしれない。
昨年から、大人と話し合いをしているつもりでも
相手はボクの反論に対して、逆の意見を言い
ボクに意見を言わせぬように、まくし立てることをしてきたが
ボクが本気になれば、その状態の上からでも攻撃ができた。
しかも「効果は抜群な」攻撃を、だ。
が、そうしても、ボクの得られるものは何もないから自由にさせる。
ただ、あまりにしつこいなら、「お灸」をすえる。
そこまでしつこいやつは、まずいないが・・・
ボクを見くびるやつは多い、多かった、これからもだろう。
外見に惑わされて、子供から大人、はたまたお年寄りまで。
人と争うのが嫌いなのが顔に、あらわれているとしても
「よくまあ、ここまで」と思うほど、いろいろと言われてきた。
言われても、反論も反撃もしないから
それを知ってるやつはいいたい放題だった。
人の心が少しでも表情以外に表れているとしたら、
また違った人生だったろう。
だが、それを期待しなかった、気がつくときを待っていた。
自分たちのおろかさに気づくときを・・・
(noteには書いた。noteでよかった。)
が、それもなく終わった、けど自然がその分の報復をしてくれた。
今年の夏からの自然災害は、ボクにしたことのお返しと考えている。
ボクには何も影響もなく、過去に住んだ街、現在の街で
これまでにない災害が起きたのを、ボクは偶然とは思えない。
何かが、ボクに変わって「お仕置き」をしてくれたのだと
自分なりの考えで処理している、同時に気分もよくなっている。
いままで、なすがままにされてきたことも
自然が許さないことを知ったから
もう、何も余分なことまで考えることはなくなった。
何か言えばいいよ、言いたいことをね。
その代わり、「下手なことを言ったら・・・だけど」、と言うべきかな。
因果応報が形にならねばわからぬやつが多すぎるから
「形にでもするか」と、神か自然がようやく重い腰を上げてくれたらしい。
もう心配することもない、いままでどおり生きていればいいのだ。
自分勝手なやつは、淘汰されていくようになってきたから・・・
でも、あまりにそういうやつらが増えた暁には、日本は潰れるかもね。
そんなやつらを数多く輩出する土地は「もう必要のないもの」になるかな。
「霊峰富士」のひかえる、この県ですら「この有様」だから
ほかの県も予想がつこうと言うものだろう。
いじめが今年、最高の値に達したと言う。
いままで許されてきた「子供だから何してもいい」と言う考えのもと
好き勝手して大人になり、まだその状態を繰り返すやつらのせいだから
それを容認したやつにも責任はあると思える。
一蓮托生なのか?
そんなことはどうでもいい。
変わる気がなければ、言い訳をいくら重ねても同じである。
「背中の羽をもがれた」人類は、これから先も二度と羽を手にできぬのか?
だとしたら悲しい。
救世主は、現れても「あまりの汚れ具合」にやる気をなくすだろう。