グー・ピー・チョキ・・・
昨年「DA PUNP」の「USA」という曲が流行った。
・・・自由の国アメリカ。
「サクセスの味方」「どちらかの夜は昼」と「USA」の歌詞にある。
日本人はアメリカ・アメリカ人が好きである。(だった)
ボクの小学生時代の友達は、「ワシントンポスト」に就職したと聞いた。
同級生の中では出世頭といえるだろう。
戦場記者となって、「防弾チョッキ」を着て戦地で、命を張って・・・
お父さんに聞いたがアメリカを悪く書くと記事は掲載されないらしい。
それもアメリカらしいといえる。
沖縄に来るアメリカ兵が婦女暴行を繰り返していた。(いる)
日本も同様のことをしてきたから、非難もできまい。
弱い国・負けた国は、そういう宿命にあるのか?
同級生は「大羽」という苗字だ。
小学生の頃は一緒に遊んだが、中学で「付属中学」へ進学。
それを機会に、会えなくなってしまった。
彼のお父さんは元学校の先生で、結婚を期に酒屋さんになったが
夜は学習塾を営んでいた。・・・ボクも通わせてもらった。
彼も・彼のお兄さんも「浜松でトップ」の高校へ通ったらしい。
彼は東大を受験したが落ちて、慶応に合格して入学。
その後ワシントンポストへ入社したらしい。
「彼との思い出」で覚えているのは、一緒にマラソンをやったとき
周回遅れになったボクを、走りながら励ましてくれた。
当時から彼は優しかった。
ユーモアのセンスも持ち合わせていて、面白い人でもあった。
「じゃんけん」でも独自の理論を披露した。
一本指が「ピー」三本指が「プー」四本が「ぺー」なのだ。
「グー」「ピー」「チョキ」「プー」「ペー」「パー」
どれがどれに勝つのかは教えてもらう機会がなかったが・・・
ボクの父がシベリアで捕虜になって暮らしていた時期がある。
マイナス30度という過酷な環境。食事もお粗末なものだったらしい。
離れたお風呂に行った帰りに、濡れたタオルを振り回して帰ると
凍ってしまったと聞いたことがある。
窓は二重になっていて、「おがくず」が入れてあったらしい。
あるとき、父が働いていた工場の機械が壊れた。
機械商を営んでいた家に生まれた父が、直して褒められて
食事をおごってもらったそうだが、そのときのことを父はこう言った。
「アメリカの機械は優れている」「ロシアのものとは比べ物にならない。」
「壊れたときに、それを補うようにできているんだ」
・・・アメリカの本当の能力(ちから)をものがたっているかのようだ。
アメリカにも最近は、悪いうわさもある。(むかしからですか?)
「だけれど僕らは地球人」「同じ船の旅人さ」(USAより)
そんな気持ちが蔓延してもらいたいと思います。