おりびあコスモス

カナダ在住20余年になりますが、ソーシャルワーカーとして勤めながら、学生の頃から詩やショートストーリーを書いたり、愛知県の地元誌や、アルバータ州の日本語情報誌に記事を投稿したりしてきました。この度、創作活動の範囲を広げたいと思い、こちらに参加してみました。

おりびあコスモス

カナダ在住20余年になりますが、ソーシャルワーカーとして勤めながら、学生の頃から詩やショートストーリーを書いたり、愛知県の地元誌や、アルバータ州の日本語情報誌に記事を投稿したりしてきました。この度、創作活動の範囲を広げたいと思い、こちらに参加してみました。

最近の記事

ターゲットはいつもそこに

久々に一緒に出かけた あなたと ただ 楽しむために クリスマス休暇で 賑わう 金網で 仕切られた空間の 奥にあるのは 「やれるものなら やってみな」 そう 言わんばかりの的だった 両手で振り上げた 斧を 渾身こめて 的に向かって 投げた 他には何も 考えなくていい 5年先の事も 10年先の未来も ただ両手で 握りしめた斧を 頭上に構え 片足を前に出して 体を前後に揺らし 勢いをつけてから 斧を放つ あなたの投げる斧は 力が足りなくて 的に届かない 届いても 刃の向きがずれてい

    • 火曜日の思慕

      あなたの鼓動は、メトロノームのように ぶれることなく いつも一定なのだろうか それともあなたの奏でる旋律のように 時には激しく 時には穏やかに波打つのだろうか あなたの瞳が 私に焦点を合わせて 優しい光を放つとき 私は心の中でそっとシャッターをきる あなたの声が 私の名前を シルクで撫でるように 発音するとき それは私の脳に録音されてしまう 立ち止まって 何か言いたげに 迷う日もあれば 楽しそうに音楽への情熱を語る日もある 「不機嫌でここへ来ても、帰る頃にはいつも幸せな気持ち

      • 「ママ、 大丈夫。気にしないで。」

        #子どもに教えられたこと カナダに住んで25年、いろいろな人に助けられながら私達夫婦は二人の子供を育ててきた。上の子は娘で、去年大学に進学するため飛行機で1時間ちょっとかかるバンクーバーへ引っ越した。息子は最近14歳の誕生日を迎え、思春期真っ只中だ。 子供達には、本当に数えきれないくらいいろんな事を教えてもらってきたし、たぶんこれからも学ばせてもらう事が多くあるのだろうと思う。 小さなチアリーダー達 娘が3歳か4歳の頃だった。日本の実家に、カナダ人の夫も一緒に3週間ほ

        • 病める時も 不安な時も - 迷いだらけの妻•母 修行は続くよどこまでも

          最後にノートに投稿してから、もうどのくらい経ってしまったのだろう。2年半前に、今の職場で勤め始めてから、あっという間に日々が過ぎていく。 高校生だった娘も卒業し、去年の秋にバンクーバーの大学で音楽を勉強するため、巣立っていった。娘はしっかり者で、社交的だし、いつも賑やかに騒いだりお茶目に私達を笑わせ、楽しませてくれていたから、娘のいない生活が、私達家族にとってたまらなく寂しかった。 4年前に多発性骨髄腫の診断を受け、今も治療を受けている夫は、娘というチアリーダーの存在が欠

          アラフィフの自分磨きと夫婦生活

          先月、夫が55歳の誕生日を迎えた。そして今年の5月には、私たちの結婚25周年の記念日がやってくる。「25年って、長かった?短かった?」そう尋ねたら、「どう答えたら君は満足するの?」と夫は苦笑しながら質問に質問で応じた。 あまりに長い時間一緒に暮らし、子供達を一緒に育ててきて、彼の会社の倒産やら、私の弟の急死、彼のリストラと闘病だの、いろんな事を乗り越えながら、運命共同体となった私たち。そんな私たち夫婦を、娘は「長い事一緒に暮らしてるルームメートって感じだよね。」と表現した。

          アラフィフの自分磨きと夫婦生活

          面白かったスカウトのイベントで気づいた事

          つい最近、息子と夫の参加しているスカウトのイベントで、面白い光景を目にした。 毎年ベーデン•パウエルの日、といってボーイスカウトの創設者にちなんだ表彰式が、それぞれの支部でだいたい5月の初め頃に行われる。 その表彰式には、父兄も招待されるので私も先日行ってきた。下は5歳から、上は高校生くらいまでのスカウトメンバー達がリーダー達からそれぞれにバッジを受け取った。リーダー達がスライドを使ったり、子供たちのクラフト作品などを並べて活動報告をした後、中学3年から高校生くらいの少年

          面白かったスカウトのイベントで気づいた事

          なんちゃってバイリンガル家庭のおかしな会話

          私は20年以上前に、留学中に出会ったカナディアンの夫と結婚して、思いもよらずカナダはアルバータ州に住むことになった。 夫は私と出会う前に、日本で英会話教師をしていたこともあって、片言の日本語なら分かるけれど、家での日常会話はほぼ英語だ。 私は子供たちに日本語で話し、子供たちはパパには英語で話しかけ、私には英語混じりの日本語だったり、日本語の混ざった英語という、なんだかちゃらんぽらんな言語で話しかけてくる。なまじ、私も彼らの言わんとしていることが分かってしまうので、そのまま

          なんちゃってバイリンガル家庭のおかしな会話

          カナディアンロッキーで握り返した夫の手

          前回の投稿でも書いてきたのだけれど、私の夫は2019年の秋に、多発性骨髄腫という血液ガンだと診断された。その後、4ヵ月の抗がん剤投与を経て、2020年3月半ばに、幹細胞移植という、自分自身の健康な血液細胞を抽出して増やし、また自分の体に戻すという治療を受けた。 一時は歩くことさえ困難で、20歳ほども年かさが増したのではないかと、近所の人に驚かれた夫も、幹細胞移植の後少しずつ体力を取り戻していった。癌の治療が始まった頃は、車輪のついたウオーカーを借りてきてつかまり歩きをしなが

