【 読書感想文 】『 パプリカ 』を読んで、作家は精神分析の本を読み構想をねる。
『 パプリカ 』は、アニメ化されており、筒井康隆氏の代表作のひとつに数えられる。
筒井康隆氏は、作品ごとに文体をかえ、語りもかえるので、ひとによって代表作はかわる。
映画と小説をくらべると、映画のほうが、ブっ飛んでいる。
小説のほうが、まだわかりやすい、読みやすい。
映画のパプリカは、AIが画像や動画をつくったのか?とたずねたくなるほどに奇想天外、奇々怪々、奇妙奇天烈。
そして、平沢進の曲とあいまって幻想をこえた、異形とよびたくなる物語がくりひろげられる。
小説の文体は、熟成し円熟する一歩てまえ、荒々しく、片意地をはり、大いなる助走といった印象。
『 パプリカ 』のあらすじは、夢の中にはいる装置が存在し、その装置をつかい夢にはいりこみ、そして、人の悩みを解決していく、精神科医、心理療法家の話。
そして、精神科医の研究所のなかで、おきまりの権力あらそいがあり、その争いが、どんどんと苛烈になり、夢世界を飛びだし、現実世界に影響をあたえだす。
夢世界の影響は、精神汚染といってもよいかもしれない。
精神汚染をくいとめるために、精神科医たちと仲間たちは冒険をくりひろげる。
筒井康隆氏の『 読書の極意と掟 』に、フロイドの著作を読み、『 夢 』でフロイドのトリコになったと書かれている。
そして、ユング派の河合 隼雄著の『 ユング心理学入門 』を読み、親しくおつきあいしていると書かれている。
ここからは、私の想像であり、的外れな意見であるかもしれない愚考を書く。
筒井康隆氏は、フロイドとユングの夢について読み、そこから『 パプリカ 』のアイディアを思いついたのではと思った。
ちなみに筒井康隆氏の卒業論文の主旨は、「夢をそのまま描いても芸術作品になり得る」だったと書かれている。
小説家になりたいかたは、枕元にノートをおいておけば、毎晩毎晩、小説のネタのストックがたまる、かもしれない。
ユングの説では、自我があり、個人的無意識があり、そして、その最下部には、普遍的無意識があると書かれている。
普遍的無意識とは、日本人の常識とでもいえるのかな、世間のひとが共有している知識、常識のようなものだと思う(まちがってたらごめん)。
自我と個人的無意識を、世間の常識にながしこみ、暴れさせたら面白いと『 パプリカ 』のアイディアを着想したのではと思った。
夢にはいりこみ、そして暴れさせるためのマシーンを考えだし、マシーンをあつかうキャラクターと発明するキャラクターをつくり、そして敵対するキャラクターと味方するキャラクターを産みだし書かれた小説が『 パプリカ 』
小説のなかで二人の精神をいやす治療行為をおこなう。
精神科医の治療をうけたことはない。けれども、その治療行為は、ひじょうにリアル。
患者の奥底にねむる病の原因をみつける鮮やかな治療行為のおかげで、小説の描写がリアルになり、登場人物の言葉に重みがます。
そして、後半になるにつれ夢と現実が混ざりあう世界の異様さ、荒唐無稽さがひきたつ。
さて、『 パプリカ 』をオススメできないひとがいる。
それは、女のキャラは処女であるべきだ、とか、一途であるべきだとか、ユニコーンのように純粋な気持ちをお持ちのひとにはおすすめできない。
治療行為として、危機から逃れるために性交をおこなう。
性交の描写は、『 残像に口紅を 』のほうが、すぐれているように思った。
『 残像に口紅を 』は、つかえる文字が減っているというのに、つやつやとエロティクだった。
最後にパプリカは、野菜ではなく、香辛料のパプリカです。