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10.函館公園・動物園       (北海道・函館市)

 函館公園は、明治12年(1879)に開園し、近代日本における都市公園を代表するものであった。昭和初期に、平泉元氏が慰楽のため、キツネ、タヌキ、ヒグマ(徳川義親侯爵の寄贈)を飼育したことが動物園の始まりと言われている。(※1)

 「名残り惜し公園の愛嬌者 近くライオンと熊君を非常処置」(※2)
 北海道新聞(昭和18年年9月10日付)の見出しに書かれたもので、ライオンとクマが近く処分されると書かれてはいたが頭数は不明である。
 昭和13年に、ハム・ソーセージを作っていたカール・レイモン氏から寄贈された。ライオン2頭のうちのオスのライオンが処分対象となった。もう一頭のメスのライオンは、すでに昭和17年に栄養失調により死んでしまった。(※3)
 上野動物園の発表から約一週間後の判断である。その後の資料などがないため、処分の有無、日時、方法などはわからない。
 処分が実際にあったのかという疑問に関して、昭和18年度から昭和19年度にかけて予算が半減していること、函館市内の女性から証言をいただき、女学生の頃(昭和18年~19年)に、町内会長をしていたおじさんがライオンの肉があるからいらないかと言われ、その方は気持ちが悪いと言って断ったのである。この2点により、ほぼ間違いなく処分があったと考えられる。

 処分された頭数に関しては、北海道新聞(夕刊・札幌版)昭和18年2月14日付に、ライオンの様子が掲載され、オスのライオンとともに前年に亡くなったメスとの間に生まれた2頭の子どもがこの時点ではいた。クマは、昭和13年の新聞で、雄雌各1頭飼われていた。これを元に、ライオン・クマ各1頭は確実であり、最大ライオン3頭、クマ2頭も考えられる。

※1 「開園100年を迎えた 市民の故郷 函館公園誌」函館市 1978年 12-14頁 参照
※2 北海道新聞 昭和18年(1943)9月10日 見出 引用  
※3 函館市史年表編(平成19年)函館市史編さん室 421頁 参照

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