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シン・自己紹介?


人並みという言葉がある。


果たしてボクは「人並みな生活をしていた時が、どの位の期間あるのだろうか」と考える。


生まれついての奇形児。
これがいけなかったのか?
精神障害者にまでバカにされるという恥ずかしさ。


小学校2年生の時、すでにいわれなき偏見を受けた。


外見で判断してはいけないというのは、綺麗事だと思う。

見た目で人を判断する人の多さは、誰もが知ること。

最近の風潮で、誰もが幸せになる権利があるともされるが「到底幸せにはなれない人」も数多くいるのだ。


ボクの場合は、先天性の障害と父親譲りの精神疾患が発芽したこと、それと人とのめぐり逢いが最悪だったことの3つに要因がある。


だが、もし中二病というものが、この世になかったとしたら「まだましな生活を送れていたのかもしれない」とつくづく思うのである。

それと、多くの人が持つであろう「人のことを考える時に、自分を基準にして考える」ことがなかったなら、ボクはまだ救われたのかもしれないと思うのだ。

心配するなら、その人の全てを知った上でしてもらいたい。

中途半端に知っている状態でものを申されても「迷惑でしかない」のである。

大体が、そのようなことをいう人は、相手と同じ立場に立ったことがない人が多いと判断しているのだが、違うのか?

ボクがnoteで残すコメントが評価されている理由は、それだけの苦しい想いをしてきたゆえに、言葉を選んで使っているからだろうと思う。

映画などを観て、その主人公のことを理解したと勘違いする人も多数いるけど、その感覚で接してこられるのも、迷惑なのである。

優しさとお節介は違うものということに気づかない人が多すぎるのである。


 ボクは神経科の病院に長期入院中に、ひとつ病状が増えてしまった。

それは長期となった入院生活のせいで、演技を続けるのが下手になったからだ。

元々怒りっぽい性格なのを演技で隠してきたのだが、神経科の患者の横暴な振舞いに対して、ボクは演技できなくなったのだ。

それゆえ多極性障害というものまでプラスされた。

お医者さんの診察も、どの程度信用がおけるかなど、考えたこともないが、そのせいで薬の量を増やされたのは確かなことである。

薬はリスクという言葉があるくらいだから、飲む薬の種類は少ないに越した方が良いのであろうに…。

副作用があるとは限らないが、お医者さんという職業自体が信用ならないから、薬の効果も信用してはいないのである。

病は薬で治す。

これも常識となっているようだが、いったい誰が決めたのだろう。


昔は食べ物で治していたという話も、誰かの記事に書いてあったように思う。


世の中は現在、世紀末に向かっている。

それも、人が傲ったからに違いないが、救世主も現れる気配すらないのである。

もし現れたとしても、こんな世の中では潰されてしまうかもしれない。

それだけ人は愚かに成り下がってしまったのである。


風の時代を迎えて「金銭に執着する人が減る」のなら、まだ希望はある。


人の悪しき欲望と勝手な思い込みが、世の中を悪くしている…のだからね。



おわり



ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。