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8.栗林公園動物園 (高松市・廃園)
明治の頃に県営の小動物園であったが、経営難により香川松太郎氏に譲渡され、昭和5年(1930)1月1日に私営の栗林公園動物園として開園した。(※1)
昭和20年3月、当時の園長・香川松太郎が、ライオンの処分を決めた。
その様子を30メートル先から見ていたのが、園長の孫で香川一水(当時、小学校を卒業したばかりである。)
「昭和20年の3月に生きておったライオンは残念ながら銃殺されました。
ダン ダーンという2発の銃声がして終わったと思います。」
香川園長の指示で、猟友会2人が放った銃で処分された。処分日については、東京大空襲直後ということで、3月10日から2、3日以内と思われる。
上野動物園の猛獣処分後、軍や自治体から再三、処分の要請がきたが、園長が拒み続けていた。それは、県立や市立でもなく、私設の動物園ということもあり、個人所有ということで逃れていた。
ところが、昭和20年3月10日の東京大空襲の惨劇を知った軍や自治体の担当者が園長を訪れて要請した。さすがにこれ以上の拒否はできないと決断をした。
猛獣には、ライオンとヒグマがいたのですが、ライオンは木造の檻だったために処分された。しかし、ヒグマは鉄筋コンクリートで作られていたため、戦後も生き残っていた。(※2)
戦後、香川松太郎さんがこのことについてあまり語ることがなかったため、「ライオンが処分され、ツキノワグマが戦後も生き残った」という情報以外は何一つ得られることができなかった。
香川一水さんの証言は貴重である。私が、放映の翌年にNHKにもっと詳しく知りたいと連絡をお願いしたが、老衰で亡くなられていた。
※1 News Letter No.35 市民ZOOネットワーク「祖父と父から学んだこと 香川洋二」11頁 参考
※2 戦跡 -薄れる記憶-「戦争のために飼育の猛獣は全部処分した」2016年 NHK 香川一水さんのインタビュー及び内容を参考及び引用