300万の車。

むかし片腕のない人が経営する会社に勤めたことがある。
社長であるその人は、金に糸目をつけない人であった。

片腕でも自動車を運転していた。
が、性格が頑固と言うか自分勝手でもあった。
そこが問題になってボクとトラブルになり、
ボクは会社を辞めた。
1ヶ月も経たぬうちに・・・

社長は、昼に1万円を渡して、
「これで好きなものを食べて来い」と言うこともあった。
「「300万の車をおまえにやってもいい」とも言った。
当時、社員になった人と、1万円を持って、お昼を食べに行ったが、
その人が「あまり食べてはいけない」と言うので従ったが、
ボクは好きなだけ食べたかった。
300万の車は要らなかった。
ボクは車がむかしから嫌いである。
もらっておいて売ってお金にすればよかったと今は思う。

そこを辞めるきっかけは、草むしりをしたあとに言った社長の一言が原因。
ボクが爪をかんでいたら、「止めろ」と言われた。
ボクは右手の中指の爪をはで食いちぎって切ることがあった。
それは爪きりでは「上手く切れない」からである。

社長に止めろと言われ、「かっ」と来たボクは、食ってかかった。
始めのうちは社長も言ってきたが、途中で黙り込んだ。
そして「クビ」と言われた。

その後、その会社を世話してくれた人に、
「謝りに行け」と言われ、嫌だけど言ったが「クビはクビ」だった。
ボクが噛み切らないと爪が切れないことを説明したら、
「草むしりをしたあとだから、破傷風になるかもと思った」と言い、
更に「爪を切るハサミもあるはずだ・・・」と社長は付け加えた。
が、中指が小豆ほどの大きさで、固定できないことくらい、
見れば容易に解ることであろう。
そんなの全部「言い訳」だ。
男のくせに「おまえも、社長でも同じかよ」と思った。

人に親切心からいろいろ言ってくる奴は多かった。
「薬を飲めば、指が生えてくるんじゃない」と言う馬鹿もいた。
そういう言葉は言えても、謝ることはできない。
確実に「自分が間違っている」と思ってでもだ。

子供のほうが素直である。
間違ったときに謝るときもあるから。
大人になると、それができにくくなるらしい。
そういうのが大人であるらしい。

ボクは自分から人を嫌いになることは少ない。
きっかけは相手の言動である。
きついことを言われたり、されたりしなければ嫌いにならない。

300万の車も、気さくな人がくれると言ってたらもらったかもしれない。
相手があいつでなければ・・・

障害者が障害者の気持ちもわからないのに、
ましてや健常者が簡単に理解できるとは思えない。
24時間テレビを観て、「大変だ」とは思っても、
その状態で暮らしていくこと、続けることまで考えるのだろうか?
そのことは人々の記憶からすぐに消えるのではないのか?
その場面に遭遇したときだけ、そう思うのではないのか?
「障害なんだ、怪我ではない、一生続くんだぞ!」


それがボクが生きて、たどり着いた結論だ。

マニュアルには悲しい思いは具体的には載ってない。
でも真剣に障碍者のことを考える人はいる。
そう思いたい、
それを信じたい。

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ブルーライト浴びすぎてないですか? ファミコン1日1時間、パソコン1日好きなだけといいます。 そんなに書けないけど・・・また読んでください。