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運命の出会い

いまと違って、昔のゲームはテーブル型の筐体が多く存在していて、二人で向かい合って座ってゲームをするのが、ごく当たり前の時代だったのだ。

そんな中でボクにとっての「私のコーヒー時間」でもあるパックマンとの出会いについて触れようと思う。


日本で最初に有名になったアーケードゲームといえばTAITOさんのインベーダーゲームであるが、当時のボクはまだ11歳くらいで喫茶店に入ることがはばかられたし、なにしろおこづかいが月に千円くらいだったから、とても一回百円のインベーダーゲームをやれるだけの身分ではなかったのである。

中学生になり、おこづかいも値上がりしたので、百貨店の屋上にあったゲームコーナーでインベーダーをやってみたけど、おもったより楽しくはなくて「なぜ、みんなはこんなものが楽しくおもえるのだろう」というのが、ボクのインベーダーゲームに対する印象であった。

その後、色つきのものが登場したが、それをクリアするときに縦一列だけインベーダーを残し、上から順番に倒すと画面上に鮮やかに虹色の光が出るようになっていた。

次に有名になったのはNAMCOさんのギャラクシアンだったが、これはボクには難しすぎてやる気にはなれなかった。

その後、高校生になったボクは高校生になって友達になったFくんに連れられて高校の近くにあった駄菓子屋へ行き、NAMCOさんのパックマンと出会うこととなったのである。

一定の面をクリアすると、それまでのゲームにはなかったコーヒーブレイクというものになり、バックマンとモンスターたちの楽しい演出がみられるようになっていた。

ゲームも先に進むほど難しくなっていくのを攻略する楽しさがあるし、次の演出が見たいということからもゲームにハマっていく人もいたのである。

パックマンというゲームは画面上のドットを食べることによりすべて消せばクリアになるが、敵に触れるとミスになりストックがなくなるとゲームオーバーになる。

ドットのなかには、四つだけおおきなものがあり、それを食べるとパックマンは巨大化してモンスターをやっつけることができるが、面が進むにつれ巨大化していられる時間が短くなる。

バックマンに骨抜きにされたボクは毎日のように駄菓子屋へ通うようになった。

月に五千円のおこづかいは、すべてバックマンに食べられることになったが、すこしも後悔はしなかった。

「次のコーヒーブレイクをみるまでは…」

そんな気持ちでプレイしつづけるうちに、段々と腕前も上がっていったが、ボクには限界がきて、ある面以上は先にすすめなかった。


でも、パックマンと出会えたから、その後七年間のゲーマー生活をおくることができたし、NAMCOのゲームにハマっていったきっかけになったゲームでもあるパックマンには感謝しているのである。

もしパックマンに出会えていなければ、NAMCOのドラゴンバスターというゲームで十一時間もワンコインで粘れるようなゲームに対する情熱が持てていなかっただろうとおもわれるのだから…。

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おまえ
ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。