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「こうあるべき」に殺されるな

 学校が苦手だった。
 学校生活をうまくやれなかった、という感覚は僕の中にずっと居残っている。

 特に、先生が苦手だった。
 恩師として尊敬するような先生は、1人もいない。連絡を取っている先生も、1人もいない。卒業後に開かれた先生を囲む会にも1回も行ったことがない。
 大人に「こうあるべき」を強く求める子どもだった僕は、先生の不完全さを受け入れることができなかった。
 今になってみると、数十人の生徒がいるクラスを率いて、それぞれの進路や家庭生活まで注意しないといけない先生の仕事は、とても大変だということは理解できるけれど。

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 学校や先生という存在が決定的に苦手になったのは、小学校4年生の時のことだった。
 進級して、クラスの担任の先生が変わった。30代後半の女性だった。「すごく明るくて楽しい人」という評判とともにやってきた先生は、ニコニコした笑顔とみんなを巻き込む方式の授業で、すぐに人気が出た記憶がある。

 先生が人気を集めた一番の理由は、「ご褒美シール」の存在だ。
 「テストで良い成績を残した」
 「掃除をキレイにできた」
 良いことをした生徒の教科書に、ご褒美としてシールを貼る。シールはバリエーションが豊富で、キャラクター系からネタ系まで。小学生が見ると目を輝かせるようなものばかりだった。
 みんな、先生からシールをもらうために必死で競い合った。僕も例に漏れず、教科書をシールで埋め尽くすことばかり考えて、テストの結果や自分の振る舞いに一喜一憂していた。

 そんな先生のことを最初は好ましく思いながら過ごして数ヶ月が経った頃、下半期の学級委員を選出するタイミングがあった。
 どういう流れでそうなったのかは全く覚えていないけれど、僕は学級委員として推薦された。
 「やりたくない」と直感的に感じたけれど、拒否権は存在しなかった。推薦されただけなのにどんなクラスを実現したいかを発表して、僕は学級委員になった。その時は少し誇らしかったけれど、それからの生活は最悪だった。

 先生は【足が速い生徒】【頭の良い生徒】【面白いことを言う生徒】、自分が気に入った生徒をヒーロー化する人だった。ことあるたびに、みんなの前で褒めちぎりながら、教科書に特大級のシールを貼る。だからシールの量で差が明確になってしまい、スクールカーストが目に見えて出来上がるようになっていた。
 僕は、【足が速い生徒】【頭の良い生徒】【面白いことを言う生徒】、どれにも当てはまらなかった。運動神経が鈍くて、成績も良いわけではない、面白くもない。そのことをはっきりと自覚していたから、学級委員はやりたくなかった。先生が、学級委員には【足が速い生徒】【頭の良い生徒】【面白いことを言う生徒】、どれかを求めていることがわかっていたからだ。
 
 学級委員に必要と考える水準に僕が達していないことに先生が気づいた頃から、僕へのあたりはどんどん厳しくなっていった。
 テストで悪い点を取ったときは、睨みつけながら答案を渡された。算数の問題が解けた人からシールがもらえる授業では、クラスの中でも最後の最後にやっと解けた僕に対して「学級委員なのになぜ一番になれないの?」と言いながらめちゃくちゃ小さいシールを貼られた。
 そんなことが繰り返されながら日々を過ごしていた中で、決定的な出来事が起こった。

 学級会で、僕が司会として会を進めていると、先生が「多数決の取り方がわかりづらい」と苛立ち始めた。指摘の意味がわからず、どうやって修正したら良いかわからなくてうろたえていると、先生は畳み掛けるように怒った。その様子をみて、徐々に周りの生徒もイライラし出して、先生に呼応した。

 最終的には、先生が「太くんの説明がわかりにくいと思う人、手を挙げてー?」とクラス全体に呼びかけて、一斉に手が挙がった。
 「こんなこともできないのね」と先生は僕を睨みつけながら、代打で【足が速い生徒】を前に呼んだ。【足が早い生徒】主導で、先生がわかりやすいと思う形で多数決を取り直して、その場が収まった。
 僕はその様子を、教室の端で立って見ていた。多数決の数字にすらカウントされなかった自分のことを「終わったな」と思いながら。
 その日はとてつもなく凹んで状態で家に帰って、いつもどんな出来事でも話していた母に対しても、その話はできなかった。
 
 完全に落第点をつけられた僕は、翌日からあまり「学級委員」として扱われなくなった。何かを任せられることもなくなったし、話し掛けられることも減った。情けなくもありながら、担任が変わるタイミングになると、先生の価値観からもシールからも「やっと解放される」とすごくホッとした。

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 「こうあるべき」は、人をボロボロにする。
 それは、自分のことであっても、他人のことであっても。
 目標や役職、経歴、コミュニティの中での立ち位置。
 無意識に「こうあるべき」像を作り上げて、努力してしまうし、他人には求めてしまう。

 そして、自分が「こうあるべき」を達成できなかった時には、大きな失望がやってくる。
 逆に他人が「こうあるべき」を達成してくれなかった時には、攻撃的な感情が芽生えてしまう。
 小学校4年生の僕が暗澹たる気持ちで学校生活を過ごしたように、先生が僕を睨みつけたように。
 
 みんなが思う「こうあるべき」に応えられなかった、TVに出ていた有名人が、SNSの誹謗中傷に耐えられずに命を絶つような時代になってしまった。

 「まともに生きなさい」「人に迷惑をかけるのはやめなさい」
 そう学校で言われて育った結果が、今の世の中だ。
 書店に行くと自己啓発本が溢れていて、「社会人●年目の教科書」みたいな本がたくさん出ている。ずっと、ずっと、いつまでたっても、人は「こうあるべき」から抜け出せられない。

 もういっそ、「こうあるべき」など、わからなくなってしまいたい。
 「こうあるべき」などを求めるのではなく、生身の人間がどうなのかだ。僕自身、他人の、生身な姿を大切にして生きていきたい。
 そして、それに良いも悪いもない。
 まともなんて、わからなくていいんだ。

<太・プロフィール> Twitterアカウント:@YFTheater
▽東京生まれ東京育ち。
▽小学校から高校まで公立育ち、サッカーをしながら平凡に過ごす。
▽文学好きの両親の影響で小説を読み漁り、大学時代はライブハウスや映画館で多くの時間を過ごす。
▽新卒で地方勤務、ベンチャー企業への転職失敗を経て、今は広告制作会社勤務。
▽週末に横浜F・マリノスの試合を観に行くことが生きがい。

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