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7.名古屋市東山動物園

 明治23年(1890)、今泉七五郎氏が集めた動植物で「浪越教育動植物苑」を一般公開した。大正7年3月、今泉は所有の動物を名古屋市へ寄附した。同年4月1日、「名古屋市立鶴舞公園付属動物園」が開園したのである。19年間、多くの市民に親しまれ、東山公園へ移転となり、昭和12年3月24日に、東洋一と言われた動物園がオープンする。同年7月に日中戦争が始まり、前途多難の開園となった。(※1)

 上野動物園と同様に、昭和13年頃から防空演習が始まった。
 昭和18年7月31日に、空襲に備えた他の動物園でも試みることのない過激な防空訓練をした。ライオンの放牧場に発煙筒をもうもうと煙をふかし、メンバー50人ほどいる大日本狩猟義勇団千種分団の猟銃(以後、義勇団)の中で名手を使い、ライオンを狙い撃ちする練習をした。もし空襲が起きても、市民に対して安心してもらうためのアピールであった。(※2)

当時のライオン放牧場:絵はがき(所有:みかみうこん)

 昭和18年9月に、上野動物園での猛獣処分が発表され、後日、天王寺動物園でも実行された。
 昭和18年11月頃、市長から「軍が東山動物園の猛獣をなんとかしろと言ってきた。お茶をにごすために何頭か処分できないか」(※3)と指示が届いた。北王園長は飼育係員らと相談の末、やむなくライオンとヒグマ各1頭を処分することにした。
 11月4日、ヒグマは薬殺、ライオンは絞殺であった。(※4)
 5頭いたライオンの1頭が犠牲となり、このままではいつか処分の指示が来るかもしれない不安があり、その年の12月に、2頭を北京の西北にある日本軍の占領下にあった張家口に寄贈した。これによって、ライオンは2頭のみとなった。(※5)
 昭和19年には、動物園に対する世論も厳しくなり、軍は猛獣やゾウの処分を要求してきた。新聞には「空襲時の危険」を訴える市民の投書が掲載された。それに対し北王園長は、中部日本新聞(昭和19年7月5日付)で「猛獣舎は鉄筋コンクリート製で頑丈。オリがこわれる程なら中の動物も死ぬ」と反論した。
 昭和19年12月13日、名古屋にB-29爆撃機80機により、初の本格的な空襲に遭い、いよいよ処分が決定された。(詳細は「第3章関係者たちの苦悩」にて)
 まず、2頭のヒョウ。撃った散弾銃からダムダム弾は、眉間を貫いて肛門まで達していた。続いてトラ1頭、ライオン2頭、3・40分で終わった。(※6)
 それから数日後、義勇団は園長室につめかけた。それは、本格的な空襲があったことで、クマをほっとくわけにはいかないというのである。
 北王を無理やりクマの檻に連れて行って、クマを立たせてこちらを向かせてほしいと言われた。クマは、あまえるような感じで北王の前で立った。ツキノワグマの三日月をめがけて撃って殺してしまった。そのような感じで、同日に8頭が処分された。(※7)
 動物園には、外国産もあわせて8頭のクマがいた。どの資料もホッキョクグマに関しては何も書かれていないので、この中にホッキョクグマも含まれていると私は推測している。
 のちに義勇団は、もうそろそろゾウも何とかしないといけないと言い出したが、さすがに北王もどんなに食い下がっても、許可しなかったのであった。これだけ強気な態度が示せたのは、当時の千種警察署の署長・大野左長の存在があったのではないかと考えられる。
 「私と北王園長は『猛獣を殺せ』という軍の命令を受けまして、ゾウとライオンとトラとヒョウは殺さないといけないと思っていた。ところがゾウだけは北王さんも『女だし年はいっているし檻が壊れても人畜に支障を与えることはない』そんなら2人で握手をして『残しましょう』と」(※8)
 佐野左長さんの証言である。まわりの反対を押し切って北王の申し入れを受け、ゾウの殺処分を中止したとされる。
 北王との間に、万が一の取り決めがあったとは思われるが、のち、動物園自体が軍に接収されてしまったことにより、警察の管轄外になってしまったので、軍関係者にも協力者(第4章「マカニーとエルド−子どもたちに夢を与えたゾウたち−」参照)がいたこともゾウが戦後に生き残ったと言える。

※1 東山動物園ウェブサイ
   https://www.higashiyama.city.nagoya.jp/history/ 参考
※2 「動物園の昭和史」秋山正美著(データハウス) 245頁 参考
※3 中日新聞 昭和62年(1987)3月6日 連載「東山動物園50周年 人と動物と軌跡41」5段目4-7行 引用
※4 「動物園の昭和史」秋山正美著(データハウス) 248-262頁 参考
   中日新聞 昭和62年(1987)3月7日 連載「東山動物園50周年 人と動物と軌跡42」参考
   「ゾウさん死なないで 東山動物園の軌跡」山田柳紘一著(東海出版社)67-68頁 参考
※5 実録太平洋戦争6 銃後編(昭和35年) 193頁 参考
※6 「東山動物園日記」 朝日新聞社社会部編 86-87頁 参考
※7 「東山動物園日記」 朝日新聞社社会部編 87頁 参考
※8 「記録に残らなかった“戦争と動物園”の史実・・絵本「ぞうれっしゃ」が伝える戦時中の真実とは⁉︎CBCドキュメンタリー」CBCテレビ「チャント!」2022年8月11日放送内、CBC「東三河ラジオパトロール」1988年8月15日放送での証言 引用

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