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13.鹿児島市鴨池動物園           (現・鹿児島市平川動物公園)

 大正5年(1916)に鹿児島電気鉄道株式会社が遊園地を開園したことによって始まり、その後、鹿児島市が昭和3年に鴨池遊園地を買収して、昭和5年にゾウ、アシカ、ワニ、カンガルーなどが寄贈され、市立動物園としてスタートした。(※1)

 同年、12月に「正月1番の見物は鴨池動物園の日本唯一ゴリラと猩猩」という大見出しが新聞広告で宣伝されている。戦前にゴリラを飼育していたことになるが、この広告以外何もなかった。ゴリラ来園になると全国的に騒がれるはずであるが、ほぼ来園はなかったと思われる。考えられるのは、動物園側として輸入し目玉にしたかったが、立ち消えになった。もしくは輸入途中で死亡したかの2点が考えられる。(※2)

 鹿児島軍令部から市長を通して、
 「防空対策上万全を期するため、猛獣を処分せよ」
 昭和18年10月、上野動物園の処分発表から一ヶ月後、猛獣を処分するようにと命令がきました。
 ここからは、園長・梶尾重盛の証言と獣医師・原田誠治の証言が異なる。

 梶尾証言(※3)
 梶尾園長は職員と相談して、軍部に殺さぬ方法はないかと出向いたが、軍部では「国家の命令に従わないのか。動物はきょうからでも毒殺、銃殺で処理せよ」言われた。しかし、梶尾さんの熱意には軍部も困ったらしく「戦争に勝ったら、動物はいくらでも連れてくるから」ということだった。(※4)
 そして、吉川徹雄教授(鹿児島高等農林学校)に相談して、毒殺の方法となった。
 10月6日夕方、ライオン1頭を試験に、毒薬(硝酸ストロキーネ)を注射し、「ウォーウォー」と叫び、効き目が遅く、2時間も苦しんだ。
 職員一同、ただ涙を流しながら見守って、毒殺は無理と悟った。
 電気で殺す方法はないかと、同園の電機技師と相談し、ため池に100ボルトの電流を通して、電流を受けた動物が落ちるというものであった。
 野良犬を実験にして試したところ、簡単に死んでしまった。ライオン1頭、クマ2頭を処分したが、それまで手伝ってくれた者が、あまりにも惨い殺し方なので、手伝う者がなく、くじ引きで行うことになった。
 10月末までに、ライオン2頭、クマ7頭、ワニ4匹、ニシキヘビ2匹を処分した。

 原田証言(※5)
 なんとか救える方法はないかと、園長たちと市役所に陳情に行った。
 市長が椅子から立って
 「お前たちは戦局がどうなっていのか知らんのか。アメリカの飛行機はもうそこに来ているだぞ。戦争に勝てば動物はいくらでもいるんだ。すんだらどしどし買ってやる。それに人間さまの食糧がたらないまま、動物なんかに食わせる余裕などない。軍の命令は絶対だぞ」と剣もホロロに言い返す言葉もなかった。(※6)
 対象は、ライオン、ヒョウ、トラ、クマ、ワニなど19頭である。
 鹿児島高等農林学校の吉川教授に相談して、硝酸ストロキーネを皮下注射したらどうだということになったが、押さえつけなければならない。エサに注入してしてあげても察知して食べないということで、電気を使って処分することになった。
 2本の棒にコードを巻き付けて、動物につける方法で、ライオンなどは安楽死させた。クマは、高圧電流でないと通用しないので、夜中の3時に、路面電車の架線をつないで夫婦と思われるオスとメスを処分した。ワニも通常ではだめで、アヒル池に貯水用の200ボルトを使った。電殺で死んだと思われたワニは、鹿児島高等農林学校の生徒がリアカーに乗せて、はく製用にするために学校へ向かっている途中で、生き返ってしまい、車からずり落ちて、道路を歩き出した。大騒ぎとなって、ワニ3匹は撲殺された。残りの1匹は、動物園の片隅の小さな池に放し、こっそりエサをやっていたが、告げ口をした者がいて、大目玉をくらって、仕方なく包丁で刺して殺した。
 処分が終わったのが10月31日であった。
 このように、陳情も軍部へ行ったのかと市長なのか、ライオンの処分も薬殺、薬殺でないと違いがあるが、今となってはわからない。
 さらに困ったのが、処分した動物の数である。
 梶原証言では合計15頭、原田証言は合計19頭となっていたが、鹿児島毎日新聞(昭和35年(1960)2月25日)にて、原田さんがライオン7頭、ワニ4匹、ニシキヘビ2匹と証言している。クマに関しては書いていなかったため、矛盾が出てきた。
 確実に、ライオン2頭、クマ2頭、ワニ4頭、ニシキヘビ2匹は処分された。原団証言が矛盾するため、他の資料(※7)を見てもクマ7頭が妥当と思われる。 

※1 戦時下の鹿児島市鴨池動物園の〝電殺〟処分について 川島茂裕 歴史科学と教育第11号 「歴史科学と教育」研究会 1992年5月 45頁 参考
※2 「尚古集成館講座・講演集」No.37 動物と動物園の歴史 酒匂猛 7頁 参考
※3 鹿児島毎日新聞 昭和34年(1959)8月12日7面 「終戦秘話⑼今だから話そう 涙をのんで猛獣殺す 動物園も戦争のギセイに」 参考
※4 鹿児島毎日新聞 昭和34年(1959)8月12日7面 「終戦秘話⑼今だから話そう 涙をのんで猛獣殺す 動物園も戦争のギセイに」 上段20-30行 引用
※5 鹿児島新報 昭和51年(1976)11月21日2面 「日曜随想 猛獣始末記」 参考
※6 鹿児島新報 昭和51年(1976)11月21日2面 「日曜随想 猛獣始末記」1段28-2段7行 引用
※7 「思い出の鴨池動物園」黙遙者・第6回尚古集成館文化講座「動物と動物園の歴史」酒匂猛、平成9年8月30日 参照

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