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今日は記念日
二面性って誰にでもあると思う雨だんけど、
子どものような時もあればその子どもになっている自分を
見ている親の自分。
そのバランスが「自律」ってことなんだろうけど、
自律がうまいことできすぎると
ひとりで生きれてしまうから、
「自立」ができなくなると、この世が終わったと
勘違いしてしまう。
病気になってからは、自分の心を律することができなくなって、
自分の体で立っていることができなくなって、
誰かに頼らなくてはならなくなって。
自分でできない葛藤が生まれた。
エゴがなかなか手放せなくて苦しんだ。
人に頼ることは自分を殺す行為って思ってたし、
他人の手を借りていきるなんて、手の内に入れられる恐怖もあって、もう死んだほうがマシとも思ってたから本当に辛かった。
しかしバランスを意識することで乗り越えられた。
まず自分を高いところから見れるように訓練した。
この地球で生きるのに
「個」にこだわってでなんでもしていこうとしている自分が見えた。
困っているのに誰にも頼らず、
自分で一生懸命に試行錯誤している姿が見えた。
そんな頑張り屋さんの自分がとても愛おしくなったし、
そんなにがむしゃらにやっているのに弱音を吐かず、
他者にエネルギーを与えて人に優しく、謙虚に、誠実にやっているのが痛無理しているってわかったし、
”休んでもいいんだよ”と”甘えてもいいんだよ”
そんな抱きしめてやりたいって心の底から思った。
そこから、0か100でしか行動できない自分は100で甘え出しだ。
何もやらず、他者を傷つけ避難し、暴君になっていた自分を
また高いところから見た時、
どうやったら、「自立」させてあげられるか。
たくさん考えた。
どうしたら、自分は居心地よくやる気スイッチが押せるか。
自分を傷付けずに持ち味を生かしていいと促すか。
たくさん対峙した。
そこで出た答えは
『やるっきゃない』
今、そのフェーズにいるのかも知れない。
がむしゃらに生きる愛おしい姿をやる。
自分の信念と私しか持ってない底力と気の強さ。
そのエネルギーでやるっきゃない。
”疲れた”と100で甘えられれることを知ってしまったから
腰がアガあらないのもわかる。
でも、『やるっきゃない』って声をかけてあげたとき
重い腰が上がった。
今日はその記念日。
きょうからまた自分に厳しく、「自分探し」を初めていく。
0か100かで生きてきたからこそ、
危険という直感だけは人よりも備わっている。
何も恐れずにまた、100の自分で生きていけばいい。
そんな天真爛漫で明るく、強い自分が大好きだ!
自分のセンスを信じて進もう。
今日も楽しく、
愛が溢れる佳き1日になりますように。
oli