#料理の失敗談 小は大をかねない 薄いは太いをかねない
失敗をしなくなったとき人の成長はとまる。
そして、あとは退化するだけである。
つまり成長するために失敗する、退化しないために失敗しつづける必要があるわけだ。
定番といわれる料理もいくたの失敗のうえに作りあげられたのだろう。
イギリスに留学した日本のオエライさまが、イギリスで食べたカレーがうまかった、日本でも食べたい、カレーをたべたことのない料理人にイメージを伝えた、その結果できあがったのが肉じゃがにカレー粉をいれたカレーと言われている。
肉じゃがを提供したら、相手の胃袋をつかめる、と言われていた。今はとんと聞かなくなったな。
肉じゃがには、ヤッカイな問題がある。肉じゃがを提供したとする、牛肉しかみとめん、いや、鶏肉だ豚肉だ、糸コンがはいっていない、などなど喧々諤々。肉じゃがの作り方は百花斉放。なかよくなるために肉じゃがを作ったはずが、なぜかケンカしている、そんな失敗した結果になるかもしれない。
そして、料理をしない人間ほど、あーだーこーだーウルサイ傾向にある(偏見かもしれないが)。肉じゃがのレシピは多種多様、それこそ一軒一軒ちがう肉じゃがレシピがあるだろう。
そもそも、肉じゃが好きの人間、どれほどいるのだろう。いまであれば、こってりとした肉料理とかのほうが好まれるじゃないだろうか。たとえば、東坡肉 トンポーローなどであれば、ガシッと相手の胃袋をつかめるのではなかろうか。そして、トンポーローの作り方はご家庭ごとでかわりないはずだ(そもそもご家庭で作るものではないかもしれない)。
そういえば、トンポーローのレシピを考えたといわれている蘇東坡(そとうは)本名は蘇軾(そしょく)は、政権がころころ変わるたびに大事にされたり辺境に流されたり大変な人生を送ったはずだが悲壮感をあまり感じられない。
政権争いに失敗しても、その時、その場、そこの空気、そこの食べ物をたのしもうという失敗をおされない道教的・禅的・積極的な気持ちを蘇東坡からは感じられる。フグがうまい、などと書き残している蘇東坡。失敗を恐れないどころか死すらも恐れない。
中国の昔話でこんな話がある。息子が死んだというのに、泣きもしない親がいた。息子が死んだというのに、なぜ、泣かんのかね。息子はフグを食べると死ぬとわかっているのに、フグを食べた、命を大事にしないやつだ、だから親は泣かないと言ったそうだ。蘇東坡をこの話にあてはめるとどうなるのだろうと考えたことがある。
中国のひとも、日本のひとも、死ぬとわかっているフグ。なぜ、あれほどフグに吸いよせられるのか、死という恐怖が、なにかしらのサムシングなスパイスになるのであろうか。
あの薄い透明のコリッとした淡泊さのなかに、鋼のような筋肉的な旨味のあるフグの刺身になぜひかれるのか。フグの骨をいれて炊いた鍋、透明なお汁から、すこしずつ金色のお汁に変化し、濃いノーブルなお汁になる鍋。野菜から豆腐、なにもかがもおいしくなるフグの出汁よ、シメの雑炊、フグの出汁がしみこんだ白米の粒の花がさき、それはそれは。
我々が、いま、おいしいフグを安全に食べられるのは、過去の人たちの失敗の積みかさねのおかげである。河豚の卵巣の糠漬け。卵巣というもっともデンジャーな部分も食べられるようにした人類の知恵よ。しかし、現在の科学をもってしてもなぜ食べられるようになったのは謎だそうだ。蘇東坡のように遊び心のある方は挑戦してみはいかが。
さて、失敗をしなければ、人間は進化しない。
というわけで、フグの刺身のように薄いスライスチーズを使ったナンの失敗レシピを紹介しようと思う。
失敗と書いているが、食べるぶんには問題ない。ただ、なんていうかチーズナンといえばの、コクと風味がないだけだ。ただのナンと思えばイケてるレシピ。