          カナディアンロッキーで握り返した夫の手

          明日よ、来るなら来い

          2021年の春、カナダはアルバータ州のカルガリーに住んでいる私の子供たちは、それぞれの学校でコロナ感染者が出たため、本人達は感染していなくても自主隔離をするよう要請され、度々家でオンライン授業を受ける事になった。やっと学校に戻れたと思ったら、また自主隔離、そんな日々が続いて子供達のメンタルヘルスが大きく影響を受けた。 5月、6月頃にはアルバータ州の12歳以上の子供達もワクチンを受けられるようになり、7月の始めには州の人口の70パーセントが、少なくとも一回目のワクチンを受けた

          明日よ、来るなら来い

          52歳で0歳になった夫

          人生をゼロからやり直せたら、あるいはある程度遡ってそこから再出発できたら...誰でも一度や二度はそう思う事がないだろうか。私達夫婦の生活も順風満帆とは言えなかったけれど、だからと言って全てリセットしたかった訳じゃない。前へしか進めないのだから、前向きにやってきたつもりだった。頑張り屋で責任感の強い夫は仕事もボランティアも一所懸命やってきたし、育児も一緒にやってきた。その彼が、リストラで職を失う寸前に癌になった。その前の年に、私の弟はくも膜下で、44歳で急逝している。八方塞がり

          52歳で0歳になった夫

          多発性骨髄腫という壁

          2019年の秋、4度目の救急病棟への訪問で、やっと夫の病名が、多発性骨髄腫という稀な血液ガンであることが分かった。レントゲンの結果、ぼろぼろになった腰椎が一つ外れていた事が分かった。それで、初めてなぜ彼が脂汗を流し、立つのもやっとの痛みを抱えていたのかが分かった。 私は27年前、留学生としてカナダのカルガリーにやって来た。カレッジでソーシャルワークを勉強していた時に出会ったカナダ人の彼と結婚して、カルガリーに住む事になり、もはや20年以上が過ぎた。 夫は生真面目で、責任感

          多発性骨髄腫という壁

          差し出された手と、ボニー•タイラー

          カナダはアルバータ州のカルガリーに住んでいると、毎年8月の終わりには秋の訪れを感じさせられる。ハイキングに行けばトンボは飛んでいるし、朝や日が沈んだ後は肌寒いくらいの涼しさだったりする。先日家族と行った湖のほとりで、トンボの写真を撮った。透明で、一見とても繊細な羽根が力強くはばたいていた。トンボの寿命は成虫になってからは、そう長くないそうだが、トンボが別にそれを意識している訳ではない。私達もまた、とりわけ健康な者ならば、寿命を覚悟して生きている人がどのくらいいるだろう。 私

          差し出された手と、ボニー•タイラー

          ひとりぼっちのサンクスギビング

          結婚を機に、カナダで住むようになって21年目の秋だった。私はこれまでとは全く異なるサンクスギビング、収穫感謝祭のウイークエンドを過ごす事になった。カナダのサンクスギビングはアメリカと同じ起源で、ヨーロッパから安住の地を求めてやってきた清教徒が、北米の先住民達に助けられ、新天地での初めての収穫を、神への感謝と先住民達との友好の印として祝った事が由来とされている。カナダのそれがアメリカの感謝祭と違うところは、そのタイミングだ。北と南では農作物の収穫時期がずれるため、カナダの収穫感

          ひとりぼっちのサンクスギビング

          四度目の正直

          2年前、9月の半ばを過ぎた頃、私は久々の息抜きに友人の家でお茶をしながらお喋りをしていた。昼過ぎの1時頃、携帯の呼び出し音がオフになっていた事に気づいた。そして、義母から着信があった事にも気がついてすぐ連絡すると、義母はものすごい剣幕で、「どこにいるの?ずっと電話してるのに!」と怒鳴った。ひどい腰痛の原因が分からないまま、バスでカルガリーのダウンタウンへ通勤を続けていた夫が、バスを降りた途端倒れたらしい。その後何とか自力で会社までたどり着き、私に連絡したらしいのだが、私がつか

          つないだ手と、つなぐ命

          2019年8月下旬、私は腰痛が悪化し歩けるのがやっとだった夫を、カルガリーの救急病棟へ連れていった。立っていても座っていても襲ってくる激痛に、震えて脂汗を流す夫を見ている事しかできない私は、いつまでも待たされる事に苛立っていた。2時間以上は待っただろうか。ようやく診察室に通され、それからさらに医師が現れるのを待った。夫は以前 鼠径部のヘルニアの手術を受けたことがあるので、椎間板ヘルニアなど腰の損傷を疑われたが、その場でレントゲンなどの検査も受ける事ができず、下半身が麻痺して便

          つないだ手と、つなぐ命

          手をつなぐきっかけ

          それは、夫と結婚して21年目の2019年の秋だった。春から、ずっと腰の痛みを訴えていた夫の容体が急激に悪化して、彼はバスで通勤するのも困難になっていた。ある朝、彼は激痛でベッドから起き上がるのもやっとのことで、心もとない足取りで、ゆっくりと階段を一段一段降りてくると、「病院へ連れて行って欲しい。」と言った。以前にも、私達には似たような経験があった。 一人目の子を授かって5か月の頃、朝起きてリビングに降りてくると、夫が苦しそうな表情でソファに丸くなって座っていた。「胸が痛い。

          手をつなぐきっかけ