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心が震える瞬間は、これから先の人生にもきっと

先週の金曜日は少し早めに仕事を切り上げて、環の誘いで三軒茶屋のグレープフルーツムーンというライブハウスに足を運んだ。
ライブハウスに行くこと自体がすごく久しぶりで、入口で地下に潜る小さなライブハウスに行くことは尚更久しぶりだった。
昔は当たり前のように通っていた場所だけれど、あらためて行ってみるとなんだか秘密結社というか、アジトみたいな雰囲気だなとか思った。

この日は、眞名子新というミュージシャンのリリースパーティーだった。
名前すら知らなくて、環の誘いだったからなんとなく行ってみたけれど、ものすごく良い声で、ものすごく良い歌詞を、ものすごく良いメロディーに載せて歌う最高なミュージシャンだった。
一曲目の「灯り」の歌い出しから、息を呑むように聴き入ってしまった。

演奏を聴きながら、ライブハウスという場所で心が震えるような音楽と出会うという体験が、自分の人生にまだ起きることがあったのか、とか考えていた。
環と出会ったばかりの二十歳前後の頃は、毎日のようにライブハウスに通い詰めて、そんな出会いをした記憶がいくつかある。

そう、その出会いがあると知っていたからこそ、僕はライブハウスに通っていたんだった。

だけど、働くようになってからなかなか時間が取れなくなって、そういうものとはもう無縁な人生になったと思い込んでしまっていた。
帰りの電車の中で、環にオススメの音楽を教えてもらいながら、これからの人生にも今日のような日がまたあると良いなと思った。
そしてそれは、自分次第でもあるなと。


翌日は、横浜F・マリノスのホームゲームがあったので、いつも通り日産スタジアムに向かった。
こちらは学生の頃から変わらない習慣である。
だいぶ年季が入ったサポーターなので、もはや保護者のような目線で、選手やスタッフ、ゴール裏の応援を見つめているような感じだ。

この日の試合は、マリノスが前半リードで折り返したにもかかわらず後半に逆転を許し、残り時間はアディショナルタイム7分のみというところまで追い込まれた。
相手に退場者が出たこともあってスタジアムのボルテージが上がり、アディショナルタイムが3分を経過したところでマリノスは同点に追いついた。

そして終了間際、ピンチを乗り越えてカウンターに転じて迎えたチャンスで、度重なる大怪我から復帰した宮市が放ったシュートが相手の選手に当たってゴールに吸い込まれた。

その瞬間、地鳴りのような歓声が鳴り響いて、空気が揺れているのがわかった。
普段は得点が入ってもクールに手を叩いて喜びを表現するような人たちが集まるエリアにもかかわらず、この日は総立ちになって、試合終了まで「WE ARE MARINOS」の大合唱をした。

マリノスを観に行くようになって25年が経った。
その間にいくつもの名勝負や優勝の瞬間を味わってきたけれど、この日のような割れんばかりの声援、独特の雰囲気にスタジアムが包まれたことは、片手で数えられるくらいだったと思う。

通い慣れた場所で、またこんなに素晴らしい瞬間を迎えることができるとは。
思えば、自分がマリノスに本格的にのめり込んだのは、1998年に当時の国立競技場で、終了間際の怒涛の攻めで2点差をひっくり返した試合からだった。

宮市がヒーローインタビューで語った

「諦めなければ何かが変わる。それをみなさんに感じ取ってもらえたら嬉しいです」

その言葉が全てだった。
サッカーは、人生に喜怒哀楽を生み出し、人生に大事なことを教えてくれる。

だから僕は、サッカースタジアムに通い続けるんだ。


幼少期や学生の頃のように、目の前の出来事に新鮮さや感動を覚える機会は少なくなったし、これから先もそういう機会はひょっとしたら少ないのかもしれない、と思っていた。

だけど、僕はその頃に好きになったものを、幸運にもずっと好きでいることができていて。
その好きな音楽やサッカーで歓びを感じて、明日も生きていこうという気持ちになっている。
またその歓びを味わうために、生きていきたいと思えている。

心が震える瞬間は、これから先の人生にもきっとある。
そう確信して、今日も僕は生きていく。

灯り / 眞名子新


<太・プロフィール> Twitterアカウント:@futoshi_oli
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗などを経て、会社員を続ける。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

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