ボウルに粉とベーキングパウダー、塩、砂糖、ぬるま湯をいれる。粉の種類は薄力粉をつかえば柔らかめ、強力粉をつかえばかたくなる。食べたいだけの粉をボウルにいれる。ベーキングパウダーはなくてもかまわない。1袋4グラムいりのベーキングパウダーの商品がつかいやすい。塩は粉の重量の1~2%。砂糖は塩の重量の半分。ぬるま湯は粉の重量の半分をいれるとよい。
ぬるま湯と粉などを混ぜる。ねばねば、ぐちゃぐちゃと手にくっつく。これは失敗かと思われるだろうが、失敗したのは写真のピントだ。分量は大丈夫だ問題ない。そのまま混ぜあわせてくだされ。
しばらくすると水分がぬけ、ねばねばが、しっとりとしてくる。そして、手にくっつかなくなってくる。もしも、まんがいち、それでも、まだねばねばしているようであれば粉を追加でいる。
しっとりとしたナンの生地をボウルにぺたんとテンポよく叩きつけたり、ピザ職人のようにくるっと空中でまわしたりして遊んでもよいが、生地を落とすなどという失敗をなされぬように。
ベーキングパウダーをいれていないかたは、このまま形をととのえ焼けばナンができる。
ナンとナンは、かんたんにできるのだろうか。
ベーキングパウダーをいれているかたは、乾燥しないように容器にいれ温かい場所におき生地を発酵させる。生地を発酵させることで、ビーチボールをふらますように、生地がふくらみふわふわになる。
生地の発酵具合を確認してみましょう。
にょ~ん。
ふくらみすぎて容器のフタにくっついている。ベーキングパウダーをいれた生地は、めっちゃふくらむ。大きい容器にいれなければダメですよ。いいですか、これはあえて失敗を見せることで、読者に気づきを与えようという作者の心づかいですよ。
失敗から学びましたね、発酵させる生地を寝かせるときは、大きい容器にいれましょうね。
くっついかた生地を4つにわける。ナンの生地はよくのびる。大きくのばしてから、生地を切りわけてもよい。
清潔な作業台に生地をおく、生地が作業台にくっつくときは打ち粉をふっておく。
めん棒や手でスライスチーズをのせられる大きさまでのばす。
スライスチーズをのせる。スライスチーズをぺらっとのせるだけで、チーズナンを堪能できる、とこの時は考えたいた。
もう1枚の生地をかさねスライスチーズをサンドする。できれば、生地のはしっこを餃子のようにきゅっきゅっとしておくとよい。チーズがもれては大変だからね。この時は、そんなことを考えていた。チーズがもれることは、ない。そのままで問題ない。
油をひいたフライパンでナンの生地を焼く。インドでは強火でシャンシャンと焼きあげる。ここは日本、強火では失敗する恐れもある、弱火から中火で焼きめを確認しながら焼くとよい。
ナンらしい白い生地のふくらんだ部分が黒茶色になり、生地ぜんたいが粉をふいたみたいになるように両面焼く。
スライスチーズナンの出来上がりだ。
パリッとサクッとした生地を噛む。焦げた部分と焦げていない部分の香りの対比、食感の対比をたのしめる。チーズナンであれば、粉と粉のあいだから、染みでてくるような、ねっとりとした熟成された濃い風味がこぼれ落ちてくるのだが、チーズの風味が無、ゼロ、ナーダ。ドーナッツのようにぽっかりと中央に穴があいたように風味を感じられない。スライスチーズの風味は、うっすくあるんだよ、いちおうね。
ただ、チーズナンとしての風味がとぼしいだけで、これはこれでクセがなく色々なカレーにあわせやすいナンではある。
崖にぶらさがり、ファイト◯発状態の指先3本の差で失敗したようなナンレシピ。
チーズの風味がほしければ、スライスチーズをたっぷりとかさねると濃厚なチーズ感をたのしめるだろう。
わたしの失敗をカテに、スライスチーズナンを発展させてくださいな。また、なにか失敗してもいいじゃないか、失敗しなくなったとき人間の成長はとまり、退化するのだから。
なぁに、ただ一食だけ食べられないだけじゃないか。さぁ、失敗をおそれずに新しい料理の世界にわけいろうではないか。