冬の一コマ モチつき
モチは、腰を痛めそうな、人すらも半殺しどころか、致命傷をあたえられるような木のハンマーをよっちらとふりあげ、作るものだと思っていた。
でも考えてみると、モチはもち米をついただけなんだよな。
もち米をこねたらモチになるんじゃないの、と漠然と考えた。
ある日、Xを眺めていると、炊く、もしくは蒸しあげたもち米を棒でつくだけでモチのようなものを作れる。
そのように描かれた漫画がタイムラインに流れた。
エサを目のまえにぶらさげられたように貪婪な魚のようにその情報に喰らいつた結果を書く。
もち米をたっぷりの水に一晩つけこんだ。
そして、そのもち米を炊飯器で炊きあげた。
設定はふつうのお米とおなじだ。
つやつやに輝き、ふっくらと膨らんだもち米。
湯気にのり甘い香りが鼻にとどく。
もう、これモチじゃない、すでに香りはモチだろこれ。
あとは、棒でもち米を半殺しや八部殺し、全殺しにすればいいだけだ。
棒でもち米をついていると、モチらしいフレッシュな粘りがでてくる。
巨大な木のハンマーをつかう必要はなく、もち米を棒の先でコツコツとつくだけでモチらしい自然な粘りがでてくる。
必死になる必要ななく、動画を見ながら作業した。
つきあげたモチだ。
すこしだけ粒々はのこっている。
けれども、猿を押しつぶした臼、闇バイトを返り討ちにできそうなハンマーをかつぎだすことを思えば十分すぎるほどに楽につくれるモチだ。
食べた印象は、食感がかるい。
ねっとりとネバっておらず、空気をふくんだように、高級な羽毛布団のようにかるい食感。
もち米と棒だけで作るモチの利点として、青のりや海老いりなど、お好みの味にかえやすいのもよき。
できたて、つきたて、熱々をそのまま口にほうばり、はふはふと食べる。
正月らしい愉しみだ。
のびることは、のびる。
みっちりとしたのびではなく、かろやかなのびだ。
フィギュアスケートの選手が跳躍するように、のびやかに軽い。
のどにもつかえにくい、そのように思った。
また食感がたいらでなく、三次元なのだ。
口のなかの食感が、福笑いのパーツのようにころころと変わる。
かるい空気をふくんでいるような食感。
ふわりとしたもち米の噛みごたえ。
そして、調味料がよくしみこんだところ、あさいところ、水墨画のような濃淡さが舌をあきさせない。
炭火でモチを焼けば、贅沢がすぎる香りがたちのぼる。
ここにね、醤油ですこしたらそうものなら、それはそれは、よい香りが。
もち米ともち米のあいだの空気は熱せられることでふくらむ。
独特のクランキーな食感と焦げのかんばしい香りを一口でたのしむことができる。
モチを焼くことで、お麩にもちかい軽やかな食感。
内側はすこし水分がぬけ充実した口あたりになっている。
秋田名物に似たものが作れるかと思ったが、なかには空洞がひろがるばかり。
スープがしみこむ要素が少ないように感じられた。
棒でつき作ったモチは、さまざまな形にかえやすい。
手に水をつけ、粘土よりも簡単に形成できる。
ちいさいお子様でもお好みの形のモチを作れるだろう。
硬いモチをふやかしたり、温めたりする必要なくピザの土台をつくれる。
ピザのドゥよりも、水に漬ける時間、もち米を蒸す時間を無視(ギャクではありませんゾ)すればピザのドゥよりもモチドゥのほうがはやく作れる。
モチ、チーズ、明太子。
三つの矢の焦点が、旨味の一点に集まり、黒い紙をもやす陽光のようにあなたの食欲に火をつける。
モチのおこげが口中でカリっと軽妙な音をたて、チーズとモチが混ざり、くねり、つややかにのびる。
そして、魚の最小単位なれども、ひと粒ひと粒が濃密にしてディープな旨味がじわじわと口中に浸透していく。
だれが考えたか知らないが、モチとチーズ、明太子の組みあわせを考案されたかたに味のノーベル賞をさしあげたい。
形成しやすいので様々な形にととのえ、アイディアしだいで色々な料理をつくれるようになる。
やわらかく丸くかためたものを油であげた。
つかいふるされた言葉ではあるが、外はかりかりッ、中はふわふわッ。
油で揚げた炭水化物は、人の脳をくるわす魔術といってもよい禁断の魔味。
もち米のメレンゲといいたくなる軽さ、そして活きた自然なもち米の甘味が口中にひろがる。
すこし奥歯にモチがくっつくのはご愛敬。
モチは自宅でつくれる、あれやこれや、さまざまなものを用意する必要がなくなった。
新鮮な食感のモチをお手軽にたのしめるようになった。
味付けしだいでは、飽きることなく、食感も軽いのでいくらでも食べられそうではあるが、体重計にのるのが怖くなりつつある。
モチをさらに食べたい誘惑の導火線に火をつけながら、このnoteを書きあげた。
もち米と棒とボウルがあれば、自宅でお家をお手軽にたのしめるようになる。
みんなも太れ、肥えろ、冬に負けない脂肪を蓄えろ。