「ママ、 大丈夫。気にしないで。」


#子どもに教えられたこと

カナダに住んで25年、いろいろな人に助けられながら私達夫婦は二人の子供を育ててきた。上の子は娘で、去年大学に進学するため飛行機で1時間ちょっとかかるバンクーバーへ引っ越した。息子は最近14歳の誕生日を迎え、思春期真っ只中だ。

子供達には、本当に数えきれないくらいいろんな事を教えてもらってきたし、たぶんこれからも学ばせてもらう事が多くあるのだろうと思う。

小さなチアリーダー達

娘が3歳か4歳の頃だった。日本の実家に、カナダ人の夫も一緒に3週間ほど里帰りして、またカナダに戻ってきた私は、ホームシックになっていた。ソーシャルワーカーとして働いていた職場では、日本人は一人もおらず、移民もあまりいなかった。毎日仕事と家事、育児で忙しく、限られた数名の日本人の知人や友人と連絡を取り合うこともままならなかった。「お母さんに会いたい。日本に帰りたい。」と私がポツリと言ったのを聞いて、娘が元気よくこう言った。「わたしはさみしくないよ。日本にいけなくても、じいじとばあばに会えなくても、ぜーんぜん平気だよ!」私は思わず、「何て事言うの!」と一喝してしまった。その瞬間、娘はわんわん泣き出した。私に怒られて泣いたのではなかった。「じいじ~、ばあば~。」と祖父母を恋しがって泣いたのだ。それで私は初めて気がついたのだ。小さい娘は私を励ましたくて、彼女なりに、自分の寂しい気持ちを我慢して、「ママ、私は平気だからね。ママも元気出して。」と言いたかったのではないかと。私が寂しがるあまりに、幼い娘が「じいじとばあばに会いたいね。」と言いたかったのを我慢させてしまい、そのうえママを励まさなくちゃ、と思わせてしまったことに反省した。

息子に励まされて笑ったこともある。やはり息子が2歳半くらいの頃だ。ダウンタウンの公園へ連れていった帰り、急な坂を息子の乗っているベビーカーを押して登っている最中、息切れして止まった時だった。息子がピょ~んとベビーカーから降りて、私の応援を始めたのだ。チアリーダーのように、まるでランニングマンというダンスの動きをしているような動作で、「ゴー、ママ!ゴー、ママ!ゴー、ママ~!!」と踊ってみせた。なんだ、そんな元気があるなら最初からベビーカーに乗らずに一緒に坂を登ればいいのに、と思っていたら、すれ違った年配の男性が、「おお、元気があっていいな。」と息子に声をかけた。はい、私の元気が吸い取られていますから、と言いそうになってやめた。こんな風に、親が勝手に、この子はまだ分かっていないから、とか、この子はまだできないだろうから、と思い込んでしまって、実はそうではなかったんだと教えてもらう事がしょっちゅうあった。

見守るだけって難しい

「お母さんの、口はいらない。耳が欲しい。」私が小学生の時、授業参観の時に読んだ詩か作文の一部だそうだ。その場にいた母は耳まで真っ赤になるくらい恥ずかしかったそうだが、後で、同じく授業参観に来ていた母親達から、「自分の事を言われているかと思った。本当にその通りですね。」と言われたらしい。私は全く覚えていないのだけれども。むしろ、覚えていたら、自分の子育てにもっと役立てていたのに、と思う。

娘が小学校高学年の時にいじめられたり孤立した時、本当に腹が立って、どうしたら解決できるか話し合おうとした。でも、娘は私や夫に解決して欲しい訳ではなかった。ただ、聞いて欲しかっただけ。そして、我が家と家族は、ありのままの自分を受け止めてくれる、安全な場所だと確認したかったのだ。娘は泣いて怒って訴えた。「パパとママに何かして欲しいんじゃないの!嫌な事があったって言いたかっただけなの!パパはすぐ解決しようとするし、ママはすぐ興奮するから、何も言えなくなっちゃうでしょ。」と。そう、娘はただ、私達の耳とハグが欲しかったのだ。

生まれてきてくれてありがとう

私の母が、物心ついた時から私と弟に、時々言ってくれた言葉が、今まで母に与えられたものの中で、命の次に大切なものだと思っている。今は亡き弟が生前言っていたが、「生まれてきてくれてありがとう。」と母によく言われていたお陰で、何とか道を踏み外すことなく頑張れたそうだ。本当に心から、私も子供達に、「生まれてきてくれてありがとう。」と伝えていたら、「生んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。」と答えるようになった。親が与える事よりも、子供が親に与えてくれる事の方がよほど大きいのではないかとつくづく実感させられる。

ママ、 大丈夫。 気にしないで。

37歳で、やっと2人目の子を授かった私は、息子が2、3歳になってちょうどやんちゃが激しい頃、体力も気力もついていけずに、たまに声を荒げた。年をとった分忍耐強くなれるかと思っていたが、逆だった。何回も同じ事を注意する根気がなくなって、その分注意の仕方が厳しくなっていた。上の子が娘だったから、余計に息子の予想外の行動に、振り回されたような気がしていたのかもしれない。いい母親でいよう、優しいお母さんでいたいと思って、普段あまり細かい事を言わないようにしていた分、お姉ちゃんと喧嘩が始まって大騒ぎになった時などに、「もうやめて~!」と、雷を落とすのだ。

そして、息子が私の声にびっくりして泣く度に、抱きしめて、私も泣きながら、「ごめんね、怒ってごめんね。あんな言い方してびっくりしたね。」と
謝った。上の子が8歳か9歳だったからと言って、まだ2歳か3歳の子に、同じようにやっていい事といけない事の分別はついていないのだ。私が感情に任せて怒ってしまうと、小さい息子の目は、「どうして?ぼくの大好きなママなのに。どうして?信じられない。」とでも言いたげな表情を伴って、涙で潤った。私が落ち着いてから、「あんな言い方しなくても良かったよね。もっと別の言い方すれば良かった。ごめんね。」と謝ると、小さな息子がいつも言っていた。「イッチュオーケー、ママ。ぼくもごめんなさい。」

14歳になった息子に頼まれて、先日クリスマスプレゼントの買い物に、ショッピングモールに連れて行かされた。息子から友達や家族に贈るプレゼントを買いに行きたいというのだ。私も息子も忙しかったので、夕方行こうと決めていたのだが、本人の確認ミスで、思っていたよりもモールが早く閉まってしまうと分かり、息子が「たったの1時間しか買い物する時間ないじゃん!」と癇癪を起こした。モールに着くまで不機嫌だった彼だが、買い物を何とか済ませた帰り道、「ママ、ぼくさっき怒ってごめんね。」と謝った。「イッチュオーケー」と返事したら、「何それ?」と笑った。「覚えてないの?あなたが小さい時、ママがものすごく怒って、あなたを泣かせてしまったから、ママが『ごめんね。』って言ったら、It's OKってまだ言えなかったあなたが、イッチュオーケーって言ったんだよ。」息子が教えてくれたのだ。大丈夫。怒ってないよ。ゆるしてるよ。まだ、そしていつも大好きだよ。

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