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9.仙台市動物園        (現・仙台市八木山動物公園)

 東京浅草の花屋敷にいた動物35種100点を購入して、昭和11年4月1日に開園し、当初から人気も上がり入園者数も増加していた。(※1)
 しかし、昭和14年(1939)には前年に人気のゾウやライオン、オットセイなども死んだため、赤字となってしまいました。

当時の正門とゾウ・絵はがき(所有:三上右近)

 それでも昭和17年頃までは入園者は増加して勢いはあったが、経営が不振になり、昭和18年度当初予算市会では、収入2万円に対して支出は5万円で3万円の赤字となった。
 時局から見てこれを経営してゆく必要があるのかとの質問も出た。戦争が激しくなって平日の入園者は次第に少なくなり、ますます経営が厳しくなってきた。

 昭和19年2月28日の市会で動物園の存続についての質問(資料)
 「設立当時は、この赤字は動物園に来る人の電車賃でカバーできるということであったが、平和な時代はよいが、今日のような非常時はまた別である。電車は混雑を極め、輸送力も十分でない。そのうえに食糧不足という状況である。この際動物園を廃止して敷地8,146坪を畑にし、市立の中学生あるいは市職員で耕作してはどうかと」であった。(※2)
 さらに、猛獣類の1日の飼料が約25㎏以上で、年間、ウマ70頭分を食肉処理している。その貴重な肉を市民に栄養として渡すこともできるとの答弁もあった。
 昭和19年3月2日に、動物園廃止の意見書が採択された。(資料)
 万が一のことを考えて猛獣を処分することにはなっているが、国の方針も相まって、赤字経営を解消することが原因であったと言える。

 昭和19年3月25日~31日かけて、猛獣処分
  白熊(ホッキョクグマ)2頭、熊 4頭
  羆 2頭、獅子(ライオン)2頭
  豹 1頭、虎 1頭
 計12頭を銃殺処分をしたのである。(西公園にいた熊1頭を含めると13頭)

 昭和19年5月19日に、処分した動物たちと開園以来動物園において死んだ動物のために慰霊祭が行われた。(※3)

※1 「仙台市交通事業50年史」 仙台市交通局編 仙台市交通局, 1979年11月 550-553頁 参考
※2 「仙台市交通事業50年史」 仙台市交通局編 仙台市交通局, 1979年11月 557頁9-13行 引用
※3 仙台市史 資料編7(近代現代3 社会生活) 仙台市史編さん委員会 平成16年3月 438頁 参考 

資料

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