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それでいい。


いつからだろうか。。。


こんな変わっちゃったの。


ふと思うんだよね。え?これって私だった?って。


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つい先日、掃除をしていたら自分が書いた友達宛の手紙を発見した。

そこにあるという事だから送り損ねたやつだ。

内容を読んでみると、『こんな事あったんだよねー』みたいなどうでもいい日常話だ。

でも言葉の随所随所に(カッコ)して、自分の言う事に対し自己ツッコミを入れていた。

それは、ほんとにほんとーに、くだらないのだけど。。。

それは本当にほんとーに、くだらなく面白かった。


いまの自分に無いおもしろさ
というか、忘れてしまってたんだ。。。


その瞬間、ハッとした!


え?これって、私だった?
こんなめっちゃ面白い事、書いてるの自分?


社会人になって、忙しくせかせか働いて。。。
いろんな人に会って怒られて、泣いて。。。
いじめに遭って、心閉ざして。。。
膠原病という病気になって。。。


揉みくちゃになってボロボロになって、
だんだん見えてたものが見えなくなっていたんだ。


その間に覚えたのは、周りに気を遣うこと、人より目立たない様に透明で忍んでなきゃならないこと、周りは自己主張してるのに、自分はしてはいけないとグッと我慢していたこと、病気で痛みがあっても笑顔でいなきゃと思ったこと、


なんだか知らず知らずのうちに苦しさや我慢の割合の方が増えていった。


時には、どうやって笑うんだったっけと忘れたくらいだ。


いつしか形式張ったこうしなきゃいけない自分になっていたのを、本来の自分を手紙によって思い知らされた。


ありがと、昔のじぶん。


忙しさにかまけてるとヤバイ。。。麻痺するわ。
時間や環境もそこの沼にハマると変な次元に迷い込むわ。


映画やドラマでそれらしいエピソードを見ては、本来のじぶんって‥…と思う事はあっても、それはあくまでもその人のストーリーであるので、本当の本来の自分を動かせられるまでの力は無い。


やっぱ自分は昔の自分じゃないと説得力が無いのだ。
それをまじまじと痛感した。


だからじゃないけど、
このnote『わたしのひとりごと』ではありのままでゆく。


自由に頭の中の思考を書く!
そのままのじぶんでいいんだ。それでいい。

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