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11.御大典記念福岡市動植物園   (現・福岡市動物園)

 福岡市東区にある「福岡市立馬出小学校」の敷地内に、かつて福岡市動植物園に使われた正門がある。(※1)世界で有名だったドイツのハーゲンベック動物園の正門、敷地内も模写して造られていたと言われている。当時の総工費は9万円、そのうち半分は市民からの寄付であった。

 昭和8年(1933)8月20日に開園し、ゾウ、ライオン他、65種164頭、鳥24種500羽、植物約百種類をそろえ、全国でも一流クラスの動植物園であった。(※2)
 上野動物園の猛獣処分が全国へ波及した翌年、
 「坊ちゃん・嬢ちゃん さようなら ー教材用などに更正 動植物園愈よあす限り」(※3)
 昭和19年5月20日に閉園となり、わずか約10年の営業であった。 
 動物たちの次の居住場所は、
 〇〇陸軍病院(福岡陸軍病院と思われる)→ 尾長鳥、ちゃぼ、くじゃく、金鶏鳥、おしどり、まなづる、インコ等、サル3匹、うみねこ、騾馬1頭 
 市立拓殖専門学校 → トラ、テナガザル、オオワニ、カメレオン、ニシキヘビ、ダチョウ、カンガルー、極楽鳥
 国民学校(教材用標本)→ コブラ、子ワニ、大トカゲ、ニシキヘビ、ハリネズミ
 国民学校(飼育用)→ チャボ、アヒル、おしどり、ガチョウ、ウミネコ、雁、ヤギ、ニホンザル、石亀など(※4)
 昭和19年6月6日、もらわれなかった動物たちは全て処分される。
 カバ(メス)銃殺、暴れだしたら危ないと四つ足をロープで固定された。一発で絶命し、食肉用として処理された。
 ライオン(オス「玄海」/メス「筑紫」)銃殺
 トラ(メス「お峯」)銃殺(※5)

戦前のライオン・絵はがき(所有:みかみうこん)

 トラに関しては、市立拓殖専門学校への譲渡になっていたが、猛獣ということで許されなかったと考えられる。
 シロクマ・ホッキョクグマ(頭数不明)処分方法については、黒焼きにされて漢方薬として利用され、同じように銃殺後にこのようにしたと考えられる。(※6)
 処分理由に関して、昭和19年2月24日、福岡市会にて、赤字経営のため、閉園してはどうかと質問されたことに対し、市長が閉園しなければいけないのかとも答弁し、空襲による危険などの言葉は出なかった。
 5月3日の市会にて 「飼料ノ入手難ト空襲ヲ考慮シ」 取って付けたように「空襲」が出てきた。2月の時点で閉園は了解済みではあった。それに、上野動物園でもカバは処分対象にはならなかったが、東京大空襲で飼料が入ってこなくやむなく処分した経緯がある。あと、閉園及び処分を発表した新聞の記事には「空襲」などの文字は一切書かれていなかった。
 処分理由としては、赤字経営と飼料の入手が困難が最大の要因であったと考えられる。
 カバについては、飼料が克服したら、戦後まで生き延びた可能性はあったかもしれない。

※1 旧福岡市動植物園正門(福岡市登録文化財)
※2 福岡市動物園50周年記念誌 福岡市動物園
   (2003.8)  6頁参照
※3 西日本新聞(昭和19年5月19日付)「教材等に更生」見出引用
※4 西日本新聞(昭和19年5月19日付) 「教材等に更生」参考
※5 西日本新聞(昭和19年6月7日付) 「動物の慰霊祭」参考 
※6 「ふてえがってえ 福岡以外史」著者:江頭光 西日本新聞社 223頁 参考

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