人から押しつけられた理想の自分を掲げてしまうといつまでたっても理想の自分になれないわけ
「身の丈に合う」と言う言葉は、わかっているようで自分ことになるとわからなくなる言葉のような気がします。
収入に見合った生活とか背伸びをしないくらいの理解度かも。
「身の丈に合ってない」人といえば、嘘をついて自分をよく見せるパターンが思い浮かびます。
経歴詐称とか、高級品でかためて見栄を張ったり、なんでも知ったかぶりしたり、まあバレると残念な人になりかねないのですが、そこここに出没しています。
勝ち組を意識し過ぎるから、人から「こう見られたい」が原動力になるのだと思います。
だから、とにかく人から羨ましがられる服や持ち物、あるいは過度な整形に走りがちだし、俺様はすごいんだぁとばかりに人脈をひけらかす人もいます。
そういう自分に酔ってるっていうのもあるのでしょうが、どこか自己満足の域を出ていないので、実際の本人像とすごくかけ離れている感じがします。
つまり身の丈に合った自分を語ってないなって。
「じゃあ身の丈に合うって言うのは、自分はこれくらいって決めてしまうことでしょ、それってどうなの?」
と言う意見もあるかと思います。
人は今の自分より上を目指すから成長するんだと言われたら、はいその通りです。
人間には欲も必要で、寝たい、食べたい、遊びたいが生きたいに繋がっています。
ミラクルクエスチョンという理想の未来を想像させて、ネガティブな未来を書き換える心理療法もあります。
ものすごいカリスマとか、エネルギッシュなコーチとかコンサルタントに言われると、
「自分もできる」って思えてきちゃうから不思議です。
そのまま突き進んで成功をおさめる人もいることはいるんですけど、
たいていの人は、そこまでうまくいかなかったという経験の方が多いんじゃないかなあ。
そして、身の丈を知れってどこからか言われているようで凹む。
確かに、人それぞれに努力や継続力、能力の差はあるので、そこを突かれると言い返せない。
でも、うまくいかなかった原因のひとつに、人に言われて人から教えられたイメージをそのまま使ってしまったことがあると思います。
理想のイメージの自分ばかりを見せられて、現実の自分を見ていないから、つい成果が早く現われると思い込んでしまいます。
浮ついた「自分もできる」と錯覚してしまうと、うまく回らなくなって「なんで自分だけできないんだ」と落ち込みます。
ネガティブな状況や感情に対する耐性が低い人ほど、不安が強い傾向にあります。
だから余計にパッと一瞬で明るくなることを期待します。
ある種、詐欺のカモになりやすいので注意が必要です。
でも、なりたい自分、ありたい自分、理想の自分を掲げるのは悪くない、と私は思います。
人に植え付けられたイメージ通りの自分では無くて、あくまでも自分の頭で考えた自分です。
そのとき、今の本当の自分の姿を直視し受け入れ、ギャップを目の当たりにしても凹まない強さは大事になります。
「ああそうですよ、それが私ですよ」とある意味、開き直らないと精神の安定はほど遠くなります。
ローンでブランド品一個買って、身の回り全部そのランクと見せるより、
ローンで欲しかったブランド品一個買ったけど、
めちゃうれしいし、節約も仕事も頑張ろうって素直な自分を出すことでが好感度もあがるものですよね。
「身の丈に合う」というフレーズを聞くと、どうしても下方修正のイメージがありますがそうではないことも多々あるんです。
自分のことはわからなくても、他人のことはよくわかるときが多いと思いますが、友達と話していても、そんなに自分を卑下しなくてもという気持ちになることがあります。
人は自分を過小評価しがちなんです。
謙虚が美徳とされていますしね。
人と比べても仕方がないからやめましょうとはいいますが、
でもある程度人と比べないと自分の相対的な位置はわかりません。
ただ、自分を過小評価する人は、比べる人たちの母数があまりにも少ない。
よく、海外に行って価値観が変わったとか言う人がいますが、それも母数が日本人から世界の人と大きくなっています。
自分のまわりだけだと、自分より上の人が記憶に残りやすくなって、結果偏った母数になります。
もっともっといろんな人たちを見聞きして、母数を広げてから自分の位置を知ることも大事です。
「身の丈に合う」というのを考えるとき、自分にもっと自信を持って上方修正してもいい人もたくさんいます。
自分の真のすばらしさを素直な気持ちで受け取ってください。
煮詰まったとき、カウンセリングを受けてみることをおすすめします。対面カウンセリングが無理な方には、電話、オンラインもやっています。どんどん気軽にご利用くださいね。